読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「2 国体がもたらす破滅

▼ 破滅はどのように具体化するか

かくして、「戦後の国体」の幻想的観念は、強力に作用し社会を破壊してきた。論理的に言って、その果てに待つのは破滅であるほかないであろう。それがどのようなかたち― たとえば、経済危機とそれに対する日本の反応、戦争、その両方といった ― を取るのか、予言することはできないが、ここでは北朝鮮国家によるミサイルと核兵器の開発によってせり上がって来た戦争の危機とそれに対する日本の反応について、見ておきたい。

 

 

 

二〇〇四年に他界した経済学者の森嶋通夫は、一九九九年に「なぜ日本は没落するか」と題する著作を上梓している。この著作において、森嶋は二〇五〇年の日本の状態を予測するとして、教育の問題をベースに、経済、政治、価値観といった諸領域で、現代日本社会がどれほどのデッドロックに陥っているかを概観し、日本国は没落する、とりわけ政治的に無力になる可能性が高いと論じている。

 

 

森嶋の予測の実現は、二〇五〇年を待つ必要はなかった。この著作のなかでは右傾化や歴史修正主義の勢力拡大について懸念が表明されているが、森嶋が予測していた水準をはるかに超えて、またはるかに早く、悪性のナショナリズム(=排外主義)がすでに大手を振るようになった。

 

 

また、森嶋は貧困と階級格差の発生をわずかにしか考慮していないが、現実にはすでにそれらが明白に現れている。要するに、一九九九年の時点で森嶋の予測は十分に悲観的であったが、それよりもさらに悲惨な現実が、その後の約二〇年の間に急速に展開されてきたのである。

なぜこのような惨状に陥ったのか。森嶋は、卓抜な比喩を用いて戦後日本の経済発展とその行き詰まりを説明している。

 

 

 

私は国民経済は小さいエンジンを積んだ帆船であると思っている。自力で動かせることも可能であるが、その場合速力は小さい。しかし風が吹いている場合には、高速で帆走することが出来る。高度成長の時には、朝鮮戦争ベトナム戦争の風吹いていた。それらの風が吹かなくなれば船のスピードはエンジンだけのものになってしまう。

 

 

したがって、無風状態の時に船を走らせるには、自分たちで風を吹かせるか、外部の人に風が吹くようにしてもらうかのいずれかである。日本人の中で、風を吹かせる役のものは政治家である。しかし現在の日本にはそういう役割を果たせる政治家は不在であるし、日本の政治屋連には、風を吹かすのが自分たちの義務だという意識は全くない。(略)

 

 

 

 

そうした状況下で、森嶋はEU欧州連合)に範をとった「東北アジア共同体」の創設を呼び掛け、それによって形成される広域経済圏のなかで日本経済は成長の手立てを見つけるべきであると説いている。そうした地域統合が、森嶋の考える、政治家が吹かせるべき風である。

 

 

 

しかし、現実には、「東アジア共同体」構想を掲げた民主党鳩山由紀夫政権の挫折以降、アメリカ主導のTPP構想が急速に持ち上がり、政官財メディアの主流派は、批判には耳を貸さず、自民党に至っては有権者を瞞着してまで、この流れに飛び込んだ。(略)

 

 

 

 

以上の成り行きにおいて日本がやってきたのは、アメリカの顔色を窺いながらの右往左往だけである、と言っても過言ではない。言い換えれば、日本が主体的に「風を吹かせた」ことは、一度としてない。「吹かせようとした」ことさえもない。そして、それをする能力が宿命的に欠けているのであれば、われわれは外からの風に頼るほかないであろう。何がそれをもたらしてくれるのか。森嶋は次のようにも述べている。

 

 

 

今もし、アジアで戦争が起こり、アメリカがパックス・アメリカーナを維持するために日本の力を必要とする場合には、日本は動員に応じ大活躍するだろう。日本経済は、戦後― 戦前もある段階までそうだったが ― を通じ戦争とともに栄えた経済である。没落しつつある場合にはなりふり構わず戦争に協力するであろう。

 

 

 

「なぜ日本は没落するか」において森嶋の予言したことのうち、これほど不気味かつ鋭いものはない。というのも、この認識を基礎として安倍政権の日米安保体制強化へのコミットと二〇一七年から二〇一八年にかけての朝鮮半島の危機の高まりに対する振舞いを解釈すれば、そのすべてを整合的に理解できるからである。世界で唯一「北朝鮮にさらなる圧力を」とだけ叫んだこの政権は、要するに、朝鮮半島有事が発生することを期待していたわけであるし、そうする理由はあるのだ。(略)」