読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「家族」という名の孤独

「登校拒否は、登校という形で社会参加を促されている子どもからの「ノー」のメッセージである。

何らかの形で社会に出ることに挫折した子どもが、こんな生活はいやだと自己主張しているのだから、親のほうが「ああ、そうかい」と言えば、子どもは学校へ行く以外の自分の生活を模索するという次の段階へと進むことができる。(略)」

 

 

「実は、ほんの少し前まで、私たちの社会はこうした子どもたちの自己主張を、大した問題とも考えずに受け入れてきた。職人の子どもが学校を嫌って、居職の父親の仕事場で父の手元をじっと見ているとすれば、それを父親が喜んだ時代があった。この登校拒否児は、親孝行者であった。

 

私は東京の下町の育ちだが、小学校の同級生で、そんな形で徐々に学校から離れていった子どもたちを知っている。皆がそのことをそんなに騒がなかったし、彼自身も今では立派な社会人だ。(略)

今や子どもたちは登校と勉強以外の仕事が許されない。(略)」

 

 

「学校に行かないことに関して、こんなに親が半狂乱になるような時代はなかった。よく調べてみれば、これはごく最近になって起こってきたものである。(略)」

 

 

 

「生徒の一部がこれに適応できないのは当たり前のことで、こんな画一的な制度の中にいたくないと思う生徒がまったくいないとしたら、その方が不気味なことである。

登校を「拒否する」「したくない」などと自己主張できる子がいたとしたら、それは今の子どもたちの中で並み以上の子どもで、偉い。偉い者に偉いと言ってやるのは、治療的なことである。

 

 

逆に言うと、私は臨床家として、登校拒否ができない子がいっぱいいることに危機を感じている。(略)」

 

 

 

「おそらく、明治の昔に軍隊をモデルにした公教育の体系がつくられたころから、学校の内部の者たちは、昔の軍人が市民一般を「地方人」と言って蔑視したように、外部の者を峻別し、差別する必要を感じるようになったものだろう。

 

 

三者とはこの場合、地域の保健所である。この保健所では一〇年ほど前から一定の曜日の午後、地域の家族たちのミーティングが開かれていた。もともと地域内の酒害者(アルコール依存症の人)とその家族のために開かれていた。しばらくするうちに家庭内の暴力問題や子どもの非行が取り上げられるようになっていた。

 

 

私は数年前、このケースが持ち込まれてきたころまで毎週このミーティングに座り続けていたのだが、母親はこのことをどこかで聞いたらしく、息子のいじめられ問題をここに持ち込んだ。(略)」

 

 

 

「どこでもそのようだが、中学生になると教室全体が殺伐としてくる。一年生のときから高校進学のことが教師と生徒の頭をしめるということがあるのかもしれないが、それだけではないだろう。思春期というのは、自分の理想を求めて、それに沿わないものにとりわけ残酷になる時期なのだ。(略)」

 

 

 

「私の観察対象になったいじめ・いじめられ関係に話を戻すと、いじめっ子側の主役は、いじめられっ子の保護者を任じながら、やがてその立場に危機感を持つようになった。彼は体力、腕力、知力のいずれの種目でも、級友たちの中で優位には立てない。

 

 

このままで行くと、とろい親友の同類とされ、劣者の烙印を捺されて自身がいじめの対象とされる。

こういう政治的判断ができるだけの才覚を備えていた彼は、親友の保護者という立場を利用して、彼を優位者たちの生贄に差し出した。(略)」

 

 

 

「こんなわけで、学校とくに中学というのは、文字通り危険なところなのである。少なくとも一部の生徒にとっては。困るのは、”一部の生徒”、”生贄”は必ず必要とされるのに、誰がsろえに適しているかは結果が出るまでわからないことである。(略)

 

 

不幸にもこんな立場に置かれたときの、正しい振る舞い方は、危険から逃れることである。それしかない。逃げずに頑張ろうとすると、屈辱が重なって人間の一番大事な部分が破壊されてしまう。自分自身を愛し、尊ぶという、これからの人生のエネルギーの源泉を涸らしてしまうことになる。この種のトラウマ(心的外傷)の恐ろしさは、もう少し知られた方がいい。

 

 

要するに、登校を拒否できる能力が大切だ。この能力を支えるものは勇気と認識力である。これがあれば「僕はいじめられている」と親にはっきり言うことができる。愚かな親(親というものは、よく言われるようにたいてい愚かだ)が、「頑張って登校しろ」と諭しても、はねのけることができる。

 

 

 

そんな勇気や認識力に恵まれていなくても、とにかく学校を休んでしまえ。(略)」

 

 

 

「このいじめられっ子にも、私はこのように言ったのだが、何分彼は自分がそういう”身分”であることを認めてないのだから、なかなか言うことを聞いてもらえなかった。

 

 

ミーティングのあとにもいじめは続いたが、登下校の途中にすれ違いざまにキックを入れたり、殴ったりというものになって、群がっての儀式的な虐待はさすがになくなった。

 

見物層のいじめっ子たちが、自身が加害者と認定される危険を感じて、”場”をっはなれはじめたわけだ。さすがに賢いものである。こういう連中が育って、日本の大衆の中堅となる。(略)」

 

 

「この場合、私に語れたのであって、親や教師にではない。それは当たり前のことで、子どもは親が期待している、「学校で元気に過ごす子」を演じるのに必死だから、何があっても親にだけは言わない。(略)

 

 

教師は当事者で、いじめ側の一方の旗頭だから、こんな者に実態をもらすこと等あり得ない。学校は先に述べたように、評価と順位付けの場である。(略)

教師はそうした場の構成者なのだから、必然的にいじめ側の旗頭なのである。(略)」

 

 

「いじめ・いじめられという精神的虐待劇の観衆たちが、教室のエリートたちであったことも先に述べたが、彼らをエリートにしている価値の構造をけっていしているのは、教師という権力である。(略)

 

 

困ったことに教師たちは今のところ、こうした自分たちの見えない加害者性にきづいていない。言うまでもないが、これは個々の教師が良心的であるか否かとか、教育者としての能力の程度がどうかといったこととは関係ない。

 

 

中学校で教師をやるということは、それ自体いじめ側の片棒を担ぐことだというくらいの厳しい認識を持っていないと、この役割から降りられない。

 

 

だからこそ、教室や学校は、現在のような徹底した閉鎖系を構成してしまっていては危険なのである。いつも第三者の目を入れ、外部の価値観に敏感でいる必要があるのである。(略)」