「「大臣はどの人じゃろ、とおもうとるうち頭のカーッとして…。杉原ゆりちゃんにライトをあてて写しにかかったろ、それで、ああ、また、と思うたら、やってしもうた……」
「やってしもうた…」とは水俣病症状の強度の痙攣発作である。のちに彼女は仕方がないというふうに、うっすらと涙をにじませて笑う。
予期していた医師たちに三人がかりで取り押さえられ、鎮静剤の注射を打たれた。肩のあたりや両足首をいたわり押さえられ、注射液を注入されつつ、突如彼女の口から、「て、ん、のう、へい、か、ばんざい」
という絶叫がでた。」
「「小父さん、もう、銭は、銭は一銭も要らん!今まで、市民のため、会社のため、水俣病はいわん、と、こらえて、きたばってん、もう、もう、市民の世論に殺される!小父さん、今度こそ、市民の世論に殺さるるばい」(略)
「みんないわす。会社が潰るる。あんたたちが居るおかげで水俣市は潰るる、そんときは銭ば貸してはいよ、二千万円とるちゅう話じゃがと。殺さるるばい今度こそ、小父さん」」
「それはまことに異様な大会であった。
「患者を支援する。しかしチッソの再建計画の遂行には十分協力する」ふたつのスローガンはこの「しかし」という逆説の接続詞で結ばれる関係にあった。」
「今日はあやまりにきてくれなったげなですな。
あやまるちゅうその口であんたたち、会社ばよそに持ってゆくちゅうたげな。今すぐたったいま、持って行ってもらいまっしゅ。ようもようも、水俣の人間にこの上威しを嚙ませなはりました。
あのよな恐ろしか人間殺す毒ば作り出す機械全部、水銀も全部、針金ひとすじ釘一本、水俣に残らんごと、地ながら持って行ってもらいまっしょ。
東京あたりにでも大阪あたりにでも。
水俣が潰るるか潰れんか。天草でも長島でも、まだからいもや麦食うて、人間ないきとるばい。
麦食うて生きてきた者の子孫ですばいわたしどもは。親ば死なせてしもうてからは、親ば死なせるまでの貧乏は辛かったが、自分たちだけの貧乏はいっちょも困りゃせん。
会社あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。会社あって生まれた人間なら、会社から生まれたその人間たちも、全部連れて行ってもらいまっしゅ。
会社の廃液じゃ死んだが、麦とからいも食うて死んだ話はきかんばい。このことを、いまわたしがいうことを、ききちがえてもろうては困るばい。いまいうことは、わたしがいうことと違うばい。これは、あんたたちが、会社がいわせることじゃ。間違わんごつしてもらいまっしゅ」
滂沱と涙があふれおちる。さらに自分を叱咤するようにいう。」
「妙な気持じゃ、と彼女はまだ涙を含んでいる大きな切れ長の目を、空にはなっていう。
「ちっとも気が晴れんよ…。今日こそはいおうと、十五年間考え続けたあれこればいおうと、思うとったのに。いえんじゃった。」
〇想像していた以上に辛い内容でした。でも、海の暮らしの「この上ない栄華」が実感される内容で素晴らしいと思いました。
また何より、熊本弁が本当に聞こえてくるような、生き生きした言葉に引き込まれました。
読んで良かったと思います。
でも、第二部は少し休んでからにします。