読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

「民主主義と象徴天皇

(つづき)

橋爪 それについては最近、毎日新聞にもちょっと書いたんですが、そこで書かなかったことを少し言って見ます。

笑い話のような話なんですが、日本は日の丸を国旗とした方がいいかどうか。

「日の丸は、侵略戦争のときに日本国の象徴として使われたので、歴史の汚点にまみれている」。そこまではいいとして、「ゆえに日の丸は日本の国旗にふさわしくない。なぜならば、戦後の日本はそういう歴史の汚点にまみれていてはいけないから」。

 

 

 

そういう感覚が少なからぬ日本人にあるとすると、むしろだからこそ、日の丸を国旗にしておいたほうがいいのではないかとも考えられる。(略)

 

 

 

加藤 橋爪さんは読んでいるかどうかわからないけど、僕も毎日新聞に、日の丸について「日の丸が悪いイメージの汚れた国旗だというなら、それを(捨てる代わりに)引き受け、それを少しでもよいイメージのものに作り変えてゆくことが戦後の日本に求められている」と書いた。その点、日の丸については同意見です。ただ、君が代については意見が違う。僕は、君が代の歌詞は変わらなければならないって書いたんですけど、橋爪さんは、その後、同じ新聞に君が代の歌詞はそのままでも解釈を変えればいいって書いた。

 

 

 

僕は、きっとこれは僕への反論だろうと考え(笑)、さっそく反論を寄せました。(略)

 

 

橋爪 毎日新聞では、名前はあげなかったけど、加藤さんの君が代に対する考え方を批判したつもりでした。(略)

 

 

加藤 最終的な要点だけ言うと、僕は、国旗・国家法制化の問題で、国旗と国歌はそれぞれ別々に考えた方がいい、という分離提案をしたわけです。(略)

 

 

 

今後、民主主義の充実という課題を革新派流の天皇批判や軍部批判から分離独立させ、より堅固なモチーフのうえに構築すべきだという橋爪の意見に、私は深く同意する。それはこれまで私の述べてきたことでもある。しかし、昭和天皇の過去の責任を明らかにすることは、過去の誤りを繰り返さないため、必要である。それは、外への意思表示として、重要であり、また私たちが主権者として、憲法の定める平成期の象徴天皇制と新しく関係を結ぶうえにも、必須の作業となる。

 

 

これと罪責感の打消しとして天皇を中空の場所から非難することは、同じではない。(略)

いま必要なのは、罪責感の解消というこの「弱いあり方」を否定することではなく、罪責感の解消とならない、過去の否定、つまり過去を引き受けたうえでの過去の否定という「強いあり方」を、新たに作り出すことである。」

 

 

〇 過去の「罪」が事実としてしっかり社会に認識されていた時には、「罪責感」はあって当然のもので、「弱いあり方」か「強いあり方」か、などと言う議論になるのかも知れないけれど、それを知る人が少しずつ亡くなり、知らない人の方が多くなってきた今、日本の国際的な「罪」など、実はなかった…とか、もしくは、もうとっくに贖罪は終わっているのだから、いつまでもそれを問題にするのは、おかしいという「空気」が

作り出されています。

 

 

分かりやすく個人の問題に例えて見ると…

うちの娘が隣の息子とその仲間にレイプされた。

隣の息子は逮捕され罪を償った。

 

でも、私は隣の息子を見るたびに、怒りを感じる。

でも、隣の息子は、いつまでも過去の罪を言うな、もう償ったのだから…とか、

実は、あれは冤罪で、実際にはレイプなどしていない、と言い始めた。

 

私としては、怒りと憎しみが募るばかりです。

 

今の日本は、国際的にそんな態度を取っているように見えます。

人間として、尊敬出来ない態度です。

 

「橋爪 いまの文章はたいへんに正確に、私から見て公平に評定してもらっているから面白くて、納得して聞きました。

さてポイントは、罪責感を解消するのではないやり方で大日本帝国から日本国が決別しようとする場合、天皇の戦争責任を過不足なく追及してもうまくいかないということです。

 

 

 

それは、必要条件でも十分条件でもない、と私は思う。むしろ私の目から見て一番大事なことは、大日本帝国憲法憲法体制のメカニズム、とくにそこでの意思決定のあり方や、天皇への責任のあずけ方、無責任の保証のされ方、そういう行動様式について正確な知識を持ち、それから日本国の憲法体制についても、内部での責任の分担のされ方や、無責任の保証のされ方、責任逃れのあり方、そのようないろいろな問題について詳細な知識をもつ。そして、その比較のうえに立って、憲法を運用する能力を高めていくことです。それが必要にして十分なことではないのか。

 

 

 

加藤 だけど、そのための第一歩としては、たとえば、みんなが橋爪さんのようにいろいろな知識をもって、というわけにはいかないでしょう。だから、日本の社会のなかで、どういうかたちでそういう作業を進めていくか、そのための第一歩をどこにおくのか、ということなんですよ。(略)

 

 

橋爪 そうじゃなくてね。たとえば天皇の名前で戦争が行われたとして、それが不合理で間違った戦争だった。そこからでてくるひとつの反応は、天皇が不合理で間違った考え方をもって戦争を始めたのではないだろうか、というものです。(略9

 

 

 

しかし、もう少し詳しく考えて見ると、戦争自身は不合理で誤ったものであったかもしれないが、それは天皇が不合理で誤った考え方をもっていたからそうなったというわけではなくて、もっと違った原因がある。よく調べてみれば見るほど、実は、天皇にはほとんど責任がない。だとしたら、その責任は誰にあるのか。

 

 

 

天皇の名前に隠れて、大日本帝国の内部でそのメカニズムを悪用し、こういうことをした、ああいうことをしたという具体的な事実や具体的な人間がいるはずだ。そのことについて具体的につきとめておかないと、同じことが日本国の内部で起こらないとはかぎらないし、現に起こっているのではないか。そういうことなんですよ。

 

 

 

竹田 僕はずっと気になっていたんだけど、橋爪さんは詳細に制度上の事実を問題にしていて、それなりの証拠をだして実は天皇には法制上責任を問えないということがこれでわかるはずだ、と言っている。(略)

 

 

小林よしのりがこだわっていた従軍慰安婦の場合もそうですね。つまり、橋爪はああいうが、やはり実質的に天皇に責任があると言える、という考え方も可能なものとして出てくる。すると、双方の立場の人間がいろいろ言いだして、結局、一般の人間からはよくわからなくなってしまうことがしばしばある。

 

 

 

実際、同じような志を持っている加藤さんとですら、それほど違わない資料からまったく別の解釈がでているということが起っているわけですね。いわんや一人ひとりの人間にとっては、そういう歴史上の事実を詳細に調べて、どちらが正しいかということを自分なりに確定することは、なかなかむずかしい。これはこと天皇制といった歴史的な問題にかぎることではなく、実は若い人が現代社会のさまざまな問題に出会うとき、必ずぶつかる問題です。(略)

 

 

 

しまいには、世の中には進歩と保守というふたつの政治的意見があって、どんな問題についても、かならずあれこれ言い合って対立している、という像だけが残る。そういう事態がずっと続いてきた。(略)

 

 

 

まあ、そんなことがあって、この問題には単に事実がこうだったという解釈を示すだけでなく、もちろんそういう試みが無駄でないことは十分認めますが、むしろ、いまわれわれが持っている資料から、天皇に対してふたつの大きな解釈、考え方が可能である、ということを一応前提としたうえで、そのうえでこの問題をどう考えるのか、あるいはどういう態度をとるのが我々にとって積極的なことか、という考え方が必要なのではないかろうか。(略)」

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

〇 一か月ほど前から、長く座っていると腰に痛みが出るという状態が続いていました。ネットで色々調べ、素人診断をしたのですが、多分股関節の「老化」ではないかと思います。

 

短時間ずつまたやっていきたいと思います。

 

「民主主義と象徴天皇

 

(つづき)

竹田 天皇は、一般的には、神人として国家の最高位の存在として据えられていた。しかしその実体としては、当時、人間としても地位としても責任をとれるような場所になかった。いわゆる近代的な責任と義務をもった市民としての場所からはずされ、まわりの人間におまえは天皇だと言われて、そうならざるをえなかった。そういう立場にあった人間の責任を追及するというのは思想としておかしい。

