読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

国体論 ー菊と星条旗—

「 3 戦前国体の三段階

▼ 「戦前の国体」の三つの段階

国体の歴史的軌道を追跡するにあたって示唆を与える議論を展開しているのが、社会学者・大澤真幸の「戦後の思想空間」(一九九八年)である。同書で大澤は、戦前と戦後の並行性を考察しているが、その際に天皇制に言及している。大澤によれば、戦前の天皇制は、天皇と国民の関係性において三つの段階を経過したという。

 

すなわち、明治時代は「天皇の国民」として、大正時代は「天皇なき国民」として、昭和前期は「国民の天皇」として、それぞれ定義できる。(略)

 

 

 

▼ 北一輝の理想 ― 「天皇の国民」から「国民の天皇」へという反転

この定義を反転させたのが、北一輝に代表されるファシズム思想であった。北の「日本改造法案大綱」(一九二三年)の最初の章は端的に「国民の天皇」と題されている。(略)

 

 

 

彼らが社会的矛盾の解決方法と見なした「君側の奸を討つ」とは、天皇と国民との本来の一体性を阻害する邪魔者(具体的には、重臣、財閥、政党政治家等)を取り除いて、天皇を国民の側に奪還する行為であると観念された。その意味で、二・二六事件は「国民の天皇」の観念が最も先鋭化した瞬間を印している。

 

 

(略)

 

 

以上のように、戦前の国体史を最もシンプルに総括するならば、「天皇の国民」から「天皇なき国民」の段階を経て「国民の天皇」へと達したところで、システムが崩壊するに至ったという歴史として把握することができる。(略)

 

 

 

4 戦後国体の三段階

▼「戦後の国体」も戦前の過程を繰り返す

同様のサイクルを戦後史に当てはめることが可能であると想定するのが、本書の方法である(六~七頁の年表参照)。(略)

 

 

 

▼対米従属体制の形成期 ― 「アメリカの日本」の時代

一九五一年の日米安保条約締結は、対米従属体制の形成と確立を促進したが、それは逆に言えば、その体制は当時まだ不安定であったということである。

その不安定性が最高潮に達するのが、一九六〇年の安保改定に伴った安保反対闘争であったが、結局安保改定は実現し、日米の支配層はこの深刻な政治危機を乗り切ることに成功した。つまりは、日米安保体制は安定期へ向かうこととなった。(略)

 

 

そして、この感情と一体をなすかたちで、全共闘運動は展開されることとなる。その終焉を印した象徴的な出来事は、連合赤軍事件(一九七一~七二年)とそれにわずかに先立つ三島由紀夫の自決(一九七〇年)であっただろう。(略)

 

 

 

▼ 対米従属の安定期 ― 「アメリカなき日本」の時代

かくして、戦後は第二期に入る。第一期と第二期を画する出来事のひとつにニクソン・ショックがある。一九七一年のニクソン訪中宣言(米中国交樹立へ)ならびに金ドル交換停止(ブレトン・ウッズ体制の終焉)である。(略)

 

 

結果、一九七〇年代から八〇年代にかけては日米貿易摩擦が激化する。戦後の日本人がナショナリズムを最大限に満足させることができたのは、この時代においてであっただろう。(略)」

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ 世界で最もアメリカに有利な地位協定

その最も見やすい例を挙げるならば、日米安保条約に付随する取り決めである日米地位協定の著しい不平等性である。(略)

 

 

伊勢崎賢治と布施祐仁は、日米地位協定と、さまざまな国とアメリカの地位協定を比較検討しているが、彼らによれば、日米地位協定は、多くの点において「世界で最もアメリカにとって有利な地位協定といってもよい」。

これは、まことに驚くべきことであるというほかない。(略)

 

 

こうした比較は、日本の対米従属の理由が、日米間の現実的な格差(端的には軍事力の格差)でもなく、軍事的な緊急性にもないことを物語っている。

日本よりも明らかに支配力の低い(したがって、アメリカに依存している)政府や、戦争の現実的な危機にさらされている(これまたアメリカに高度に依存せざるを得ない)政府ですらも、日本政府よりも強い態度でアメリカと交渉し、その関係を少しでも対等なものとするよう努力して成果をあげているからである。

