〇 佐藤和夫さんの「解説」を読んでいます。
あぁ、なるほど~ そういうことなのか…と、一つの文脈の中でそのことがどういう意味で語られていたのかが少しわかるような気がしますが、でも、ヘーゲルの思想の内容については、やっぱりわからない…という類の基本的なわからなさは、変わりありません。
「シェリングからニーチェ、ハイデガーへと至る哲学の伝統においては、意志が考察の対象にされたのだが、そのどれもが結局のところ、生きた人間の能力としての意志、自由に新たに始める能力を位置づけることに失敗した。
それはせんじつめらば、彼らが「職業的な思索者」であり、政治的実践活動を自分のなかで位置づけることのできなかった思想家たちであったからである。
マルクスの有名な言葉を使えば、「世界を解釈する」ことに専念していて「世界を変える」ことを問題としえていないのである。
実のところ、本当に自由を重視する思想ならば、それは哲学的自由が政治的自由と結びつくものでなければならない。その時、人間は「我々」という形で協同を作り上げていく存在者となりうるのである。
政治的空間とは、そのような協同の試みられる空間であり、自由が成立する空間なのである。
中世哲学を人間の能力としての意志と自由の発見の場とし、ギリシア哲学から近代ヨーロッパ思想の流れを逆に、全体主義に結びつく流れと論じた思想史の説明を私は聞いたことがない。これは、従来の哲学のあり方を根本的に考え直させる問題提起であるということができよう。」
〇ここを読みながら、「従来の哲学のあり方を根本的に考え直させるために」哲学することを意志した、あのヤスパースのことを思い出しました。
一つには、このようなこと(実際的なこと)を問題にする精神、それも、切実にそれが必要だと追求する精神が、とても似ていると思います。