 

 

 

事実問題は残るとしても、いま聞いていてその言い方はかなりよく理解出来ました。ただ、たしかにそうであったかもしれないが、そうだとしても、国家の最高主権者であるということは、自分の国家が重大な過失を行なった場合は、責任をとらなくてはいけない場所だということは、やはり自覚し認識していなくてはいけないわけですね。

 

 

 

 

橋爪 さきほども言ったように、それは認識し覚悟していたのではないでしょうか。

 

 

 

(略)

 

 

橋爪 加藤さんの議論の流れの中で、なぜ死者の問題が出てくるかというと、天皇はたしかに戦前に生き、戦中に生き、そして戦後を生き延びた。それは役割上しょうがなかったと言えるわけですけれど、とにかく生き延びたことに変わりない。

 

 

生き延びた以上、とうぜん、変節するわけです。しかし、その変化を誰が指摘できるかというと、戦前に生き、戦中に生き、そして戦後を生き延び、変化し変節したという点では国民も同じなのかもしれないから、単純に戦後に生き延びた日本人が、天皇が戦前、戦中と違っているではないかと言いにくい構造になっている。

 

 

そういうふうに、加藤さんは注意深く考えたのではないかと思う。そうすると、その天皇の変化を測定できる原点はどういう場所に求められるかというと、三百万の死者ということになる。だから、そこで、その死者に注目しているのではないかと思ったんですが。

 

 

加藤 いや、それはそのとおりなんですけど、その力点は、三百万の死者が天皇に代わる戦後の定点になりうる、ということだったんです。そこから、天皇を相対化できる、ということでもあったんです。僕から見ると、僕より橋爪さんのほうが天皇の問題にこだわっているかもしれない。(略)

 

 

 

なぜかというと、天皇制があるからよくないとか、ないほうがいいとか、そういうところから考えているかぎり、この考え方が天皇に依存していて、それではやはり天皇制の解体にはならないんじゃないかと感じるからです。

 

 

 

僕の考える基準は、それとの比較でいうなら、日本がそこに住んでいる人間にとって住みよい開かれた社会になること、そして近隣の国に迷惑をかけないような国になること、この二点です。(略)

 

 

 

問題は、天皇制ということがなぜわれわれに困った問題としてあるのかということです。法務省の入国管理事務所の考え方、帰化申請時の名前を日本風に変えよという行政指導など、その根元を追って行くと天皇制にぶつかる。(略)

 

 

 

逆にそれが干上がらないまま、たんに制度としてだけ天皇制が廃絶されたら、天皇家が家元になって京都に戻ったとしても、今度はその反動で、天皇に対する郷愁みたいなものが起こり、また別の天皇制を求めるような動きが出てくるにちがいない。だから次のステージにステップを進めるためには、いまある象徴天皇制天皇制と同列のものとみて、その廃絶をめざす、という五十年来のナイーヴな姿勢ではどうにもならない。

 

 

それを戦前の天皇制、昭和期の天皇制と違うものとしてどう評価し、位置づけ、それとの関係を主権者として国民がどうつくるか、それが大事なポイントになると思うのです。

 

 

戦争の死者の場所から考えるというのも結局そういうことです。たとえばいままでは、天皇がいなくなるとモラルのバックボーンがなくなるぞ、みたいな考え方があったけれど、そういう考え方を国民規模で解体できるのが実はその戦争の死者の場所なんじゃないかと思う。(略)」

 

 

〇 「違うものとして評価し位置づけ、どうつくるか…」これを「国民規模」で行う…というのが、私には全くイメージできません。とても難しい…。

 

 

「橋爪 (略)なぜ日本が憲法第九条をもち、なぜ軍隊をもっていないかと言えば、これは日本の戦後処理の結果である。戦後処理の結果、群は武装解除され解体され、再軍備も禁止された。そしてその保証として、独立の条件として、憲法があり日米安保条約がある。こういう枠組みのなかで日本国があるわけでしょう。

 

 

 

ということは、日本国が現在の枠組みであるかぎり、これは国際的な不振の表明と裏腹の関係にある。日本は軍隊をもったらなにをするかわからないので、軍隊を禁止しておこうという、国際社会の警戒態勢がずっと継続しているということを意味している。ということは、戦後は解消していないということでしょう。(略)

 

 

そうだとすると私たちは、日本国がたしかに民主主義の国で、自分たちの統治能力(ガヴァナビリティ)を高めて、近代ルール、それに、列強ルールじゃなくて新しい国際ルールがあるとしたら、それにも合致して行動しているということを、まだ証明していないんだと思う。そういう意味で、日本の民主主義は半人前だということです。

 

 

国際社会の平和秩序を維持する時、どの国がどういう犠牲を分担するか、という話になる。たとえば湾岸戦争ですけれども、日本はなにをどう分担すればいいか、ということを国内で意思決定できなかった。当然考えておかなければならないさまざまな問題を、まったく考えないまま放置してきた。

 

 

はしなくもそういうことがあらわれてしまった。これをどう克服していけばいいのかという問題だと思います。

 

 

(略)

 

 

 

加藤 その言い方で言うと、僕が思うのも同じことで、民主主義というのはどんなかたちで日本にもたらされたにしても―― たとえ押し付けられたとしても―― 、これを自分たちのイニシアティヴで受け取りなおすんだというところから、問題を考えていけばいいということなんです。

 

 

 

そのための条件が、民主主義のもたらされ方の赤面せざるをえないありかた、つまり押し付けられたのに全員そのことを見ないようにしてこれを受け取ったという事実から、けっして逃げないことです。そこことをしっかり受け止めることで、この押し付けられた他律的な民主主義をもとに、戦後の自律的な正統性を作り上げることができる。(略)」

 

 

〇 「国際的な不信」の為に軍隊の持てない国になったとはっきり言ってもらうと、とてもスッキリします。そして、この不信は「国際的」なものだけではなく、「国内」=「一般庶民である国民」の不信でもあると思います。

 

山本七平氏が以前書いていたように、国民はまず自国の「軍部」に支配され虐げられていました。外国に虐げられるよりもずっと多く、自国の軍部に痛めつけられていました。

 

戦後レジームからの脱却」と言って、日本会議という団体を立ち上げ、教育勅語を蘇らせようとする動きは、まさに戦前の「管理者(軍部を含む)」によって、国民をうまく支配するシステムに戻ろうとする動きのように見えます。

 

菅政権になり、様々な問題が取り上げられても、未だに支持率は半数を超えています。

つまり、それだけ多くの「管理者」がこの国にはいる、ということなのでしょう。

せめて、弱者の私たち一般庶民が力を合わせて立ち向かわなければ…と思うのですが、

それさえ、なかなかうまく行かないので、「検事長問題」「学術会議問題」等、権力の暴走を許すのを阻止できるのかと、暗澹たる気持ちになります。

 

 

※ 「管理者」(いまだ人間を幸福にしない日本というシステムより)

「社会が徹底的に政治化され、しかも公共部門と民間部門の境界が見分けがつかなくなってしまった日本では、我々には政府省庁の官僚と、高度に官僚化された業界団体や系列企業や銀行の幹部たちを総称する言葉が必要である。彼らを「管理者」と呼ぶべきだろう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

「民主主義と象徴天皇

 

竹田 「断固正しい」とか「責任がない」とかいう言葉のうえでの違いはあるとして、お二人の考えの内実はかなりはっきりしてきたように思います。ひとつ言うと、「天皇の戦争責任」と「戦争の死者の考え方」ではっきり対立があるが、その対立は構造としては同じであるということ。そこに違いがあるけれど、お二人がこの問題をはっきりさせたいと考える、そのモチーフには大きな共通点があるということですね。

 

 

つまり、これまでの、戦後民主主義マルクス主義をベースにした戦後論、戦争論には大きな不備がある。(略)

 

 

 