 

 

▼ 従属関係を隠蔽する「トモダチ」という妄想

なぜ、このような不条理がまかり通りうるのか。

そこにこそ日本の対米従属において他に類を見ない特徴があるのだが、それは、従属の事実が不可視化され、否認されているところにある。(略)

 

 

「我が国がアメリカと友好関係を持つのは、国益についての冷たい打算のためではない。この関係は、あの戦争における凄まじい殺し合いを乗り越えて果たされた、奇跡的な和解による相思相愛に基づいている」という物語が、これらの用語に、また節目節目に発される要人の発言に、封入されている。

 

 

現在に至っては、この物語の強化は極限に達し、国家元首による外交行事の際にアピールされる事柄は、「元首間の関係が密である」ということ、その一事だけとなるに至った。(略)

 

 

 

諸外国のメディアで「トランプ米大統領にへつらう日本の安倍晋三」がしきりと取り上げられる一方で、日本の国内世論では「米大統領と上手くやっている日本の首相」のイメージが流通してしまうさまは、あまりにも対照的である。(略)

 

 

▼ 「天皇陛下の赤子」から「アメリカからの愛」へ

いかにしてこのような妄想が可能となったのか、またなぜそれが形成されなければならなかったのかという問題は、後に考察される課題である。ここで確認しておくべきは、この「日本を愛するアメリカ」という命題が、大日本帝国における天皇と国民の関係性についての公式的な命題と相似形をなしていることだ。(略)

 

 

 

「国体」は、残骸と化しながら、それでも依然として国民の精神と生活を強く規定している。

 

 

▼ 「戦後の国体」も間もなく死ぬ

だがしかし、この構造は崩壊せざるを得ない。何故なら先にも述べたように、永続敗戦レジームはその土台を喪っているからである。永続敗戦レジームの破産は、「戦後の国体」の破産と同義である。

 

 

問題は、このレジームの清算が内発的に、すなわち大多数の国民の自発的な努力によって実行されるのか、それとも外的な力によって強制されるのか、というところにかかっている。

 

 

▼ 史劇は二度、繰り返される

いずれにせよ、われわれがいま目撃しているのは、「戦後の国体の危機」にほかならない。そのことを認識すると、われわれは日本近代史の総体に関して、ひとつの仮説を立てることが可能となる。

すなわち、それは、「国体の形成・発展と衰退、その崩壊」が二度繰り返される史劇なのである。(略)

 

 

 

 

「国体の形成・発展・死」の反復する過程として近現代日本史の構造的見取り図を与えることが、本書の課題である。」

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ アジアにおける一番目の子分という地位の喪失

他方、政治においては、九〇年代に盛んに喧伝された「アジアへの着地」は頓挫し、対米従属の必然性が消え去った時代において対米従属が昂進するという逆説的事態が進行して来た。

 

 

その間、アジア諸国の国力の増大にともない、アジア地域で突出していた日本の国力の相対的低下が露わになり、それがもたらす焦燥感は大衆の間での排外主義的心情の広がりのかたちをとって現れている。

 

 

対米従属とアジアにおける日本の孤立は別の事柄ではない。それは、冷戦時代からコインの両面として機能してきたのであり、永続敗戦レジームの根幹的な構造をなすものである。

 

 

第二次世界大戦後のアジアにおいて、「アメリカの一番目の子分」の地位を占めることによって、侵略と植民地支配という負の歴史に対して向き合うことを最小限に済ませることが可能となったからである。(略)

 

 

 

▼ 永続敗戦レジームの純化

しかし、われわれがいま、現実に目撃しているのは、清算どころか永続敗戦レジームの原理主義的な純化である。

自民党を筆頭に、政官財学メディアに根を張った永続敗戦レジームの管理者たち(=親米保守派の支配層)は、アメリカからの収奪攻勢に対して抵抗する代わりに、その先導役としてふるまうことによって自己利益を図るようになり、対米従属は国益追及の手段ではなく自己目的化した。その一方、日韓や日中間の信頼醸成があらためて始まる気配は見えない。(略)

 

 

▼ 「平和と繁栄」の「戦後」に執着した「平成」

(略)

