精神の生活 下
「くりかえせば、不自由な意志という概念が語義上矛盾するであろう、ということである。」
「そして、再び繰り返すならば、この否定しがたい事実がまったく素晴らしいことだとはこれまでけっして感じられてこなかったのである。
我々が以下のデカルトの発言を聞くのも、この点に係わっている。「私は、意志がいかなる限界にも従属しない広大なものであることを知っている…。私の内で、それより偉大ないかなる他の観念もないと考えるほどに偉大だと思えるのは…、ただ自由意志のみである。私が神の似姿であることを…私に知らせてくれるのは…この石なのである」。」
彼岸に対するそうした希望を持てなかったからこそ、カントは、人間の生をたえがたいほど悲惨で意味のないものだと考えたのである。」
「明らかに、近代世界において世俗化、というより、非キリスト教化がすすむにつれ、思想家たちは、以前にもまして根本的で容赦なく、あらゆる人間的なことの偶然的性格に直面せざるをえなかった。」
「古代の終わり依頼ずっと「自由の問題」であったことは、いまや、いわば、「喧騒と熱狂とに満ち」た歴史の無計画さ、いいかえれば、「狂人の語る話で何の意味もないもの」のなかでのこととされていったのである。」
「もっとも、進歩の時代は、やっと我々自身の今日においてその終焉に至りつつある。その理由は、進歩が地球上における人間の生活条件のために、急速に限界に近づきつつあるからだ。」