加藤 なんで橋爪さんと僕が、こんなにモチーフ的に重複しながら天皇のことになると考えが違うのか。橋爪さんが書いてくれたメモを呼んで、僕はある程度予想がつきました。橋爪さんは、メモの最後のほうに「天皇制は歴史的な役割を終わった」と書いている。もし、僕にもそう思えるんだったら、天皇のこだわる必要は全然ないんです。でも僕は、残念ながら、天皇制の歴史的役割が終わったとは思っていない。

 

 

 

いま日本に「もう天皇制はいいよ」という国民的な総意があること、それが、終わったということなんですよ。メモの中で橋爪さんは「日本国は共和制に移行することが望ましい(国民の総意が条件)」と書いている。僕もそれに賛成だ。でも、国民の総意はまだない。つまり天皇制の歴史的役割は終わっていない。

 

 

 

橋爪 国民の総意がまだそこまででないという事実認識については、もちろん同意します。だけど、日本の過去百五十年の歩みをふりかえって、これからどういう方向に進んだときに過去を乗り越え、現状をもっと市民社会に近づけることができるかと言えば、現に天皇がいるわけですけど、日本国民がこの天皇という問題にどう決着をつけるかなんです。

 

 

 

これまで、天皇という存在をかりて、そこにさまざまな重みをかけたり、心のへこみをあずけたりして、いろいろな感情のゲームをやってきたけれども、そういうことからいわば足を洗って、自分たちの権利と義務と主権と倫理観で国家を組み立てられるんだという意味で、私はメモに「共和制に移行することが望ましい」と書いたわけです。

 

 

(略)

 

 

加藤 いや、橋爪さんの論理は、さっき言った橋爪さんのメモがなければ伝わりにくい話だと思う。(略)

つまり、「日本は共和制に移行することが望ましい」と橋爪さんが言ったとしても、それは「いまある天皇制をどういうふうにするのか」という答えになっていない。

 

 

 

では僕から言いましょう。そうすれば、なぜ僕が昭和天皇の責任をうるさく言うのか伝わるかも知れない。僕は現在の象徴天皇制についてこう考えています。日本国憲法には第一条があって、戦前の天皇制とは違う象徴天皇の制度を定めている。

 

 

 

この第一条はなにを語っているかと言えば、天皇主権が国民主権になり、民主主義国になった、しかし同時に、戦前の天皇制が象徴天皇制というかたちで残って、君主制から共和制というところにまで一気には進まなかった、つまり階段を一段ではなく半分だけあがった、そういう「階段の半分あがり」を語っている。(略)

 

 

それを僕たちは、やっぱり半歩の前進、「半分」の階段を「のぼった」とみるべきなんです。中途半端きわまりない上昇だけど、これが日本の実力だった。自分では改革できずに、敗戦でよその国に変えてもらった戦後日本の正当な取り分は、これだった。そう受け取るべきなんです。

 

 

 

だから僕は、国民主権というものを前提にした象徴天皇制に立って、少なくとも戦前の天皇制を否定するところが、いまの日本の、それこそ国民の総意というものがおかれている場所だと、そう認識する。(略)

 

 

天皇が平成期の天皇として昭和期との違いをはっきりさせないまま、いま存在しているけれど、実は、昭和天皇が死んではじめて、一身で一体を現す最初の完全に戦後型の象徴天皇が現れている。平成の現天皇昭和天皇とではその点がまったく違っているのです。(略)

 

 

この象徴天皇と主権者である国民がどういう関係を結ぶのかということが、実は昭和天皇が死去したあと、国民に問われていた。もう十年前から問われていた。でも誰一人そのことに気づかなかった。そういう局面に僕たちはいるんだと思うんです。(略)

 

 

僕は、天皇の戦争責任を過不足なく、戦後の国民主権象徴天皇制の名において明らかにすることが、共和制への移行のための「国民の総意」形成の第一歩になると思う。

 

 

竹田 なるほど。いまの説明はとてもわかりやすいかたちになっていたと思うけれど、独断的に言うとこんな感じで受け取りました。つまりわれわれはともかくいま天皇というものをもっているが、それはのんべんだらりと同じものとして続いているのではない。(略)それははっきり違う存在になった。そのことを国民も天皇も明瞭に自覚するだけでなく、いわば「表現」することが大事だ。(略)

 

 

 

すると、かつての天皇制というものを日本の諸悪の根源というようなことではなく、不十分な市民社会だった戦前の日本国家の単なる法政治制度の一部としてだけ考えるのがいい、と言っている気がします。(略)そのことにふれつつ、共和制に移行することが望ましいと考えていることにも入っていってもらいたいと思うんですけど。

 

 

橋爪 まず、共和制に関して言うと、これはメモのなかでも付録にあたり、ここが私の言いたいことの中心ではないんです。今回の焦点は、天皇の戦争責任ということだから、私はやはりそれを議論したい。(略)

 

 

つぎに、天皇の戦争責任ですが、まず、なぜ天皇に責任があるようにみえるかというと、それは明治国家がつくられたそのつくられ方にあると思うんです。(略)これまでも縷々述べましたが、別の言い方をすると、明治国家が神聖国家だからです。

 

 

国家機関である天皇が、同時に人間を超えた神であるという含意を与えられ、そのかぎりで主権者になるという構造があった。つまり、国家がそのまま教会なわけです。ですから、国家はたしかに法律で動いているけれども、同時に天皇に対する信仰をもち、天皇が神であると考え、天皇の命令であればこれは国家の命令だから、それに従うのは臣民の義務であるというふうに人々に信じさせ、国家も動く。そういう神聖国家というメカニズムをとっていたから、天皇に責任があるようにみえる。(略)

 

 

 

彼は天皇になるために訓練された人間なので、その期待に応えるよう、ひとつの機関としてふるまった。しかし、その行為は同時にそれを超えたものとして、ひとつの神聖国家の主体として、一般の人間にはみえるわけです。(略)

だから、そういう意味で彼に、あらゆる選択や責任やもろもろのものがおおいかぶさってくる。国内においてもそういう像を結ぶわけだから、ましていわんや外からみれば、侵略された国からみれば、そういう実像をもって映るはずです。

 

 

 

しかし、天皇自身は個人としてどういう人間だったかというと、天皇は完全な合理主義者として訓練された規律訓練の塊で、天皇としてどのように行動するかというフォーマットでできているような人間だから、彼自身は尊皇主義者では当然ありえず、皇祖皇宗に対する敬意や義務感はもっているけれども神秘主義者でもない。

 

 

 

そういう意味で、彼自身には、自分の神秘性はみえないように出来ている。そこに、天皇をとりかこみ、仰ぎ見る人びととのあいだの大きなギャップがあるわけですね。

私は、天皇という場所に座らされた選択の余地のない個人の、行為責任や実存的責任を追及するという立場はとりたくない。

 

 

とりたくないというのは、その神聖国家を解体してそれを象徴というかたちにうつしかえて、日本国という国家を民主主義のルールで運営するようになった、主権者としての日本国民のプライドだと思う。

いわば、規律訓練の塊であった天皇個人には、神聖国家のなかで像を結ぶオーラとして以上の責任というものはない。彼は赤裸々な一個人であり、非常に特異な圧力のもとで規律訓練されているけれど、言って見れば普通のおじさんです。

 

 

そして、それが象徴天皇に移行して、現在の民主制の正統性の基礎を与えている。そういう実像をよく認識することが必要です。そのために彼は、生涯を費やして、その椅子に凡人として座り続けた。そういうことも含めて、日本国民が戦後にいたる日本国の来歴を自己認識するべきだというのが私のスタンスです。

 

 

そうするとどういうことが起るかというと、日本が象徴天皇制を取り続けるならば、天皇の死によってその椅子が空位になったときは、次の人間がそこに座らなければならない。その人間が死んだら、さらにその次の人間がそこに座り、ずっとそうやって日本国民の間から、そこに座る人間を調達していかなければならない。

 

 

けれど、天皇というのは人間でありながらいわば人間であることを禁じられているような存在ですから、そのことにはかなり限界に近い苦痛があるのではないかと思う。具体的に言うと、誰か女性が皇室に嫁がなければならないんだけど、それが犠牲的な行為みたいになってしまっているでしょう。

 

 

