読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

精神の生活 下

「アウグスティヌスは最初のキリスト教的な哲学者であり、さらに付言すれば、ローマ人が持った唯一の哲学者だと言っても良いと思う。その彼は、また、哲学上の混乱のために宗教にくらがえした最初の哲学者でもあった。」 「若い頃、アウグスティヌスは、内面…

精神の生活 下

「エピクテトスは、この二つの関係を恒常的な「闘争」として、「自分に対していつも注意深く疑いの目を向けるように求められるオリンピック競技として、特徴づけている。 すなわち、「一言で言えば[快楽と苦痛をいつもあてにしている哲学者は]自分のことを、…

精神の生活 下

「すなわち、以上のような無制限な内的自由は、実際には、[死に至る]ドアは開かれているということを覚えて心にとどめておかなくてはならない」という前提を持っている、ということである。 世間からまったく疎遠になった哲学にとっては、カミュが自分の最初…

精神の生活 下

「パウロは、ローマ市民であったし、共通ギリシア語を話し書いた。また、明らかに、ローマ法とギリシア思想にはよく通じていた。しかし、このキリスト教という宗教(たとえキリスト教教会ではなくとも)の創始者はユダヤ人であり続けた。 だから、おそらく、…

精神の生活 下

「パウロは、確かに、律法を実行せよという古くからの命令が、ナザレのイエスの教えの中でラディカルに転換したことに気づいていた。」 「旧約は汝なすべし、と言い、新約は汝意志すべし、と言う。意志は、自由意志による服従を要求する命令を経験したことに…

精神の生活 下

「それに対する第一の基本的な回答は、次のようなことである。すなわち、これらの_元来はヘブライ人たちの_経験が、まったく[公共的という意味での]政治的・ポリス的世界というものに係わっておらず、もっぱら、人間自身の内面に位置づけられる経験だとい…

精神の生活 下

「人間の魂のなかでは、理性が「支配的」で命令的な原理であるのは、ただ欲望が盲目で理性を欠いているために盲目的に服従するものとされているからなのである。(略) というのも、これは矛盾率_きみ自身に矛盾せず、きみ自身の友人であり続けろ_というこ…

精神の生活 下

「しかし、理性とその特質の発見は精神の発見と哲学の始まりと同時であるのに対して、意志の能力の方はずっと後になって明らかになったのである。 我々の問いは、したがって、次のようになる。つまり、いかなる経験によって、人間は、自分たちが意志行為をな…

精神の生活 下

「しかも、この仮説がもっともだと思われるのは、一つの世界精神の実存を想定する場合だけなのである。なぜなら、この一つの世界精神は、多くの人間の意志を支配し、この意志を理性の欲求から生じる「意味」に向かわせるからである。 この場合、理性の欲求と…

精神の生活 下

「そして、その帰結として、「精神の王国が…現実の生活において顕現し」、「この世」に「体現される」からである。そうなれば、歴史の過程はもはや偶然ではなく、 人間界ももはや意味を欠いた空虚なものではなくなる。」 「ヘーゲルは、「意志の自由”それ自…

精神の生活 下

「「太陽が天空に位し、天体が太陽の周りを回るようになって以来久しいが、人間の実在の中心が自らの頭、つまり思考にあるということは、まったく思いもよらぬことであった…。 これは、輝かしい日の出であった。思考するあらゆる存在は、この新時代を共に祝…

精神の生活 下

「自己が意志する自我と自己同一化する限り― のちに見るように、この同一化は、 ”固体化原理”を意志の能力から引き出す主意主義者たちによって提案されたが― 、「未来が今へと絶えず移行する形で存在しているのであって、いかなる未来もなく、来るべきものが…

精神の生活 下

「ヘーゲルほど、意志する自我が施行する自我とぶつかる際に、意志する自我に共感的な態度で、深い洞察力をもって、思想史に実りをもたらすようなやり方でそれを描いた人はいない。」 「コイレの中心的テーゼによれば、ヘーゲルの「最大の独創性」は彼の「未…

精神の生活 下

「結局、意志は何かをすることを意志しているのだから、暗々裏には、純粋な思考というものを軽蔑しているのである。というのも、思考の活動全体は「何もしないこと」に依拠しているからだ。」 「こうした観点― 私はこれを精神活動の「調整」と呼びたいのだが…

精神の生活 下

「宗教的であれ世俗的であれ理論や伝統よって妨げられることなく、以上の述べてきた事柄を考えるなら、哲学者については次のような印象をぬぐいさることはできないだろう。 それは、哲学者というのは生来、精神の一定の現象や世界における精神の位置とうまく…

