読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

山本七平

論語の読み方 ― いま活かすべきこの人間知の宝庫 ― (1章 いま、なぜ「論語」なのか)

「< 共通の古典の存在こそ、教育のバックボーン> (略) このように見ていくと、戦後とは一見、古典的素養に基く自律性皆無の膨大な「無規範人間」を生み出したように見えるし、この傾向が皆無とはいえない。(略) <なぜ、戦後の「論語批判」が的はずれ…

論語の読み方 ― いま活かすべきこの人間知の宝庫 ―

〇 しばらく「楽しい本」だけを読んでいました。 また少しずつ頭の体操をして行きたいと思います。 山本七平著「論語の読み方」を読んでいます。 山本七平は、敗戦の理由として、様々な問題を取り上げていました。 これまでメモした中にも、もう一度読み直し…

日本人とは何か。

「3 律令制の成立 ◎”科挙抜き律令制”の導入 (略) 「では天皇は日本人の教皇(ポープ)なのか」。この質問には少々弱った。後にイエズス会の東洋宗教研究所(当時)トマス・インモース師から、キリシタン宣教師が「天皇を教皇に、足利将軍を実権なき神聖ロ…

日本人とは何か。

「かな文字文化完成への苦戦 だが、一つの文字文化 ―― それはその文化の基本を形成するものだが ―― を、何の模範も前例もなく、文字通り創出しようとするものは、常に苦闘を強いられた。日本人が「かな」の完成へと苦闘する三千年以上も昔に、セム族のアッカ…

日本人とは何か。

「◎「かな」はだれが造ったのか では一体、日本文化を決定したといえる「かな」はだれがつくったのであろう。(略) 漢字をそのまま表音文字に用いた「万葉仮名」が「かな」の基本であることは言うまでもないが、「万葉集」自体が5世紀前半から天平宝字三年…

日本人とは何か。

「2 文字の創造 ◎ 日本文化の源「かな」 (略) もちろん文字なき文化はあるし、言葉なき思想もありうる。だが「古事記」「万葉集」から「竹取物語」や「源氏物語」「伊勢物語」「平家物語」、さらに歌集・日記類から随筆「徒然草」に至る膨大な「かな古典…

日本人とは何か。

「◎「骨(かばね)の代」の氏族体制 一体「骨(かばね)」とは何であろうか。それは大体氏族の首長もしくは中心的人物をいうと定義してよいであろう。これは韓国語の「骨」の用法を用いたと見るのが定説で、韓国では「真骨」もしくは「第一骨」といえば王族…

日本人とは何か。

◎ 津田左右吉博士の卓説 (略) 津田博士は「日本書紀」や「古事記」は「歴史的事件」の記述ではないが、「歴史的事実」を現わしているといわれ、この二つの関連を「源氏物語」を例に説明されている。「源氏物語」は小説で登場人物も事件もすべてフィクショ…

日本人とは何か。

「◎人類史を駆け抜けてきた民族 「日本人」—— 外国人はこの名称を付された民族に、「何か理解しかねるものがある」という感じを持つことがあるらしい。その感じから出たらしい質問に接した場合、私は大体、次のように答える。 「日本人は東アジアの最後進民…

日本人とは何か。

〇 山本七平著「日本人とは何か。ー 神話の世界から近代まで、その行動原理を探るー」を読み始めました。 読み始めたのはもうずいぶん前です。山本氏の著作は古文書等を挙げて論じているものが多く、その難しさに私の頭はついて行けません。 そんなわけで、…

昭和天皇の研究 その実像を探る  (終章 「平成」への遺訓)

「憲法改正に反対した美濃部博士 「正論」はなかなか社会に受け入れられない。一木喜徳郎男爵、美濃部達吉博士、津田左右吉博士のような、戦時中に右翼や軍部から「大逆賊」と攻撃され、あるいは辞職に追い込まれ、あるいは起訴されて法廷に立たされた人たち…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「戦争責任」=「敗戦責任」としての考察 しかし、本書はあくまでも、天皇の自己規定の「研究」であるから、「長崎市長がこう言った」「誰がああ言った」は除外し、天皇ご自身がどう考えておられたかの探求に進みたい。 だがその前にこの「戦争責任」とい…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「おれの息子は、天皇のために死んだ」 本島長崎市長は、朝日新聞で「(自分の発言に対する)支持の手紙には、戦争は国民が「天皇の御ために」と実践し、天皇もそれを知っていたはずという内容のものが多い。天皇の責任の問題は庶民の大多数の心にあるんで…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「津田博士が指摘する「自然のなりゆき」 ここで津田左右吉博士の言葉に耳を傾けよう。前にも引用した「世界」の論文(264ページ参照)は、昭和二十一年の四月号掲載で、野坂参三が凱旋将軍のように延安から帰国し、五月十二日のデモでは、赤旗が坂下門か…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「アジアで唯一の憲法保持国として 「憲法絶対」という態度を、天皇は一貫して変えていない。戦前・戦後の役割について「私は精神的にはなんらの変化もないと思う。常に憲法を厳格に守るように行動してきた」という昭和四十七年九月のお言葉は、まさにそのと…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「天皇は戦争を止められるのに、なぜ止めなかった」 天皇にも、「憲政の伝道師」という意識はあったであろうか。私の勝手な想像だが、天皇にはそういう意識はなかったと思う。(略) 考えてみれば、これは実に不思議なこと、人類史上、これを行ったのは昭…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