跡継ぎが生まれそうもないとなるとたいへんなプレッシャーになるし、やがて皇室典範を改正して女帝を認めるとか、そういう話も出てくるかもしれない。けれど、そこまで考えていくのであれば、もうそろそろそういう椅子に個人を選択の余地がないかたちで座らせていくということはやめて、象徴天皇制が戦後日本を基礎づけるという、その効力はもう十分わかったから、この際憲法を改正して、次の段階(共和制)に移行してもいいんじゃないか。そういう流れなわけです。

 

 

(略)」

 

 

 

天皇の戦争責任(第三部  敗戦の思想)

〇 この「天皇の戦争責任」は、第一部 戦争責任、 第二部 昭和天皇の実像、

第三部 敗戦の思想と三部からなっていて、やっとここまで来ました。

最初は多分、最後までは読めないだろう、と思っていました。とても厚い本だし、

内容が私には難し過ぎる。

 

特に、加藤氏の言っていることが、ほとんど理解出来ません。なんとか、飛ばし飛ばし、読んで来ましたが、この三部が一番ハードルが高くて、読んでいても、少しも頭に入らない。そこで、大幅に省略することにしました。

 

第三部は、侵略とルール違反、天皇有罪論/無罪論、戦争の死者は英霊か/犠牲者か、

民主主義と象徴天皇敗戦後論、脱天皇論、の小見出しに分かれています。

その中の、戦争の死者は英霊か/犠牲者か、民主主義と象徴天皇敗戦後論、脱天皇論の四つについて、メモしておきたいと思います。

 

 

「戦争の死者は英霊か/犠牲者か

 

加藤 では、戦争の死者について考えます。

まず質問になっちゃうんですが、それから始めていいでしょうか。この対談を始める前に、橋爪さんと僕は、おたがいにメモというか、簡単なレジュメのようなものを交換してします。そこで僕がもらったメモのなかに、橋爪さんは、「戦後日本の戦争責任とはなにか。三百万人の死者をどう考えるか」という問いに続けて、「天皇の命令で、戦地へ赴いた人々は断じて正しい。それは、公民としての義務である」と書いている。

 

 

 

橋爪さんは、これと同じようなことを、竹田さん、小林よしのりさんとやった鼎談 「ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論」のあとがきにも書いていて、それを読んだ時、「こういうふうに言えるんだろうか」と僕は思った。ここは、僕と橋爪さんが、だいぶ違うところだと思う。だから、橋爪さんに「なぜこういうことが言えるのか」ということを話してもらって、そこを切り口に僕の考えを言って見ようと思います。

 

 

橋爪 わかりました。

こんなふうに、考えてみましょう。昭和十八年か十九年に私が徴兵年齢だったとして、家族もあって、それなりにものごとを考えていて、新聞も読んでいて、それで赤紙がきたとする。そうすると、いろんなことを考えると思います。

 

 

まず真っ先に、戦争に行けば死ぬ可能性があり、死んだあと家族がどうなるかということを考える。それから、この戦争が正義の戦争なのだろうかということを考える。大東亜共栄圏とかアジアの解放とか、そういうイデオロギーがいろいろ宣伝されているが、どうも嘘くさく、実態としてはだいぶ違うようだと考えるかもしれない。

 

 

戦争をこのまま続けて勝てる見込みもないし、中国の戦線から帰って来た人たちに聞けば、そうとう非人間的なことを兵士としてさせられる。普通の良識ある市民、社会人として生きることを大事に考えてきた私の生き方とたいへん違っていて、実に困ったことだし、いやなことでもある。

 

 

だけど、ここで応召する以外、ほかにどういう方法があるだろうか。となりのおじさんも応召していて、このあいだ戦死して遺骨が帰って来た。いま、私が逃げ出せば、戦争が終わり平和になるのかと言えば、そういうことでもない。いろいろ悩み考えて、それで苦慮の末、やはり戦地に赴くのではないだろうか。

 

 

良心的兵役拒否というような制度がある国なら別ですが、少なくとも日本帝国憲法のもとではそういう規定はなく、すべての人たちがいろいろな犠牲をはらいながら、その任務を分担しているわけです。そこから自分だけが降りてよいというふうには、たぶん考えにくいと思う。(略)

 

 

 

加藤 わかりました。でも、そうだとするなら、僕は戦争に赴いた人々を「戦争に赴いたということをもって断罪するのは断じて間違っている」という言い方になると思います。それだったら問題はない。だけど、橋爪さんの言い方だと、この戦争がどんな種類の戦争であろうと、天皇の命令で「戦争に赴いた人は断じて正しい」ということになるでしょう。

 

橋爪 それは、いわば現代ルールだと思う。

 

 

加藤 (略)なんで「正しい」という言い方になるんだろう。

 

(略)

 

 

橋爪 (略)なぜ「正しい」と言うのかというと、みんながそういうふうに分担しながら、ひとつの国家を担っているからです。戦後の日本国であれ、大日本帝国であれ、アメリカ合衆国であれ、みんな同じ論理で、公民としての義務を分担している。侵略戦争であるとか、自衛戦争であるとか、それから反ファシストせんそうであるとか、そういう戦争の種別の違いはあると思います。しかし、これは侵略戦争だから私は行かないとか、これは反ファシスト戦争だから喜んで行きますとか、そういうレヴェルではないところで、この公民の義務は発生してくる。そういう不幸なメカニズムがあるんじゃないですか。

 

 

そういう「正しい」行為を黙々と行った人々の、正しさの延長上に戦後の日本国もある。戦争を防ぐんだったら、もっと別のところでやるしかないのであって、戦争になって召集令状がきたときではもう遅いんです。

 

 

竹田 たとえば極端な話で言うと、ナチス政権下で、あるドイツ人が民主主義的な考え方を持っていたとする。(略)自分たちのやっていることはあまりにもひどい、明らかに間違った戦争だと、その人は考えている。そういう人がいたとして、それでも徴兵がきたらそれに従うことが正しい、それに従わなければ間違っているということになるかな?

 

橋爪 いや、従わないから間違っている、とは私は言いません。

 

 

竹田 橋爪さんの言い方は、ちょっとそういう意味に聞こえるふしがある。(略)

 

 

(略)

 

 

竹田 なるほど、それはよくわかる。間違った軍国主義にかぶれて悪い戦争にいった日本の兵士たちはみな悪かった、という言い方から彼らを擁護しようとする橋爪さんの姿勢も「断じて正しい」と思います(笑)。でも、その「断じて正しい」のポイントはなんだろう、という感じがやっぱり残る。

 

 

つまり、そのポイントが当時の「合法性」から言って、ということだとしたら、天皇の法的責任なしというのとほとんど似てるよね。「三百万人の死者は戦争に加担したんだ」という言い方は、僕も全然認めない。だから橋爪さんとは、その先のところで違いがある。

 

 

橋爪 戦死者の内実ということなんですが、ふたつの考え方に反対したいと思うんです。

ひとつは、軍部が悪く、軍部が国民を操作し、国民を騙し、そして戦争に参加した人たちは騙されて戦争に連れ出されて死んだ犠牲者であり、彼らに罪はないというもの。私はこういう考え方はしたくない。なぜかというと、もちろんいろいろ情報が不備だったかもしれないけれど、彼らは精一杯に判断し、精一杯にコストを担うつもりで、主体的に積極的に戦争を担おうと思って線上に赴いていると思うのです。

 

 

 

そこまでの決意がなければ、あれだけ厳しい戦地で、絶望的な状況で、戦線をもちこたえたりするなんていうことはありえないわけですよ。だからそういう意味では、たいへんに主体的に参加している。騙されたという言い方は、彼らの人間性を冒瀆するものです。

 

 

しかし、もうひとつ、逆にどういうことを私は言いたくないかというと、あれは大東亜戦争だった、アジア解放の戦争で聖戦で正しかった、彼らはそれを真に受け、そしてそういうイデオロギーに鼓吹されて、尊皇主義者ないし天皇主義者として、そういう人間として戦地に赴いて死んだんだと。

 

 

こういうふうにも私はまったく言いたくない。大部分の兵士たちは、そんな宣伝がでたらめであり、いい加減であり、軍部の指揮系統もどうしようもなく、まったくめちゃめちゃで、自分たちは犬死のようなものだと参加したんだと私は思う。

