〇 舞上王太郎著 「畏れ入谷の彼女の柘榴」を読みました。
この著作については、ずっと気になっていたのですが、やっと読むことができました。
そして読みながら、この作者との出会いを喜びました。
もともと、読書量が少なくものの考え方も、かなり狭い。
そんな私が、この作者に出会えたのは、全くの偶然でした。
私の場合、読書が苦手というほどではないのですが、
引き付けられない文章は、読み続けることができないのです。
努力して読む、ということが出来ないので、すんなり引き込んでくれる
舞上王太郎には、いつも感謝してしまいます。
この物語は、ファンタジーなのか、それともSFものなのか?と思い始めた頃、
話は急展開しました。
ここが、なんとも清々しくて、気分がスッキリしました。
すごいなぁ、と思います。
感想は〇で、引用文は「 」で、記ます。
「千鶴は瞳に穴が空いたみたいに見える程ぽかんとしている。
俺は続ける。
子供ができることはおめでたいことや。自分で作ったならな。でもそうでなかったら全然別の話や。人に押し付けるおめでたが相手に迷惑になるなんて普通にありえるやろ?
それチヅわかってるはずやろ?ほやかって今、まさしくその例を並べてくれたもんな」
「…………」
「千鶴が親としてふさわしくない、有害やって言うてるのはそういうところや」
「……どういう……」
「わかってるはずのことを自分に都合よくわからんふりするところ。そんでそのわからんふりしていることも誤魔化そうとするところ。誤魔化すために嘘をつくことも平気なところ」
「………!」
追い打ちをかけ続ける。そう決めている。
「さっきチヅ言うたが?「子供の親を軽んじるな」って。俺は親と親であることを決して軽んじてない。敬意を払うからこそ今はっきり言うわ。チヅには親は無理や。向いてないどころの話でない。資格がないわ。
「悪いところがあったら直すで……」
「直せるところでない。もともとないわ。悪いところって言うても何が悪いかもわからんやろ?」
「……教えてや」
「いいで?根本や。チヅは命を大事にできんのよ。ほやでいろんな人に気楽におめでた押し付けたりできるんよ。新しく生まれる命の話だけでない。
もうすでにある命のことも全然適当やもんな。(略)」
「わかってないって。まあわかってもらえると思って言うてないけど、チヅにはわからんのや。反省ってのは、何が悪いかわかってからでないとできんことや。それがわからんチヅにはできんって」(略)
「「ちゃんと追い込むって決めてるでな。俺は今回チヅには滅茶滅茶ボロボロになってもらうつもりなんよ」
「なんで?」
「言うたやろ? 親として敬意を払ってるんや」
(略)
「びっくりした?自分のことが大事で自分自分優先でやってきたつもりやったんやろ?
違う違う。自分のことが大事な人間は周りのこと大事にするもん。それができるもんや。人のこと大事にできんやつは、誰に嫌われてもどうでもいいと思ってるやつで、それはつまり自分のことどんなに酷い目に遭ってもいいと思っているんよ」
千鶴がいよいよそこから消えてなくなったみたいにして愕然としている。
千鶴の根幹を潰してしまったのかもしれない。
ほんの数か月前までは何も問題なく一緒に暮らし、確かに愛していた相手をここまで追いつめるなんて……と俺自身がどこかで悲鳴をあげるけれど、いいんだ、と俺はそれを削ぎ落す。
繰り返した通りだ。
親としての敬意を持って、俺はこれをやってるんだ。ここに欺瞞はない。やり込めてスッキリとかも全然ない。
気持ちはひたすら重い。
俺はこの人のことが好きだったのだ。
こんな人のことが好きになっていたのだ。
でもこの人が好きになったおかげで今の全てがある。
「……チヅは、どうなってもどうやっても、何が何でもナオくんの母親や。でも、親としては失格や。それわかるやろ?」
俺は書類を出す。
離婚届。
子供の親権の欄は俺が書き込んである。
「これ、書いてくれや。他はいろんなこと、フェアにやるさけ」
千鶴は動かない。
動けない?それも当然だろう。
でも俺は待つ。
今日終わらせないと、千鶴がまた何をトボけて誤魔化して嘘をついてくるのか
わからない。(略)」
「真面目な葛藤や計算をこなした後にしても、確かにまあいいや、ままよ、どうにかなるさ、みたいなところがあるかもしれない。それが根本になるからこその迷いだったのかもしれない。
が、生きることに軽やかさを持ち込むことと命を軽んじることは違うはずだ。
でもそのことを説明してもわかってもらえないだろうしわかってもらう必要もないから俺も何も言わない。
黙った俺を見て千鶴が
「ごめん、忘れて」
と言うけれど、本当にこいつは……としか思えない。(略)」
「でもやらかした罪の償いには全くなっていない。
それにはおそらく何をしても届かない。
現実問題としては、内心において、この世のいろんなことと同様折り合いをつけるしかない。
その上で願う。バカの使った言葉だが、それに頼る他はない。
おめでたい出来事がおめでたいことになりますように。
どのようなバカにも存在意義があって、この世の幸福につながるチャンスがそれなりに
あるんだという俺の祈りが叶いますように。
尚登の指はもう光らないし、光らせ方を忘れちゃったと言う。
あああ、あああああああ、そういうことが、たくさん起こりますように。」
〇 ファンタジーでもSFでもありませんでした。
この文章…
「わかってるはずのことを自分に都合よくわからんふりするところ。そんでそのわからんふりしていることも誤魔化そうとするところ。誤魔化すために嘘をつくことも平気なところ」
「…チヅには親は無理や。向いてないどころの話でない。資格がないわ。」
これは、まさに今の盛山文科相を評するのにぴったりの言葉です。
更に、もう随分前から、自民党の多くの政治家も同じような態度で、国民に対応しています。
「政治家は無理。向いてないところの話ではない。資格がない。」
なのに、それをしっかり「追い込む」ジャーナリストや検察官はいない。
国民までも、こんな噓つきで、何が悪いのかもわからない自民党や公明党を支持しているのですから、本当に気持ち悪くてしょうがありません。
おそらく、この著者には、そんな意図はないのでしょうけれど、私はついそんなことを思いながら、読んでいました。
そして…
「…どのようなバカにも存在意義があって、この世の幸福につながるチャンスがそれなりにあるんだという俺の祈りが叶いますように。」
私も、心からそう思いました。
わからない人には、わからない。
そういう国民性なのだと思うしかないほどに、絶望的になってしまう。
でも、そんな私たちにも、「それなりに幸福につながるチャンスはあるように」と
祈りたいと…。