読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「3 隷属とその否認

▼奴隷の楽園

しかし、ヘゲモニー国家は軍事的にも最強国であるという一般的な原則は、現在の日本がこれまで踏襲してきた対米従属路線をさらに追及しなければならない理由にはならない。

端的に言えば、日本の対米従属の問題性の核心は、日米安保条約でもなければ、大規模な米軍基地が国土に置かれていることでもない。

 

 

 

ドイツを見てみればよい。かの国も、アメリカと軍事同盟(NATO)を結び、日本同様敗戦国として大規模な米軍基地を受け入れているが、日本のような卑屈な対米態度を取っていない。

 

 

 

戦後の日米間の国力格差もまた、問題の本質ではない。

フィリピンを見てみればよい。かの国は、一旦は米軍基地を追い出し、対中関係が緊張する中で今日また米軍の軍事力を利用しようとしている。アメリカは強く豊かで、我が国は弱く貧しかったから従属するほかなかったという言辞は、下手な言い訳でしかない。

 

 

日本が巨大な米軍基地を受け入れている理由も、歴史的に二転三転してきた。それは、始まりにおいては敗戦の端的な結果であったのが、「東西対立における日本防衛」へと転じ、日本への直接的な脅威という理由付けの説得力が薄れると「自由世界の防衛」へと転じた。そして、共産圏が消失すると「世界の警察」による「正義」の警察行為のためであるとされ、この「正義」も怪しくなってくると「中国の脅威」、「暴走北朝鮮の脅威」への抑止力であるとされるの至った。

 

 

 

これらの二転三転は、これら言われてきたことすべてが真の理由ではないことを物語っている。

つまり、対米従属の現状を合理化しようとするこれらの言説は、ただ一つの真実の結論に決して達しないための駄弁である。

 

 

 

そしてそのただひとつの結論とは、実に単純なことであり、日本は独立国ではなく、そうありたいという意思すら持っておらず、かつそのような状況を否認している、という事実である。

ニーチェ魯迅が喝破したように、本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。

 

 

 

 

本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである。深刻な事態として指摘せねばならないのは、こうした卑しいメンタリティが、「戦後の国体」の崩壊期と目すべき第二次安倍政権が長期化するなかで、疫病のように広がってきたことである。」

 

 

〇最近、報道1930をよく見るのですが、先日たまたまそれが始まるまで、と水戸黄門を見ていたら、いつものように、「控えおろう… この紋所が目に入らぬか…」となったのですが、あれって、結局、問答無用で、権威あるものに従うという姿勢です。

黄門様は善で、悪人たちをやっつけるので、見ているものは、スッキリして喜ぶのですが、問答無用で権威あるものに従うという態度は、権威あるものが悪だとしても、従うということになります。

 

 

それが奴隷的だとするなら、小・中・高と様々なわけのわからない校則に口答えせずに従うというやり方を通じて、しっかり奴隷になる訓練を受けて育っているのだと思います。逆に言えば、そのやり方でしか教育できない社会というのが、問題なのでは?と思います。