 

 

 

そのふたつの中間に戦争を担った人々の実態があった、疑念や不満をもちつつも義務をひき受けた人々の信念があった、ということを言いたいのです。

 

 

加藤 でも、それだったらこの書き方は違うと思う。僕には、この橋爪さんが書いた「天皇の命令で、戦地に赴いた人々は断じて正しい。それは、公民としての義務である」という二行は、小林よしのりが言っていることと同じに読める。小林氏が言っているのは、「断じて間違ったいる」ということのまったくの裏返しでしょう。でも、「断じて正しい」という言い方と、「断じて間違っている」という言い方は、両方とも間違っていますよ。

 

 

 

そもそも、天皇の命令で戦争に赴いた人々を、その事実をもって非難したり、ほめたりすることが間違っていると思う。その行為が、どのようなその人の判断の結果だったかはわからないし、後から述べるように、僕たちはそうできるほど戦争の死者たちのメタレヴェルに立っているわけでもないからです。(略)

 

 

 

とにかくここでは国民を批判することによってではなく、むしろ国民の名で、国家の不正を批判する回路をつくることが肝腎だと思うのです。でも、国の不正が、そこに生きる国民に自主的に判断されるだけの材料がそもそも与えられないということもあります。僕は第二次世界大戦時の日本はそういう事例だったと思います。その場合、大多数の国民がその点で戦争の性格を把握しそこなったこと、間違ったことには、動かし難さがあったと考えるのが妥当じゃないでしょうか。

 

 

したがって、僕達が考えるべきことは、戦争の死者についていうなら、彼らの行為を「正しい」と評価することでも「間違った」と否定することでもなく、その彼らの「間違い」を、動かし難さの相で受け止め、これに学んで、今後は同じ状況におかれても、この難関をクリアーし、誤らないようにする、という仕方を作り出すことだと思うんです。

 

 

 

三百万の死者は犠牲者だという言い方と、それは英霊だという言い方と両方あるけど、本当はそのどっちでもない。死者たちをなんとか救いだそうとして、この死者たちはこういう死者たちだったと一方的に決めてしまうと、それもやっぱりまずいという気がする。

 

 

(略)

 

 

加藤 (略)

三島由紀夫昭和天皇が戦争の死者たちを裏切っていると言いましたが(「英霊の聲」本書65頁 「注」参照)、そんなことを言うなら三島も、僕たちも、みんな戦争の死者とはそういう関係にある。(略)

 

 

 

では僕たちと戦争の死者たちはなにでつながるのだろう。

僕が、これまでの「戦争の死者は犠牲者だ、彼らの死に報いるためにも二度と戦争を繰り返さないようにしなければならない」という戦後民主主義的な考え方を欺瞞だと思うのは、ひとつは、橋爪さんが言うように、そこに戦争の死者への冒瀆に似た一方的な見方があるからですが、もうひとつは、そういう彼らの言い方に、戦後へと生き延びた同時代者たちの自己欺瞞が隠されているとおもうからです。(略)

 

 

でも、戦後の人間と戦争の死者をつなぐのは、両者がともに「国家にだまされた」無垢な存在だということではなく、両者がともに「間違った」有罪の存在で、だけどもその「間違い」には動かし難さがあるのではないかという点です。(略)

 

 

 

戦後民主主義の論者たちは、ほぼ例外なくこの点をすっとばして、あたかも自分は彼岸の存在で、ずうっと平和主義者であったかのように、彼ら戦争の犠牲者のためにも平和を、と論を立てた。(略)

その点から言えば、この「間違い」の動かしがたさという点は、天皇評価でも重要な要因になる。(略)

 

 

 

橋爪 天皇が死者たちにどういう態度をとったとか、なにも言わなかったとかを、どうしてそんなに問題にしなければならないのだろうか。天皇というのは、そんなに仮託して考えるとうまくいく場所なんだろうか。

 

 

これまで述べたように、天皇は日本人のなかで特異点のような、特別な位置を占めていて、その責任を考えるにせよ、その人格や行為を考えるにせよ、目立つけれども、非常に考えにくい人なのです。それよりもむしろ普通の人間が不通に考えた場合にどうなるか、というところで議論したほうがいいように私には思える。

 

 

普通の日本国民がこの三百万の死者たちに対してどういう態度をとっていくかとか、どういう態度がとれなかったとか、どういうふうに考えるべきなのかとか、そういうことがすっきり解決つきさえすれば、天皇のことなんてどうだっていいじゃありませんか。むしろそのことを考えていくことのほうが大切ではありませんか。

 

 

 

もうひとつ、加藤さんの議論で感じるのは、死者をうまく抽象していないということです。私が断じて正しいと言っているのは、出征した軍人が公民としての義務を果たしているという点であって、彼ら個々人の行動の何から何まで正しいと言っているわけではありませんよ。何から何まで断じて正しい行動をする人間なんて、いるわけがないじゃありませんか。(略)

 

 

しかし少なくとも、そんな場におかれてそのような非人間的なふるまいをするということは、その結果生き延びるにせよ、あるいは死亡するにせよ、本人にとっても不本意なはずで、哀れなことではありませんか。そうした行為の系列全体は、彼が公民としての義務に応え出征しなければ、生じないはずのことだった。彼がしなければ、ほかの誰かがせざるをえなかった。(略)

 

 

三百万の死者という場合、彼ら個々人の行動の個性や差異は相殺し合って捨象され、こういう側面が骨格として取りだされることになるのだと思う。そしてその側面は、この前の戦争が侵略であるかどうかと無関係に、国際ルール違反であるかどうかと無関係に、戦後の私たちのいる場所と直結すると思うのです。

 

 

誤解のないように言っておけば、以上のように考えたからと言って、侵略戦争の問題や戦時中の不法行為の問題が、不問に付されるわけではありません。むしろ、死者たちの死の意味を肯定的に受け止めることと、死者たちの行為を批判的に検証する作業とが、それではじめてきちんと両立するようになるはずなのです。

 

 

 

 

加藤 僕はそのようには戦争の死者を抽象しません。またアジアの無辜の死者の存在はこういう抽象に抵抗すると思います。でも、この点を除けば、こういう出発点に立つことで、死者たちの死を肯定的に受け止めることと、その行為の批判的検証がはじめて両立する、という橋爪さんの趣旨に全面的に賛成です。」

 

 

〇 「これに学んで、今後は同じ状況におかれても、この難関をクリアーし、誤らないようにする、という仕方を作り出すことだと思うんです。」と加藤氏は述べているけれど、今の情況は「国の不正がそこに生きる国民に自主的に判断されるだけの材料が与えられない」という点で、当時と同じになっています。

 

どうすれば、この難関をクリアーし、誤らないように出来るのか。

 

三権分立が機能していれば、司法が国の不正をチェックし軌道修正できるはずなのに、その司法が機能していない。

 

第四の権力と言われている報道機関も権力に取り込まれている

(安部官邸とテレビ)

 

本当に危ないと思います。

同じ過ちを繰り返す条件が揃いすぎています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

「人間天皇

 

加藤 なぜ僕が昭和天皇の評価を過不足なく行なうことが大事だと考えるか、その理由は次のようなものです。

僕は、天皇のことを考えるには、やはり現憲法の規定が媒介になる、そのことを考えた方がいい、というように思っています。(略)

 

 

 

これがなにを示しているかというと、戦後の憲法の第一条に規定されたあり方は、実は、平成になってはじめて、実現しているということです。

戦後憲法は、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定しています。

 

 

ここでの国民主権とは戦前型の天皇主権の否定ということです。したがって象徴天皇制とは、これまでの戦前型天皇制とは違う、これと対立する、それへの否定を含む天皇制ということになる。ところが、戦後のうちの昭和天皇の時代、つまり斜線部分の時期は、昭和天皇という個人が、戦前型天皇制における天皇でかつ、戦後象徴天皇制における天皇であるという一身で二体を現すかたちで存在し、さらに彼自身が自分の戦前部分を明確に自己批判しないままに、戦後の象徴天皇であり続けた。

 

 