そこには、「アジアの先進国は日本だけでなければならない」という、戦後の「平和と繁栄」という明るいヴィジョンに隠された暗い願望がある。それは、明治維新以来の日本人の欧米に対するコンプレックスとほかのアジア諸国民に対するレイシズム(人種差別)の表出にほかならない。われわれは、「敗戦の否認」を行なうことによって、それらの願望と心情を戦後に持ち越したのである。(略)

 

 

▼ 漂流する「戦後」

「戦前」の歴史はしばしば、近代化革命から急速な発展を経て、大きな失敗へと至った、というかたちで物語られてきた。

この物語に相当する語りを「戦後」は未だに持っていない。だが、時間の長さという観点からすれば、われわれがその起源、展開から帰結へと至ったものとして「戦後」の歴史を物語るに十分な月日がすでに流れたのである。(略)

 

 

「戦後」が何であるのかわかっていないのに、そこから「脱却」して、一体どこへ行こうというのだろうか。(略)

 

 

2 史劇は二度、繰り返される

 

▼ 「国体」は死んだのか

そこで本書は、日本近代史についての一個の仮説に基づいて歴史を語ることによって、そのトータルな構造を俯瞰し、「戦後」がいかなる時代であったかという問いに対する答えを模索する。(略)

 

 

▼ 国体護持が生んだ実質的占領の継続

筆者にとって、この問いが鋭く、また今日最重要のものとして突き付けられたのは、「永続敗戦論」を準備する中で政治学者・豊下楢彦の「安保条約の成立—吉田外交と天皇外交」(一九九六年)を読んだ時であった。(略)

 

 

その時アメリカが欲したのは、「我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」(米大統領特使ジョン・フォスター・ダレス)であった。(略)

 

 

豊下の議論は、戦後憲法体制において象徴天皇は実質的な政治介入をしてはならないはずだ、という法律論上の問題の指摘にとどまるものではなかった。

彼があぶり出したのは、昭和天皇の示した方向性が、戦後日本の一般的な次元での体制の在り方を決めていったことの問題性である。(略)

 

 

 

▼ 共産主義への恐怖

昭和天皇が積極的にアメリカを「迎え入れた」最大の動機は、共産主義への恐怖と嫌悪であったと豊下は見る。東西対立が激化するなかで、内外からの共産主義の浸透を防ぐ守護神として、昭和天皇アメリカの軍事的プレゼンスを求めたのである。(略)

 

そこにおいて、天皇の政治介入がどれほどの直接的実効性を持ったかということは、さしたる問題ではない。問われるべきは、戦前から引き継がれたシステムとしての「国体」が、対米関係を媒介としてその存続に成功したこと、そしてそれによって、どのような歪みが日米関係にもたらされたのか(不平等条約の恒久化、対米従属体制の永久化)という問題である。

 

 

豊下いわく、「天皇にとって安保体制こそが戦後の「国体」として位置づけられたはずなのである」。(略)

 

 

▼ 「国体」概念がなぜ有効なのか

そして、戦後史はさらに奇妙なひねりを帯びることになる。

(略)

その後、明白になってきたのは、戦後日本の対米従属の在り方の異様な歪み、その特殊性である。右に見た歴史的経緯のためだけでなく、世界に類を見ない(万邦無比!)特殊性を捉えるために、「国体」の概念が適用されるべきなのである。(略)」

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ アメリカを頂点とする「戦後の国体」

しかし、この状態は奇妙ではあっても、日本国民に果実をもたらした。それゆえに、戦後という時代は、「平和と繁栄」という形容を永らく与えられてきたのである。そしていま、そのことのアイロニカルな帰結を、われわれは目撃している。(略)

 

 

にもかかわらず戦後レジームを護持しようとする、この国の親米保守支配層にとって、いまや精神的権威は天皇ではなくアメリカへとスライドしている。安倍首相が各国のメディアから米大統領に「へつらっている」と評される一方、首相のお気に入りの言論人は「天皇は祈っているだけで良い」と言い放つ。(略)

 

 

現に、政官財学メディアの主流を成す親米保守派の姿は、アメリカの国益の実現のために粉骨砕身しているかのように見えるが、それは日本社会を荒廃させることによって、「国民の統合」を上から破壊しつつある。(略)

