読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

哲学的自伝


第一次大戦後もなお依然として、私は神学に少しも興味をもちませんでした。(略)それでも神学を眼中に置かぬなどとは、結局不可能だとわかってまいりました。」


「ある日のこと、自分が論じている物事は、それ自体で神学を要求しているのだと、完全に自覚するに至ったのであります。

形而上学に関する講義が終了したある学期末(1927/28年)、ひとりのカトリックの司祭が私のところへやってきて、聴講者としての謝意を述べ、見解の一致を表明して申しました、<ただ一つだけ異議があります、それと申すのは、あなたが講義なさった大部分は、われわれの解釈からすれば、神学であるということです。>


聡明で印象深い若いひとの言葉が、私をまごつかせました。」


〇この自伝を読んで一番驚いたのが、この「宗教心」に関する問題についてでした。
ヤスパースはドイツ人なので、当然キリスト教徒だと思っていました。

実際、教会には属していたようなのですが、両親とも特に宗教に関しては何も
「教育」しようとしなかったようです。

そこで彼はある時、自分の中に教会が教えるような信仰がないことを理由に教会員であることをやめようとします。でも、その時点では父親に反対されました。

でも、その父親自身が、ある程度の歳になったということを理由に、教会には常々、
問題があると感じていた、と教会から脱会します。

アーレントも「精神の生活 上」の解説によれば、「非宗教的」な環境で育った、とありました。

この二人には似てる部分が多いと思いました。

〇事実、以前にも書いたように、私が宗教を初めてまっとうなものだと考えるようになったきっかけは、このヤスパースの「理性と実存」を読んででした。

それまでは、自分の周りの人を見て、キリスト教徒には素敵な人が多く、
創価学会員にはなんとなく「騙されてる感」がある人が多いのはどうしてなのだろう、と漠然と感じていました。

実は、その感じは今も続いています。

私たち日本人にも、職場や家族以外のつながりで、「交わり」を持てる
欧米の「教会」的な場所が必要なんじゃないだろうか、ということはたびたび感じていました。

だから、創価学会に入る気持ちはわからなくもないですし、それで心穏やかに
幸せに暮らせるなら他人がとやかく言う必要はないと思います。
ただ、私にはどうしても「騙されて」「利用されて」いるように見えてしょうがありません。

それがなぜなのか…

そこに、日本人特有の、何か理由があるのではないかと、
ずっと考えて今も、こんなふうにいろいろな本を読んで探し回っています。