そのために、戦前型天皇制の否定としての戦後型象徴天皇制というありかたは、憲法にはっきりと明記されているにもかかわらず、現実には存在しない、という状況が生まれていた、と考えられます。(略)

 

 

 

これは日本国民ではないけれども、一九七五年九月に「ニューズウィーク」の記者が「陛下の戦前と戦後の役割を比較していただけませんか」と質問している。それはその意味に受け取れる。それに天皇は、「精神的にはなんらの変化もなかったと思っています」と答えています。

 

 

橋爪 その発言は、本当に正直な天皇の気持ちであると思います。彼は、戦前も、戦後も、変わるところなく憲法に忠実に行動しようとしてきた。変わったのは彼ではなく、憲法のほうなのです。(略)

もうひとつ言えば、加藤さんの「天皇がほんとうはなにを考えているか」という内面に関する追及の視線は、皇統派青年将校とうりふたつであるという気がする。

 

 

 

加藤 いや、皇統派は天皇を神と考えたからそう思ったのでしょう。僕が言うのは、天皇が人間になったというのは、ただの人になったということで、当然、そういう問いをもさしむけられるべき存在にかわったということなんだということです。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 それは話が逆ではないだろうか。戦後日本の主権者は日本国民なのだから、謝罪したければ日本国民が誤ればいい。また、日本国民が謝らなければ、謝ったことにならない。いくら戦前の主権者だったからといって、天皇が国民をさしおいて謝ることはできない。天皇はそういうことを、よーくわかっていますよ。加藤さんの考え方こそ、ぜんぜん戦後的価値観にりっきゃくしていないじゃない。(略)

 

 

(略)

 

橋爪 もしそういう言い方をすれば、天皇は人間であることを許されていない存在なんだよ。

 

 

加藤 人間じゃない存在?それは違うでしょう。そんなのは認めない。戦前の天皇が人間になった。そして象徴天皇として、いま、そこに存在しているわけだから。戦前なら、僕はこんなバカなことは言いませんよ。だって天皇はたしかに人間じゃないんだからね。(略)

 

 

橋爪 そんなものが戦後社会を生きるうえでの基準になると思うところが、全然、わからない。なぜそんなに天皇に依存しなくてはいけないんだろう。加藤さんは、「謝罪しないからけしからん」というけれど、それは戦後的世界に価値観をおいている者が言ってはいけないことだと私は思う。なぜかと言えば、天皇は戦前のような主権者としての天皇ではなくなって、象徴天皇になったけれども、日本国憲法という空間のなかでは依然として公人であり、一歩もそこから降りるわけにはいかない個人であるわけです。(略)

 

 

加藤 ということは、天皇自身は謝罪したいと思っていたんだけれども、そういうことは公人としてはできなかったからしなかった、という判断なわけ?

 

 

橋爪 そうではない。個人として謝罪したいと思っているとかいないとか言うことが、公人としての発言と受け取られてしまうといけないから、そもそも個人としての発言を差し控え断念するという立場を引き受けている、ということなわけです。(略)

 

 

加藤 いや、僕はそう思わないな。(略)

ここにいう「子孫」とは自分の子孫ということです。天皇にとって責任とは、自分の皇祖皇宗に対する責任である、というそのことしか念頭におかれていない。つまり、国民との関係、そして他者とのコミットメントについての感度は、脱落している。やっぱりこれを聞くと、ちょっとぎょっとする。(略)

 

 

橋爪 加藤さんが「ぎょっとした」ことに対して反論すれば、それで何が悪い。皇祖皇宗に対する責任というのは、天皇天皇たるゆえんの中心的なところなんですね。(略)

 

それに、「祖先から受け継いだこの国を子孫に伝えることである」と述べたのを、「皇祖皇宗のことしか考えていない」、とパラフレーズ(paraphrase 他の言葉におきかえて解釈すること)するのはフェアでないですよ。「子孫」も、文学的に読めば、将来世代の日本国民という意味です。ここは端的に、大日本帝国と日本国との連続性に責任をもっている、とも読めるでしょう。(略)

 

(略)

 

橋爪 加藤さんは、私の考え方は天皇がそう述べている証拠がないから、解釈にすぎないと言う。でも、私の考え方が正しければ、天皇が自分の考えを加藤さんが満足するかたちで述べるはずがない。言明がないということ自身が、天皇がそう考えているという証拠になるのです。」

 

 

 

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

「退位

 

竹田 終戦後、天皇が退位せずにとどまったことについて、橋爪さんはどう考えますか?

 

 

橋爪 退位すべきだったという議論がいろいろあります。しかし私の考えでは、退位しないのは正しかった。天皇がそれを選択しなかった理由、退位を考えなかった理由として一番大きいのは、大日本帝国憲法にも新憲法にも退位の規定がないことによると思う。もし退位したならば、超法規的な行動になってしまうわけだから、できない。

 

 

 

加藤 うーん、それは僕にはほとんど説得力をもたない。なぜかというと、天皇のごくごく近くの側近が天皇に退位を勧めている。(略)

そうして木戸は、自分は無期懲役の判決を受けて、巣鴨プリズンに収監される。その彼が、一九五一(昭和二十六)年にサンフランシスコ講和条約が結ばれたとき、「いま天皇が退位しなと国民の皇室への信頼という点で将来に禍根を残す」と考え、そのときの侍従官を刑務所に呼んで、「天皇陛下にいま辞めるべきだと言ってくれ」と伝言している。これは木戸の尋問調書にでてきます。(略)

 

 

なにより天皇自身が、退位の希望をもったけれども、吉田茂首相に反対されて辞められなかったと言われている。また、講和条約が発効されたときは、「あえて自らを励まして、負荷の重きに耐えん」という言葉を残している。ようするに退位を選択肢にくりこんだうえで、そうはしないことにする、という意思表示をしている。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 合法的にできればいいですよ。だけと、皇室典範は、退位を認めないという原則でできているわけです。なぜかというと、天皇が誰であるのかに、明治国家の正統性は大幅に依存していますよね。もし天皇の身分が退位というかたちで他の人間に随時譲渡されるようなことがあれば、大きな問題を生むと憲法の制定者は考えた。日本の過去の歴史が、それを示している。それで皇室典範のなかに退位の条項をつくらなかった。だから、大正天皇が非常に病弱で、記憶が曖昧になり、身体の自由がきかず、理解力がなくなっていった晩年には、皇太子の裕仁が摂政になって任務を代行した。そして大正天皇は、ずっと皇位にとどまりつづけた。こういうやり方でやってきたわけです。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 天皇は、合法的に行動しようとする人ですから、退位の規定がなければ、退位はできないと考える。そこで、退位したいという気持ちがあったとしても、それを個人の私情として表に出すことはないのです。(略)

 

 

日本国憲法が正統なのはなぜかというと、これは法形式論ですけれど、それが大日本帝国憲法の改正憲法で、大日本帝国憲法の定める改正手続きによって帝国議会で審議されて、合法的手続きによって効力をもったからです。(略)

 

 

ですから、この憲法の連続性を保証する担保は、天皇の人的な連続性ということになる。日本国憲法の第一条から八条まで天皇の規定があるでしょう。そこでの天皇は何を意味するかといえば、それは旧憲法でも天皇であった人、という意味にならざるをえない。ですから、もしある時点で退位をしたとすると、その連続性が法的には説明のつかないかたちで途切れることになって、退位したことそれ自身も、戦後憲法の正統性に対する不満や疑義や拒否という意味合いを政治的におびざるをえない。そう解釈される可能性がある。

 

 

加藤 とても面白いアイデアだけど、退位によって人的持続が途切れるというのはどういう意味かなあ。退位しても皇太子がいるから皇統は続くわけでしょう。

 

橋爪 それは憲法の規定によって、正しい継承ではなくなるわけ。

 

 

加藤 それこそ天皇家の皇統というのは、継体天皇から数えるなら六世紀から続いてきていて、そのあいだ何人も退位しているわけです。殺し合いもやっている。(略)

 

だからこそ、人的に昭和天皇が、戦前と戦後の連続性を確保しようと退位しなかったというのは、考え方としてありうると思う。いいですよ。だけど、独立したときには、日本に決定権が戻ってくるから、そのときには問題は次のステージに移る。なんとか戦前と戦後の連続は昭和天皇という人的なつながりで補完された。しかし、今度は戦前と違うどういう戦後日本を日本国民がつくるか、という課題に答えなくてはならない。

