読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「▼六〇年安保

(略)近代前半の第一期とのアナロジーで言えば、一九六〇年は、一八八九年の大日本帝国憲法発布前後の状況に擬えることができる。すなわち、レジームが根本的な不安定性を克服し、潜在していた「別の理想」の実現可能性を無効化するに至った、ということである。いずれの場合でも、確立されたのは「国体」であった。(略)

 

 

 

日米安保を日米中ソ四カ国の安全保障体制へと発展させることで冷戦を終結させようというのが、湛山が後に打ち出すヴィジョンであり、仮にあの当時、彼が病に倒れていなければ、日米安保体制は、少なくとも即座には盤石なものとはならなかった。(略)

 

 

つまり、あの時群衆が爆発させた憤りは、条約の改定のあれこれの具体的内容に対してというよりも、岸信介という戦前戦中の軍国主義を想起させるキャラクター、さらにその人物がアメリカとの媒介者となって対米従属体制を強化し、永久化していることのいかがわしさに対する、ほとんど生理的な嫌悪感に基いていた。

 

 

 

この直感は正しかった。今日明らかになった事情、すなわち核兵器持ち込みの事前協議の問題に代表される密約の存在に鑑みれば、表向きの対等化など理解するに値せず、群衆の積極的無理解はむしろ改定の本質を衝いていた。

岸に対する嫌悪、安保改定に対する嫌悪はそれぞれ、「戦前の国体」と「戦後の国体」に対する嫌悪だったのである。

 

 

▼「戦後の国体」の奇妙な安定

(略)

この相反する「二面性の上に「戦後の国体」は奇妙な安定を得たと言える。

石橋湛山に象徴されるような、根本的に異なった国際的立ち位置を日本が主体的に模索する可能性が取り除かれたという意味で、「戦後の国体」は安定を得た。(略)

 

 

同時に、この状態の出現は、いわゆる「吉田ドクトリン」(親米+軽武装)が真の意味で確立されたことを意味した。それは、敗戦以来の政治的理想の追求とは異なった意味でのある種の「理想」の実現であった。(略)

 

 

 

周知のように、その果実は経済発展であり、一九六八年には資本主義諸国のなかでBGP(国民総生産)第二位の座を日本経済は獲得する。ここに、「平和と繁栄の時代としての戦後」はその成立を見る。「貧困と戦争の時代としての戦前」の日本との対照において、それは一種の理想であった。

 

 

 

戦後民主主義は「賭ける」に値する「虚妄」か

(略)

大正デモクラシーの時代を少なくとも雰囲気として知るこの世代にとっては、ポツダム宣言第一〇項、「日本国政府ハ日本国国民ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化に対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」における「民主主義的傾向ノ復活強化」が、感覚的に理解可能であった。それに対し、後者の世代にとって、青少年傾向の復活強化」が、感覚的に理解可能であった。それに対し後者の世代にとって、青少年代の日本は軍国主義一緒にに染め上がられていたために、およそ実感し難いものであった。(略)」