「第四章 菊と星条旗の結合 ―「戦後の国体」の起源
(戦後レジーム:形成期①)
1「理解と敬愛」の神話
(略)
戦前と戦後、このふたつの「国体」がどのように違い、何が継続しているのかを見るには、その形成期を比較検討することが必要であるからだ。(略)
だが、「戦後の国体」を考察するために決定的に重要なのは、この発言が「あったか、なかったか」ということではない。「私は全責任を負う覚悟である」という趣旨の発言があったとして、問題は、それ自体では潔い天皇のこの発言がどのような神話を形成することになったのかというところにあり、そこに「戦後の国体」を構成する政治神学の原点が潜んでいる。
▼「会見」の神話
昭和天皇の上述の発言の後、マッカーサーの「回想記」は次のように続く。
私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の私の知りつくしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。
私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上級の紳士であることを感じ取ったのである。(略)
マッカーサーは、昭和天皇の高潔な人柄を理解し感動した。そこから神話が始まる。(略)
マッカーサーが天皇の言葉に深い感動を覚えたのは事実かもしれない。しかし、マッカーサーがこの会見からどのような印象を受けたのかということと、なぜ免責を決定したのかということは、全く別次元の事柄である。(略)
つまり、昭和天皇の戦争責任を問わないことや象徴天皇制として天皇制を存続させるという大枠の政策判断は、長い時間をかけた研究と議論の末に導かれたものであり、会見の際にマッカーサーが昭和天皇に対して好意と敬意を抱いたことによってその場で決断されたというような、即興的なものでは全くなかった。(略)」