読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「3国体のフルモデルチェンジ

▼「八月革命」の真相 ― 天皇からGHQへの主権の移動

それでもこの間、日本国の許に主権がなかったからといって、主権そのものが蒸発していたわけではない。いやしくも、何がしかの決定が実効的になされうる政治秩序が存在するのであれば、そこには主権が存在する。

 

 

 

長尾龍一は、宮沢俊義の「八月革命説」を批判して、次のように言う。

 

 

八月革命説の奇妙な点は、間接統治とはいえ占領軍の統治を受け、いわば占領軍を主権者とする体制に於いて、そのことを捨象して天皇主権とか国民主権とかがありうるかのように議論していることである。比喩的にいえば、「宣言」受諾によって、主権は天皇から国民にではなく、マッカーサーに移ったのである。(略)

 

 

 

このことを最も雄弁に物語るのは、日本国憲法九条による戦後日本の武装解除とその後の再武装(一九五〇年の警察予備隊創設)である。後に自衛隊となる実力組織の創設は、ポツダム政令によって行われた。(略)

 

 

要するに、GHQは、憲法を制定する権力を持っていたのと同時に、政治的に必要であれば憲法を破る権力(憲法に拘束されない権力)を持っていた。(略)

 

 

 

そのプロセスに見て取れるものは、二〇世紀で最も論争的な政治思想家、カール・シュミットの言った「政治神学」を連想させる。シュミットの主著「政治神学」は、政教分離によって世俗化された近代の政治空間において用いられる概念が、実はキリスト教神学で用いられていた概念が翻案されたものであることを指摘した。

 

 

 

わけても名高いのは主権者の概念であり、シュミットは、主権者とは「例外状態に関して決断を下す者」であると定義する。「例外状態」とは、典型的には革命や内乱といった、通常の法秩序が崩壊した状況を指し、主権者とは、そのような状況においてその命ずるところを通用させることができる者を指すが、かかるものとしての主権概念は、神学における「奇跡」の概念の世俗的翻案であるとシュミットは説く。

 

 

 

日本の敗戦から占領に至る時期も、おびただしい社会混乱と主権者の交替によって「例外状態」に属するものであったといえようが、これを通じて日本人は「新しい民主主義的法秩序」を獲得したという外観の下で、実は「国体」という旧秩序の要を成す概念が守り抜かれた。

 

 

 

そしてここにおいて、シュミットの言うキリスト教神学の翻案の役割を果たしたのは、後に見るように、日本人の歴史的無意識、すなわち、既知の歴史のパターンを未曾有の状況としての現在へと適用することであった。

 

 

砂川事件判決のおぞましさ

しかも、先に示唆したように、この国家主権の構造は占領終結と同時に終わらず、日米安保体制へと引き継がれる。

それを象徴するのが、一九五七年に発生し、五九年に判決が出された砂川事件である。(略)

 

 

 

一審の判断を最高裁が覆した事自体は、日本の三権分立の形式性の実態に照らせばいまさら驚くには値しないかもしれない。しかし、二一世紀になってから明らかにされたのは、この最高裁判決が出されるに至る過程のおぞましさであった。

 

 

一審判決に驚愕したのは日本政府だけでなくアメリカ側も同様であったが、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー二世は、伊達判決が無効化されるよう、藤山愛一郎外相や最高裁長官の田中耕太郎に圧力を掛けた。(略)

 

 

最大の問題は、日本側とりわけ田中耕太郎が、アメリカからの圧力を不当な介入として撥ねつけるどころか、自ら積極的におもねっていた、もっと端的に言えば、この判決は「駐日アメリカ大使から指示と誘導を受けながら」書かれたという事実である。(略)

 

 

 

これにより、日本の法秩序は、日本国憲法と安保法体系の「二つの法体系」(長谷川正安)が存在するものとなり、後者が前者に優越する構造が確定されたのである。

 

 

 

▼主権の放棄と国体護持の交換 ― 「アメリカの日本」の完成

(略)

かかる代償によってわれわれは何を得たのか。それこそが「国体は護持された」という擬制にほかならない。(略)

 

 

▼われわれが得た「自由」

(略)

したがって、主権と引き換えにして得られたものとは、正確に言えば、国体に対する主観的な解釈の権利であり、言い換えれば、国体の概念に対してわれわれ日本人が投影したい概念を投影することができた、ということにすぎない。さらにその解釈は当然、「ポツダム宣言の内容に明白に反しない限りにおいて」という制限を受ける。(略)

 

 

とはいえ、かつてファッショ体制を領導した政治家たちが「自由民主党」を名乗りながら、アメリカン・デモクラシーの何たるかを本気では理解しようとはせず、外面的にそれに迎合してみせるだけで内心これを軽蔑・嫌悪することが許される、という程度の自由は現実に保障されてきたのである。(略)

 

 

(略)

 

さまざまな意味で、「あの戦争に負けてよかった」とは、多くの場面で語られてきた戦後の日本人の本音であるが、このような本来あり得ない言明が半ば常識化し得たのは、われわれが、「新しい国体」を得たことによると考えるならば、合点がゆく。」