〇中断していた「昭和天皇の研究」のメモを続けます。 (十三章のつづきです。) 「十四章 = そして「戦争責任」をどう考えるか 歴史的”功罪”を論ずることのむずかしさ 歴史上の功罪の評価は、非常にむずかしい問題である。というのは、「功」は裏返せば「…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「文化的統合の象徴としての天皇 では天皇とは何なのか。戦前・戦後という題激変の間、一貫して変わらなかった津田左右吉博士の説を援用すれば、昔も今も「人間(アラヒト)・象徴」であるということになろう。 そしてその思想は、上代の日本人の「生活の座…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「アラヒトガミ」の思想は、どこから生じたか こういう「生活の座(ジッツ・イン・レーベン)」で生きている日本人のところへ、中国から文字が入って来た。文字が入って来たことによって「記紀・万葉」が記されるようになった。もちろんそれ以前の記述があ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「仁徳天皇の御仁政」の伝説は、どこから生まれたか 一方、津田博士は、「日本書紀の記事の解釈であり」、それへの「非難なんであります」と言って「仁徳天皇の御仁政に関する日本書紀記載の本文」について詳しく記している。 有名な「朕高台に登りて以て…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「記紀」入門のための、絶好のテキスト 今日では公判記録が公表されているので、津田博士の立場はよく分かる。氏は「学問の性質とその研究法とを、問題とせられたことがらについて、出来るだけていねいに、説明しよう」という態度を以て公判廷に臨まれ、裁…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「津田博士の神代上代史観 この津田左右吉博士は、東宮御学問所で裕仁親王に歴史を教えた前出の 白鳥庫吉博士の高弟、いわば、歴史学では天皇の先輩である。その彼の上代史に関する研究は、しばしば東大右翼学生の批判の的となり、時には「つるしあげ」のよ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十三章 「人間(アラヒト)」・「象徴」としての天皇 =古来、日本史において果たしてきた天皇家の位置と役割 「文化的問題」としての天皇 ここまでの記述や、また前記の一木・美濃部学説からの引用(187ページ参照)を読めば、誰でも少々首をかしげる…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「陸相人事に見せた、天皇の警告的御希望 (略) ただこの「御希望」がもし、「意に満たぬものを持ってきたら裁可しないぞ」となったらどうであろうか。 昭和十四年八月、独ソの電撃的な不可侵条約の締結に、平沼内閣は「欧州の天地は複雑怪奇な新情勢」と声…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十二章 立憲君主の”命令” = 国難近し、天皇に与えられた意思表示の手段とは 白川大将に示した、天皇の精一杯の”褒賞” 福沢諭吉は「帝室論」で次のように記した。 「帝室は政治社外のものなり。いやしくも日本国に居て政治を談じ政治に関する者は、その主…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「二代目 — 卑屈から一転して増長慢 「(乙)第二代目ころの世態民情 明治二十七、八年の日清戦争後は、以前の卑屈心に引き換え、驕慢心がにわかに増長し、前には師事したところの支那も、朝鮮も、眼中になく、その国民をヨボとかチアンコロなどと呼ぶようにな…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十一章 三代目・天皇と、三代目・国民 = 尾崎行雄が記した国民意識の移り変わりと天皇の立場 対中国土下座状態の一代目 前述のように、尾崎行雄は安政五年(一八五八年)の生まれ、杉浦重剛より四歳年下だが、ほぼ同世代と言ってよい。この時代の人々の特…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「天皇ではなく、国民全体が”三代目” 「次に、予審判事が、予が引用した所の「売家と唐様に書く三代目」という川柳に重きを置き、今上陛下が、たまたま王政維新以後、三代目に当たらせ玉えるため、これを以て、不敬罪犯行の要点となせるは、甚だしき誤解であ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「意見の相違は、法律上の問題にはならない」 彼が心配したほど司法部は行政部すなわち東条内閣に屈従していなかった。 このことは大審院の無罪の判決が示しているであろう。この点で、彼の「不刑罪の宣告を受けて」と「大審院への上申書」も何らかの影響…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「近衛・東条の翼賛体制への痛烈な批判 尾崎行雄は、起訴されても発言はやめず、痛烈に政府を批判し、「憲政以外の大問題」を公表した。これはまず「(イ)輔弼大臣の責任心の稀薄(むしろ欠乏)なる事、 (ロ)当局者が、戦争の収結に監視、成案を有せざるよう…