 

そして、この体制を支える大衆的基盤に目を転ずれば、現政権の熱心な支持者である右派活動家たちが、街宣行動において星条旗を持ち出す光景は、すでに見慣れたものとなった。

彼らにとって、星条旗は日の丸と同等に、あるいはそれ以上に国旗なのであろう。

 

 

 

▼われわれの立っている岐路

敗戦にもかかわらず天皇制が護持されたことを当時の日本人の大半が喜んだが、そのことの本当の意味が、いま露わになりつつある。「われわれは、われわれの天皇を失いはしなかった」と本当に言えるのかという問いから、もはや誰も逃れることはできない。

 

 

 

おそらくわれわれは、世界史上でも稀な、途轍もなく奇妙な敗戦、すなわち、どのような敗北を喫しているのか敗者自身が自覚できないことによってそこから脱出できなくなるような異常な敗北を経験しているのであり、そのことが表面化してきたのである。

 

 

 

このような状況下で「お言葉」は発せられた。

敗戦国で「権威ある傀儡」の地位にとどまらざるを得なかった父(昭和天皇)の代に始まった象徴天皇制を、烈しい祈りによって再賦活した今上天皇は、時勢に適合しなくなったその根本構造を乗り越えるために何が必要なのかを国民に考えるよう呼びかけた。

 

 

もしもこれに誰も応えることが出来ないのであれば、天皇制は終わるだろう。現に国民が統合されておらず、統合の回復を誰も欲してさえしないのならば、「統合の象徴」もあり得ないからである。あるいは、アメリカが天皇の役をやってくれて、それでいいのであれば、日本の天皇など必要ないからである。

 

 

われわれがそのような岐路に立っていることを、「お言葉」は告げた。

本書の探求が目指すのは、近現代の国体の歴史をたどることによって、この「岐路」の本質を見極めることである。」

 

 

第二章  国体は二度死ぬ

 

1 「失われた時代」としての平成

(略)

▼ 経済成長の終焉— 民族再起の物語の空転

第一には、バブルの崩壊は、戦後ほぼ一貫して右肩上がりであり続けた日本経済の成長期にピリオドを打った。(略)

 

▼ 東西冷戦の終焉— アメリカによる「庇護」から「収奪」へ

第二には、東側ブロックの崩壊による東西冷戦の終焉である。(略)

「日米構造協議」が始まるのは一九八九年のことであるが、この流れは後に「日米包括経済協議」、さらには「年次改革要望書」等へと姿を変え、さらにはTPP(環太平洋パートナーシップ)協定へと展開し、そこからアメリカが離脱したことにより今後は日米FTA自由貿易協定)協議へと展開することが有力視されている。(略)

 

 

 

こうした推移が意味するのは、要するに、アメリカの対日姿勢の基礎が「庇護」から「収奪」へと転換したということであるが、国際的背景を考慮すれば、それは当然の事柄である。超大国超大国たる所以は、衰退局面にあってもそのツケを他国に廻すことができるという点にある。

 

 

 

▼ 昭和の終焉

第三に、これは全くの偶然であったが、この二つの大転換とほとんど同時に、一九八九年、昭和天皇の逝去によって昭和が終わった。(略)

 

 

平成の時代は、この時に始まったのである。してみれば、この時代の課題は、戦後日本の「平和と繁栄」を支えた条件の消滅を受け止め、新しい条件に適応するための変化を成し遂げることであったはずである。

 

 

しかし現実には、力強い経済成長を取り戻すことはできず、さりとて経済成長に代わる新しい豊かさや幸福のあり方を確立することもできないまま、格差拡大と貧困の蔓延によって、新しい階級社会が生み出された(経済における「失われた二〇年」)。(略)」

 

 

 

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼ 祈りによって「国民の統合」を作り出す

かくして、「動く」ことに基いた「祈り」が天皇を「象徴」たらしめる。それでは、その時、天皇は何を「象徴」するのか。

今回強調され、想起せしめられた―そして、憲法上の想定でもある―のは、天皇は「日本国の象徴」であるだけでなく、「国民統合の象徴」であるということだった。(略)

 

 