 

 

 

そこから国民に対する昭和天皇の道義的な責任などの問題があらためて浮上してくる。これを解決するのにふさわしい時期だ、という判断から、講和条約発効時に、各方面から「いま退位すべきだ」という意見がでてくるわけです。(略)

 

 

橋爪 いや、私が天皇だったらどういうふうに考えたか、と考えてみると自然に……

 

加藤 橋爪さんはそう考えるかもしれないけれど、橋爪さんが天皇になるにしては、ちょっと論が勝過ぎているんじゃないかなあ(笑)。

 

橋爪 私は天皇じゃないから(笑)。

 

(略)

 

 

加藤 最後の点はちょっと強弁じゃないかな。僕は、いままでの天皇の戦争責任追及の流儀が天皇への甘えだ、というのは、橋爪さんと同館なんです。どこで橋爪さんとわかれるかというと、もう何回か言っているけれど、では、どうすることがいままでのやり方を解体することにつながるのか、というところだと思う。だから、天皇の無罪を強調する橋爪さんの議論は、。橋爪さんの目指しているものから言ったら、逆効果だと考える。

 

 

竹田 意見を言わせてもらうと、橋爪さんのモチーフが少しつかめてきた気がする。(略)だけど、そんな証拠はどこにもないからそれは変じゃないかと思っていたんだが、しかし橋爪さんが言いたかったのはそういうことではなくて、天皇は「合憲法的でなくてはならない」というマキシム(maxim 格率)をはっきりもっていて、そういう原則で動いているのだから、退位しないのは彼自身の理由からだと言いたかったんだ。

 

 

橋爪 そうです。退位するというのは、公的な行為だから、公的な根拠がなければできないことなのです。

 

 

(略)

 

 

もし占領下でなければ、正統性の維持という問題は一般に起こらない。だけど、占領下という文脈のなかであれば、これが合法的に行われて、占領が解除されたあともそのシステムが維持されることが一番大事じゃないですか。これは、欺瞞といえば欺瞞ですよ。(略)

 

 

 

でも天皇は、その内部での役割ということを、充分理解して行動していたと思う。天皇がそれをきちんとやりとげないで、誰が戦後日本を信じるだろう。だから退位という選択は、さきほどから言っているように、その規定がないことによって彼には禁じられたわけで、いわばそういう部屋に彼は閉じ込められた。

 

 

退位すれば、単に自分のつとめを放棄するだけでなく、自分の信念を破壊することになるのです。戦前もほとんど自由はなかったが、戦後もますます出口のない憲法という部屋の中に閉じ込められて、退位という自由が彼にあったのなら、彼はそこでどういう条項が自分の退位の理由になるのだろうか、自分はそれにあてはまるんだろうかと、色々考えたと思うけれど、そういう窓が閉じられた部屋のなかにいる以上、この場所にいることが自分の任務だと思って、個人的な感情を乗り越えて、その任務を全うしたんだと私は理解している。(略)

 

 

(略)

 

 

加藤 (略)橋爪さんが言っていることは、ひとつの考えとしては了解できるけれど、天皇自身の意思表示がともなわないかぎり、一個の解釈にすぎない。

 

 

橋爪 解釈でもかまいませんが、さらに先を述べます。

アメリカ軍の占領政策として、天皇をどう処遇するかが問題になりましたが、ひとつの可能性は天皇の責任を問い処罰する、つまり死刑にすることでした。しかし、それはとらなかった。

 

 

 

とらなかった理由のひとつは、これは私の説ですが、アメリカが日本のナショナリズムの復活を恐れたからだと思う。(略)ローマ帝国は、ユダヤを属領とし、総督を派遣して統治したんだけれど、間接統治で、そのローマ総督のもとに現地の王もいたし議会もあったという統治形態をとったわけです。

 

 

そのローマ帝国の属領であるユダヤで、ある宗教団体の指導者を法律違反の咎で処刑したことがあったわけです。そのあとどうなったかというと、その処刑した人間が犠牲者となり、殉教者となり、彼らの宗教的アイデンティティの中心となってさまざまな地下活動の根が広がり、ローマ帝国の内部にはびこって、最終的にローマ帝国が滅びても彼らはまだ生き残っているわけです。

 

 

キリスト教ととしてね。それぐらい強烈なファナティックな運動が起こり得るということを、アメリカ人は子供のころから「聖書」を読み慣れていますから、なんとなく気配で感じる。(略)

 

 

日本人にとって天皇が絞首刑にされることは、我々にとってキリストが十字架にかけられることと同じである」。これがマッカーサー、ひいてはアメリカ政府に影響を与えるのです。

 

 

(略)

 

 

 

加藤 わかった。問題を変えよう。橋爪さんは、天皇は退位することを考えていたと思う?

 

 

橋爪 もちろん終戦を機会に、天皇が、退位を含めて自分の身柄や天皇制の将来など、あらゆることを考えてみたのは確かなのです。たとえば、マッカーサーが厚木飛行場に到着する前日の八月二十九日には木戸内大臣に、「戦争責任者を聯合軍に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納めるわけには行かないだらうか」と相談してとめられている。

 

 

九月二十七日にマッカーサー司令官に会見した際は、「天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任をもつつもりだと述べた」と記録されています。(略)

 

 

(略)

 

 

加藤 うーん、そうだね。自分は合法的にやってきて、それに自分は正しいとアイデンティティがあるんだったら、橋爪さんの論理からは、天皇は退位ということは考えなかったということが出てくる。僕が「思考実験者ないでしょうね」と言ったのは、普通は天皇の名の下にこれだけ多くの人間が死んでいるんだから、たいていの人はまず「この人は、そのことをどう思っているんだろう」と感じるんだと思うんですよ。

 

 

橋爪さんの想定にこの「はじめの疑問」がないから、そう思うんです。(略)

 

 

(略)

 

 

橋爪 (略)マッカーサーとの会見でも、その一端はうかがわれるわけですが、さらに傍証を言えば、マッカーサー司令部が天皇の証人喚問を断固拒否したことなのです。東京裁判の首席検事だったキーナンは、こう述べています。「もし天皇を証人として証言台に立たせたら…… 天皇が「こうしてここにおる被告は、東条以下全員、朕の命令で戦争を遂行した。どうか朕を訴追して、これは全部釈放してもらいたい」、こういわれたらどういうことになる?

 

 

拍手喝采して大喜びのやつは大勢いる。しかし占領改革はそれでぺしゃんこになる。だから天皇は証言台に呼べないんだ」。これがマッカーサー側の感触であったとすると、それは天皇と会見した周辺を取材するなかからえられたものだと考えるのが自然です。(略)

 

 

 

加藤 橋爪さんの説は、思考実験としては、つまり、こうも考えられるのではないだろうか、という話としては聞けますが、僕の心証からは、その説には人を動かす軸が欠けていると思います。」

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇の戦争責任(第二部  昭和天皇の実像)

終戦

 

橋爪 じゃあ、終戦の問題にうつりましょう。

終戦の際、天皇が混乱した政府や軍の首脳たちに対して適切なリーダーシップを発揮し、日本を無条件降伏に導いたこと、そして本土決戦→一億玉砕という最悪のシナリオを回避し、日本軍の武装解除を成功させたことは、よく知られています。

 

 

敗戦直後の国民も、このことを認識していて、さまざまな世論調査でも、天皇制を支持するという回答が高い割合を占めています。(読売報知新聞一九四五年十二月九日・九五%、朝日新聞一九四六年一月二十三日・九二%、毎日新聞一九四六二月三日

・九一%)。(略)

 

 

しかし、客観的にみて、そんなに早く講和のチャンスはなかった。そう思われる理由を、いくつかあげてみます。

 

 

 

まず第一に、日本は無条件降伏のような惨めなかたちで負けるということを現実の問題として認識していなくて、いわゆる「一撃論」—— 戦力を一点に集中して敵の主力部隊をひきつけたうえで打撃を与え、戦局を好転させてから講和にもちこむという戦略――の幻想にずっととらえられていた。(略)

