読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ 世界で最もアメリカに有利な地位協定

その最も見やすい例を挙げるならば、日米安保条約に付随する取り決めである日米地位協定の著しい不平等性である。(略)

 

 

伊勢崎賢治と布施祐仁は、日米地位協定と、さまざまな国とアメリカの地位協定を比較検討しているが、彼らによれば、日米地位協定は、多くの点において「世界で最もアメリカにとって有利な地位協定といってもよい」。

これは、まことに驚くべきことであるというほかない。(略)

 

 

こうした比較は、日本の対米従属の理由が、日米間の現実的な格差(端的には軍事力の格差)でもなく、軍事的な緊急性にもないことを物語っている。

日本よりも明らかに支配力の低い(したがって、アメリカに依存している)政府や、戦争の現実的な危機にさらされている(これまたアメリカに高度に依存せざるを得ない)政府ですらも、日本政府よりも強い態度でアメリカと交渉し、その関係を少しでも対等なものとするよう努力して成果をあげているからである。

 

 

▼ 従属関係を隠蔽する「トモダチ」という妄想

なぜ、このような不条理がまかり通りうるのか。

そこにこそ日本の対米従属において他に類を見ない特徴があるのだが、それは、従属の事実が不可視化され、否認されているところにある。(略)

 

 

「我が国がアメリカと友好関係を持つのは、国益についての冷たい打算のためではない。この関係は、あの戦争における凄まじい殺し合いを乗り越えて果たされた、奇跡的な和解による相思相愛に基づいている」という物語が、これらの用語に、また節目節目に発される要人の発言に、封入されている。

 

 

現在に至っては、この物語の強化は極限に達し、国家元首による外交行事の際にアピールされる事柄は、「元首間の関係が密である」ということ、その一事だけとなるに至った。(略)

 

 

 

諸外国のメディアで「トランプ米大統領にへつらう日本の安倍晋三」がしきりと取り上げられる一方で、日本の国内世論では「米大統領と上手くやっている日本の首相」のイメージが流通してしまうさまは、あまりにも対照的である。(略)

 

 

▼ 「天皇陛下の赤子」から「アメリカからの愛」へ

いかにしてこのような妄想が可能となったのか、またなぜそれが形成されなければならなかったのかという問題は、後に考察される課題である。ここで確認しておくべきは、この「日本を愛するアメリカ」という命題が、大日本帝国における天皇と国民の関係性についての公式的な命題と相似形をなしていることだ。(略)

 

 

 

「国体」は、残骸と化しながら、それでも依然として国民の精神と生活を強く規定している。

 

 

▼ 「戦後の国体」も間もなく死ぬ

だがしかし、この構造は崩壊せざるを得ない。何故なら先にも述べたように、永続敗戦レジームはその土台を喪っているからである。永続敗戦レジームの破産は、「戦後の国体」の破産と同義である。

 

 

問題は、このレジームの清算が内発的に、すなわち大多数の国民の自発的な努力によって実行されるのか、それとも外的な力によって強制されるのか、というところにかかっている。

 

 

▼ 史劇は二度、繰り返される

いずれにせよ、われわれがいま目撃しているのは、「戦後の国体の危機」にほかならない。そのことを認識すると、われわれは日本近代史の総体に関して、ひとつの仮説を立てることが可能となる。

すなわち、それは、「国体の形成・発展と衰退、その崩壊」が二度繰り返される史劇なのである。(略)

 

 

 

 

「国体の形成・発展・死」の反復する過程として近現代日本史の構造的見取り図を与えることが、本書の課題である。」