なぜなら、国民が天皇の祈りによってもたらされる安寧と幸福を集団的に感じることができてはじめて、国民は互いに睦合うことが可能になり、共同体は共同体たりうるからだ。

 

 

▼「国民統合」の危機を乗り越えるための譲位

以上のような、天皇の「動き」「祈る」ことを中核とする「動的象徴論」は、天皇が高齢や病気のために弱った時には、祈りと励ましが同時に衰弱し、したがって天皇によって象徴される「国民の統合」が弱体化することを含意しよう。(略)

 

 

まさにこの危機を打開するために、新しい若い天皇による祈りの更新が提案され、象徴天皇制について国民が考えるよう天皇が自ら訴える、という異例の行動がなされたのである。

 

 

(略)

 

今上天皇が介入した政治的文脈が、戦後民主主義の危機=象徴天皇制の危機であるとは繰り返し述べてきた通りだが、それは、学者が展開してきた議論における概念を用いて言えば、「永続敗戦レジーム」が空中楼閣になっているにもかかわらず清算されず、逆にあらゆる強引な手法を用いてでも死守されていることによって生じている危機である。

 

 

 

そう考えた時、その危機とは、取りも直さず、対米従属レジームの危機、より正確に言えば、特殊な対米従属を基礎として維持されてきたレジームの危機である。(略)

 

 

 

 

ダグラス・マッカーサーが強く自覚していたように、アメリカの構想した戦後日本の民主化とは、天皇制という器から軍国主義を抜き去り、それに代えて「平和と民主主義」という中身を注入することであった。(略)

 

 

アメリカと国体をめぐる逆説

ゆえにわれわれは、一個の逆説に直面している。

今上天皇による象徴天皇制を何としても守らなければならないという訴えは、一方で、敗戦を契機としてアメリカの介入のもとに制度化されたものを守るべきだという訴えである。(略)

 

アメリカ」は肯定されると同時に否定されている。(略)

思えば、占領改革と東西対立は、戦後日本をイデオロギーの次元ではすこぶる奇妙な状況に置いた。その構造においては、アメリカによる支配を受け入れることが、同時に天皇制の維持(独自性の維持)であり、民主主義でもあったのだった。

 

 

国体の破壊(敗北と被支配)は国体の護持(天皇制の堅持)であり、国体の護持(君主制の維持)は国体の破壊(民主制の導入)であった。これらは敗戦に伴う一時的な混乱などでは、さらさらない。この奇妙な矛盾のうちに、戦後日本の腑分けされるべき本質が横たわっているのである。」

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「▼戦後民主主義の危機=象徴天皇制の危機

そうしたなかで発せられた今上天皇の「お言葉」の内容として目を引いたのは、「天皇の務め」、とりわけ「象徴としての役割を果たす」ことに対する繰り返しの言及であった。(略)

 

 

「お言葉」によって明らかにされたのは、日本社会が解決済みと見なしてほとんど忘れ去っていた問いをめぐって、天皇その人が孤独な思索を続けてきたという事実ではなかっただろうか。

 

 

そして、危機において、天皇は自らの思索の成果を国民に提示した。つまり、「象徴天皇制とは何か」という問いへ国民の目を向けさせることによって、それが戦後民主主義と共に危機を迎えており、打開する手立てを模索しなければならないとの呼びかけがなされたのである。

 

 

▼ 動的象徴論

(略)

ここに今上天皇の思想がある。「象徴としての役割を果たす」ことは、ただ単に天皇が生きていればよいというものではなく、また摂政が代行しうるものでもない。文字通り「全身全霊をもって」国民の平和を祈り、また災害に傷ついた人々や社会的弱者を励ますために東奔西走しなければならない職務である、というご自身の考えがはっきりと打ち出されたのである。

 

 

今上天皇の即位以来、いわゆる「平成流」として捉えられてきた天皇・皇后の行動の特徴は「動く」ことだった。とりわけ、災害が相次いだ平成の時代に、おふたりが多くの被災地に赴き、時に膝を折って被災者と同じ目線に立ちながら、慰めと労いの言葉をかけてきた、その積極的な姿勢は、天皇・皇后に対する国民の敬愛の念を大いに高めてきた。(略)

 

 

 

