読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

昭和天皇の研究 その実像を探る

「真崎大将、陸軍首脳の腰抜けぶり 一方、陸軍の首脳の多くは彼が見た通り腰抜けで、右往左往するだけであった。この点、東京陸軍軍法会議における裁判官の一人、陸軍法務官・小川関治郎の「ニ・二六事件秘史」は、まことに的確に事件の概要を要約している。…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「天皇と磯部浅一との「心理戦争」 天皇のいらいらはまだつづくが、磯部浅一の計画はこのとき挫折したといってよい。(略) そして動揺がはじまると崩壊は早かった。首謀者は、部下に離脱されて崩壊したという結果になる事を恐れ―― 一部ではすでにそうなって…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「事件勃発、天皇の決然たる対応 天皇に反乱勃発を伝えたのは当直の甘露寺侍従、時間は五時四十分すぎ――。 「陛下はまだ御寝になっている時刻だが、事柄が事柄だけに、一時も早く奏上せねばならぬと、御寝室に伺った。差し支えない。緊急の用務ならここで聞…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「八章 天皇への呪詛 = 二・二六事件の首謀者・磯部浅一が、後世に残した重い遺産 決起将校の”読み違い”を招来した一事件 天皇への批判はもちろんあるであろう。また怨みを抱いている人もいるかもしれない。しかし、天皇を呪いに呪って呪い殺しそうな勢いで…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「相沢中佐の異常心理と「昭和維新」 ”総括”を思わせるのが、相沢(三郎)中佐の永田(鉄山)事務局長斬殺事件(昭和十年八月)である。その背後にあったのは、陸軍内の皇道派と統制派の争いで、細部は除くが、資料を見るとこの近親憎悪はすさまじいが、今回…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「戦争制御における内閣の権限と、近衛の言い訳 この「天皇と憲法」という問題で、自決前(昭和二十年十二月)に令息に渡した所感で、近衛は次のように回想を記している。 「日本憲法というものは天皇親政の建前で、英国の憲法とは根本において相違があるの…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「七章 「錦旗革命・昭和維新」の欺瞞 =なぜ、日本がファシズムに憧れ るようになったのか ファシズムの台頭と、青年将校たちの憧れ 前述のように、天皇が摂政になられたのが大正十年(一九二一年)、その翌十一年、イタリアではムッソリーニの率いるファシ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「かたくななまでに憲法を遵守する姿勢のルーツ 天皇はしばしば「立憲君主として」という言葉を口にされ、また「憲法の命ずるところにより」とも言われている。そしてその私生活は、まことに生まじめなぐらい「教育勅語」の通りである。そしてその基本を「五…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「売家と唐様で書く三代目」 この「憲政の王道を歩む守成の明君」を育てるという杉浦の方針は相当に徹底したもので、「草案」で日本の例を挙げる場合、信長・秀吉・家康は、その表題にはないが「徳川家光」は出てくる。理由は明らかで、彼は家康から三代目…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「重剛、天皇にロシア革命の真因を説く 次の「ペートル大帝」は、ほぼ称賛の対象になっているが、北方戦争で今のレニングラード附近をスウェーデンから奪取して海への出口を確保したことはわずか二行にとどめ、その内容はほとんどが、いかにして西欧の科学技…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「六章 三代目 —— 「守成の明君」の養成 = マッカーサー会談に見せた「勇気」は、どこから来たか 「「創業と守成のいずれが難き」 一人間の生涯を考えると、すべてが幼少時の予定どおりにいったという例は皆無に近いであろう。これは天皇とても例外ではない…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「天皇退位の決定権は誰にあるか この「反面教師」と天皇とを比べていくと、さまざまな点で、その行き方が全く逆なことに気づく。だがそれについては、後述するとして、敗戦のときウィルヘルム二世はすべてを投げ出すようにして退位し、オランダに亡命したこ…