 

 

それから二番目は、アメリカの戦争継続の決意が固かったことです。アメリカは、戦局がまだ日本に有利にみえたうちから、日本の無条件降伏と戦後の改革を日程にのせていた。(略)

 

 

三番目に、天皇がその努力をしなかった理由のひとつに、日独伊三国同盟のなかに単独講和を禁止するという条項があるからです。(略)

 

 

加藤 僕のほうからも少し補足しつつ、反論を試みてみます。一番目について言えば、橋爪さんが言うように、天皇は講和への判断において適切ではなかった、もっと早く講和できたんじゃないかという非難がかなりの数、でています。その根拠とされるひとつは、一九四五年二月の時点で天皇が、戦局は非常に深刻だという認識から、特別に時間をさいて六人ぐらいの重臣にあっていることです。(略)

 

 

これに対して天皇は、「もう一度戦果を挙げてからでないと、話はなかなか難しい」、どこかでもう一花咲かせて、それを足場にして講和にもっていきたい、と答える。この時のやり取りは、「近衛文麿」にでています。(略)

 

 

 

橋爪 (略)

近衛の進言は、非現実的なものです。近衛は一線を退いてから何年も経っており、軍や政治の首脳と日頃接触している天皇からみて、なにを言っているのかという感じだった。天皇は、軍が講和の話に乗ってくるタイミングをはかっていたので、決して遅らせたわけではない。

近衛と違って、天皇共産主義を恐れていた証拠はないと思います。あとで紹介しますが、終戦時の決断と、国体護持に関する天皇のコメントがそれを示している。

 

 

加藤 (略)

敗戦前の半年で、戦史者のうちのかなりの部分が死んでいる。また日本の戦死者のかなりの部分が最終局面での餓死や病死であって、戦闘で死んでいる人は思われているほど多くはないと指摘されている。そういうことを考えると、やはり講和の遅れは天皇のミスだという批判がでてくるのは、仕方ないんじゃないだろうか。

橋爪さんは、終戦の際のプラスポイントを、どういうふうに説明するの?

 

 

橋爪 敗戦の直前で本土空襲や沖縄戦、各地の戦闘で多数の犠牲者が出たのは痛ましい事実ですが、日本の戦争能力がなくなるとは、ようするにそういうことを言うのです。

それでさえ、陸軍は本土決戦を主張し、御前会議で意見がわかれ、クーデター未遂事件まで引き起こしたのだから、ギリギリのタイミングだった。残念ながら、ソ連参戦と原爆投下に先立って、降伏を決定することは難しかったでしょう。(略)

 

 

 

大本営というものについて、ちょっと説明すると、日本の軍は陸軍と海軍の二本立てで、指揮系統も作戦参謀部もなにからなにまでわかれていますから、協力して戦争をするのに困る。そこで、戦争になると、陸海軍の連絡・合議機関をつくるのです。

 

 

 

日華事変の場合は、「戦争」ではないのですけれど、実際には戦争ですから、規則を改正してやはり途中から大本営を置きました。ですから大本営といっても、実態(建物や組織)はなにもなく、たんなる両軍の会議なのです。(略)

 

 

出席者は、首相、外相、陸相海相参謀総長軍令部総長の六名。重要事項を審議決定する場合は天皇の臨席をあおぎ、「御前会議」のかたちで開きます。なおオブザーバーとして、枢密院議長が出席し、原則として黙っている天皇の代わりに、いろいろと質問をします。戦争終結を決めたのは、この「御前会議」でした。(略)

 

 

 

けれども軍部、とくに陸軍が強硬に反対し、最後の局面でポツダム宣言を受諾するという意思決定ができそうにない。閣議でも結論がでない。最高戦争指導会議は、その構成員六名のうち、首相の鈴木貫太郎大将、東郷重徳外相、和平派の米内光政海相ポツダム宣言受諾に賛成。阿南惟幾陸相梅津美治郎参謀総長豊田副武軍令部総長が反対で、三対三になってしまう。

 

 

 

そこで天皇の「御聖断」を仰いで、和平に決することにしようというシナリオを立てて、鈴木首相、東郷外相、木戸幸一内大臣天皇の四名で打ち合わせたわけです。(略)

 

 

これがいわゆる、バーンズ回答です。これでいったい国体が守られるのかと、陸軍はなお不服でしたが、「それでいいではないか」と天皇が判断して、ポツダム宣言を受諾すると八月十四日に決定した。(略)

 

 

天皇個人の立場になってみれば、自分の身柄はどうなるのだろうとか、心配すればきりがなかった。しかし、そういう事情は置いて、最高指導部が割れた状況のなか、降伏に向かって日本国を導くため、勇気をもって決断し、終戦を実現させたということは、掛け値なしに評価できるのではないかと思います。

 

 

 

八月九日から十日にかけて、そして八月十四日の、二回の「御聖断」を示した御前会議での行動、そして、今日は時間がないので述べませんが、本土決戦を決定した六月八日の御前会議をひっくり返し、戦争終結へ大きく転回をはかった六月二十二日の御前会議メンバーの会合でのリーダーシップは立派なものだったと思う。(略)

 

 

加藤 天皇のイニシアティヴでしか戦争を終結させることはできない、と講和を望んでいた人たちは考えて、意見がわかれて最終的に天皇の指示を仰ぐというかたちにするために、非常に綿密な終戦工作というか、そういうふうになるようにしむけたということがあるんだけれども、僕も最終的に終戦のときには天皇はよくその役割を果たしたと評価します。

 

 

ただ、このことが天皇の聖断で終戦が決まったという物語になって、それ以外のマイナスを帳消しにしておつりがくる、というかたちになっていることについては、金額を適切なラインに戻したい。(略)

 

 

だとすれば、むろん天皇一人では極めて困難だが、周囲との連携次第では、天皇の意思もまた「親政」

のかたちをとらずに表現できたことになる。このとき以前にも同じことが条件次第では起こりえたことになります。(略)

 

 

 

軍部は「この回答ではわからない、国体がなくなるかもしれないじゃないか」と言い、片方は「いや、これで国体はあると読んでいいんだ」と答えた。そのときに天皇は「自分はこれでいいと思うと言った。つまり、これで国体は護持されたと解釈していいと思うと答えて、終戦を決定している。あとからアメリカ側の事情を知ってみれば、読む人が読めばわかるように、わざとぼかして書かれたものだった。(略)

 

 

たまたまうまくいったけども、一歩間違ったら、全然そうじゃないことだって起きる可能性はいくらでもあった。ここはそういうふうに評価すべき所だと僕も思います。

 

 

橋爪 バーンズ回答でさしつかえないとした天皇は、木戸内大臣に向かって、さらにこう解釈しています。有名なくだりですが「たとへ連合国が天皇統治を認めて来ても、人民が離反したのではしやうがない。人民の自由意思によつて決めてもらつて、少しも差支へないと思ふ」と。イギリスでは、いつでも王室廃止論が語られつつ、王制が国民の支持で今日まで存続しているわけですが、天皇も同様に君主制を理解していると思います。(略)

 

 

 

八月十四日の御前会議で天皇は、梅津参謀総長、豊田軍令部総長、阿南陸相の発言を聞いたのち、八月九日の御前会議の「聖断」(ポツダム宣言受諾)に変わりがないことを述べ、さらに次のように発言している。

 

 

「軽々に判断したものではない。このたびの処置は国体の破壊となるか、しからず、敵は国体を認めると思う。これについては不安は毛頭ない……敵に我が国土を保障占領せられた後にどうなるか、これについて不安はある。しかし戦争を継続すれば、国体も何も皆なくなってしまい、玉砕のみだ……忠勇なる日本の軍隊を、武装解除することは耐えられぬことだ。

 

 

しかし国家の為には、これも実行せねばならぬ……どうか賛成をしてくれ」。これは、抗戦派の阿南陸相らを前にした、命を懸けた、人間として全力を傾けた、必死の説得です。阿南陸相は、皇居を襲撃し戦争を継続するクーデターを計画している畑中少佐らの若手グループとも連絡があり、最後まで迷っていたわけですから、この説得は重みをもちます。」