逆に言えば、天皇が「動き」、国民との交流を深め、そしてそれに基づいた「祈り」を実行することによってはじめて、天皇の持つ「象徴」の機能は作用しうる、というのである。

 

 

天皇のアルカイスムー 国を支える「祈り」

そして、この論点は、次のような摂政否定論に直接つながっている。

 

また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 

 

この件は、今上天皇の見解に含まれる一種のアルカイックな思想を想定しなければ理解できない。天皇は、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続ける」事態を何としても避けなければならない、と言っている。それはなぜなのか。(略)

 

 

そして、その務めを果たせなくなった天皇は、もはや天皇であり続けるべきではないと言う。それは、務めを果たせないのに天皇の地位にいるという状態が、その天皇自身にとって不本意だ(だから、退位させてほしい)、などということを言っているのではない。

 

 

 

それを裏付けるものとして、今上天皇は、生前退位(譲位)の制度化に拘ったと伝えられている。つまり、制度化することによって、その時々の天皇が「動き、祈ること」が止まってしまう事態を生じさせないこと、天皇による祈りに空白が生まれることを避けなければならない、と言っているのである。(略)

 

 

神であれ人であれ、天皇はその祈りによって、日本という共同体の霊的中心である、というのがその答えであるように筆者には思われる。

この考えによれば、天皇の務めの本質は、共同体の一体性を作り上げ維持することにある。その現代的意味がどのような文脈上にあるのか、本書の最後に立ち返ることとしよう。」

 

〇「共同体の霊的中心」とか「共同体の一体性を作り上げ維持すること」。

私たちの国、日本の場合、それは、何によってなされるのか…

そう考える時、本当に何もないなぁと感じてしまいます。

何もない。思想も価値観も物語もない。それらが編みこまれた宗教がない。

だから、天皇を持って来るしかない…。そんな風に感じてしまいます。

 

 

国体論 ー菊と星条旗—

「(略)

「▼「お言葉」の文脈—天皇の「闘争」

では、今上天皇にかような切迫した危機感をもたらした文脈は何であったのであろうか。

狭くは、憲法改正へと突き進む安倍政権に対する牽制を指摘できよう。「今上天皇生前退位(攘位)する意思を固めたらしい」とのニュースがはじめて流れたのは、二〇一六年七月一三日である。それは七月一〇日の参議院選挙で改憲勢力が衆参両院合わせて三分の二以上の議席を獲得して、憲法改正の国会発議が可能になった直後というタイミングであった。(略)

 

そもそも、「お言葉」自体が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」との名称を付され、象徴天皇による「象徴天皇制論」の体裁をとっていた。「お言葉」に闘争を読み込むのならば、「象徴の務め」を語る言葉は、その背後で展開されている闘争を浮かび上がらせる「象形文字」としてとらえられなければならない。

 

 

言い換えれば、今上天皇が「象徴の務め」を語ることによって、何が婉曲に語られたのかを掴まなければならない。(略)

 

 

 

▼日本社会の「破産」

想い起せば、戦後民主主義の危機は、二〇一一年三月一一日の東日本大震災福島第一原発の事故、そしてその後の第二次安倍政権の成立とその施政によって、爆発的に表面化してきた。(略)

 

 

だが、日本社会の大勢はこの苦しい現実に立ち向かうよりも、むしろそこに開き直ることを選んだのであり、それにふさわしい政治指導者が安倍晋三であった。彼に象徴される政治権力のあり方は、この矛盾を真っ当なやり方で解きほぐそうとするどころか、矛盾によって浸蝕された体制をあらゆる手段を用いて死守するものである。

 

 

 

「永続敗戦レジーム」によって規定された「戦後」は、基礎を喪って、もはや存続の手立てがないにもかかわらず、このレジームを惰性的に維持しようとする社会的圧力が、清算しようとする社会的圧力を上回っているために、宙に浮いたまま事実上維持されてしまっている。

 

 

この状態の行き着く先は、何らかの意味での「破産」である。

否すでに、原発事故の被災地は「破産」を経験しているし、長期政権化した安倍政権の下での常軌を逸した国会軽視や虚偽答弁、三権分立の破壊等によって、議会制民主主義もまた「破産」しているとも見なし得る。(略)」