精神の生活 下

「しかし、かの聖書の教説が、我々の文脈において十分な根拠となるのは、神が”無”から創造したことを付け加える場合に限るが、そうした無からの創造については旧約聖書は何も語ってはいない。無からの創造は、後世の思弁が加えたものである。」 「結局、意志…

精神の生活 下

「くりかえせば、不自由な意志という概念が語義上矛盾するであろう、ということである。」 「そして、再び繰り返すならば、この否定しがたい事実がまったく素晴らしいことだとはこれまでけっして感じられてこなかったのである。 我々が以下のデカルトの発言…

精神の生活 下

「だから、キリスト教徒自身は、自らの定められた必然的な生の終焉の彼方に、ある未来を持っていたのである。そして、未来の生のための準備との密接な関連で、パウロが初めて、意志を発見し、未来がいかに複雑であっても意志が必然的に自由であることを 発見…

精神の生活 下

「しかし、キリスト教の時代が終わっても、決してこうした困難がなくなりはしていない。全知全能の神への信仰と自由意志への要求をいかにして調整するかは、厳密にキリスト教的な大問題であったが、この大問題は、さまざまな回路をへて現代でも脈絡を 保って…

哲学的自伝

〇ヤスパースの著作の主要関心 ・人間の真のあり方は、限界状況で自覚される。極限的な物事に目をふさがない。 ・自明なものの限界を踏み越えたひとつの交わりへのあこがれ 「このような方向(限界状況の経験と交わりの開明)のいずれにおいても、私は終わり…

哲学的自伝

「今日では、特定宗派的には信仰をもたぬ若いひとびとはおびただしい数に達することが考慮さるべきであります。この事実が非難されようがされまいが、このような青年にとって哲学とは、彼のもろもろの信仰可能性を照明する唯一の場なのであり、彼がこのよう…

哲学的自伝

「第一次大戦後もなお依然として、私は神学に少しも興味をもちませんでした。(略)それでも神学を眼中に置かぬなどとは、結局不可能だとわかってまいりました。」 「ある日のこと、自分が論じている物事は、それ自体で神学を要求しているのだと、完全に自覚…

哲学的自伝

「私は<哲学>が出た後の1931/32年冬講義では、私の哲学的論理学の基礎概念であります<包括者>を展開し、フローニンゲン大学招聘講義<理性と実存>(1935年)においてはじめて、公にこれについて語ったのであります。」 「問題なのは、古来実…

哲学的自伝

「政治的結論をもたぬ哲学は存在しないという、確か数千年来自明であって、ただわずかの間忘却されていたにすぎない見解がありますが、これがこの十年ばかりのうちに、私の場合にもやはり優勢となりました。」 「政治的思惟をともなわぬ、いかなる偉大な哲学…

哲学的自伝

「個人の自由な活動を許すのが我慢ならない者は、自由と同時に想像力と大学の精神をも、破壊せずにはおかぬでしょう。」 「しかし1914年(私は31歳でした)、戦争の勃発とともに事情は一変しました。 歴史の地盤は激しく振動しました。長い間確実と思…

「哲学的自伝」

ヤスパース著「哲学的自伝」を読んでいます。 引用文は「 」で、自分の感想は〇でメモします。 「しかし科学的認識だけでは、心は満たされませんでした。真に科学的であるとは、おのれの限界を知っている批判的な知であります。(略)このとき私の脳裏に稲妻…

精神の生活 上

〇アーレントがコールリッジの言葉として紹介している文章、以前もメモしましたが もう一度、書きます。 「存在それ自体、存在そのものだけ、まさに存在するというそのこと、それを考えるようにと精神を高めたことがあるか。考えのたけを込めて「存在する」…

精神の生活 上

「これは、人類が克服しがたい危機に陥っているというよりは、近代社会の 生産至上主義的なあり方、経済が他の一切の人間的活動に優先するというあり方その ものが根本的に限界にぶつかっていることを示すのであろう。」 〇返さなければならない本なので、そ…

精神の生活 上

「しかし、固有な意味で人間の自由が語られるとすれば、このような政治的共同の 空間こそが不可欠なのである。アーレントのいわゆる政治哲学の議論はすべて この活動概念から始まっている。 人間はこのような共同の経験によってこそ、死すべきさだめにありな…

精神の生活 上

パソコンが壊れ、なんとか新しく使えるパソコンが手に入り、 少し余裕をもって書けるようになりました。 上巻を読み終わったので、下巻に行きたいと思っていますが、 この訳者の佐藤和夫さんが付けてくれている解説がとても良いので、 それも少しメモしてお…