読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

山本七平

昭和天皇の研究 その実像を探る  (終章 「平成」への遺訓)

「憲法改正に反対した美濃部博士 「正論」はなかなか社会に受け入れられない。一木喜徳郎男爵、美濃部達吉博士、津田左右吉博士のような、戦時中に右翼や軍部から「大逆賊」と攻撃され、あるいは辞職に追い込まれ、あるいは起訴されて法廷に立たされた人たち…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「戦争責任」=「敗戦責任」としての考察 しかし、本書はあくまでも、天皇の自己規定の「研究」であるから、「長崎市長がこう言った」「誰がああ言った」は除外し、天皇ご自身がどう考えておられたかの探求に進みたい。 だがその前にこの「戦争責任」とい…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「おれの息子は、天皇のために死んだ」 本島長崎市長は、朝日新聞で「(自分の発言に対する)支持の手紙には、戦争は国民が「天皇の御ために」と実践し、天皇もそれを知っていたはずという内容のものが多い。天皇の責任の問題は庶民の大多数の心にあるんで…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「津田博士が指摘する「自然のなりゆき」 ここで津田左右吉博士の言葉に耳を傾けよう。前にも引用した「世界」の論文(264ページ参照)は、昭和二十一年の四月号掲載で、野坂参三が凱旋将軍のように延安から帰国し、五月十二日のデモでは、赤旗が坂下門か…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「アジアで唯一の憲法保持国として 「憲法絶対」という態度を、天皇は一貫して変えていない。戦前・戦後の役割について「私は精神的にはなんらの変化もないと思う。常に憲法を厳格に守るように行動してきた」という昭和四十七年九月のお言葉は、まさにそのと…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「天皇は戦争を止められるのに、なぜ止めなかった」 天皇にも、「憲政の伝道師」という意識はあったであろうか。私の勝手な想像だが、天皇にはそういう意識はなかったと思う。(略) 考えてみれば、これは実に不思議なこと、人類史上、これを行ったのは昭…

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

〇中断していた「昭和天皇の研究」のメモを続けます。 (十三章のつづきです。) 「十四章 = そして「戦争責任」をどう考えるか 歴史的”功罪”を論ずることのむずかしさ 歴史上の功罪の評価は、非常にむずかしい問題である。というのは、「功」は裏返せば「…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「文化的統合の象徴としての天皇 では天皇とは何なのか。戦前・戦後という題激変の間、一貫して変わらなかった津田左右吉博士の説を援用すれば、昔も今も「人間(アラヒト)・象徴」であるということになろう。 そしてその思想は、上代の日本人の「生活の座…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「アラヒトガミ」の思想は、どこから生じたか こういう「生活の座(ジッツ・イン・レーベン)」で生きている日本人のところへ、中国から文字が入って来た。文字が入って来たことによって「記紀・万葉」が記されるようになった。もちろんそれ以前の記述があ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「仁徳天皇の御仁政」の伝説は、どこから生まれたか 一方、津田博士は、「日本書紀の記事の解釈であり」、それへの「非難なんであります」と言って「仁徳天皇の御仁政に関する日本書紀記載の本文」について詳しく記している。 有名な「朕高台に登りて以て…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「記紀」入門のための、絶好のテキスト 今日では公判記録が公表されているので、津田博士の立場はよく分かる。氏は「学問の性質とその研究法とを、問題とせられたことがらについて、出来るだけていねいに、説明しよう」という態度を以て公判廷に臨まれ、裁…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「津田博士の神代上代史観 この津田左右吉博士は、東宮御学問所で裕仁親王に歴史を教えた前出の 白鳥庫吉博士の高弟、いわば、歴史学では天皇の先輩である。その彼の上代史に関する研究は、しばしば東大右翼学生の批判の的となり、時には「つるしあげ」のよ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十三章 「人間(アラヒト)」・「象徴」としての天皇 =古来、日本史において果たしてきた天皇家の位置と役割 「文化的問題」としての天皇 ここまでの記述や、また前記の一木・美濃部学説からの引用(187ページ参照)を読めば、誰でも少々首をかしげる…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「陸相人事に見せた、天皇の警告的御希望 (略) ただこの「御希望」がもし、「意に満たぬものを持ってきたら裁可しないぞ」となったらどうであろうか。 昭和十四年八月、独ソの電撃的な不可侵条約の締結に、平沼内閣は「欧州の天地は複雑怪奇な新情勢」と声…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十二章 立憲君主の”命令” = 国難近し、天皇に与えられた意思表示の手段とは 白川大将に示した、天皇の精一杯の”褒賞” 福沢諭吉は「帝室論」で次のように記した。 「帝室は政治社外のものなり。いやしくも日本国に居て政治を談じ政治に関する者は、その主…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「二代目 — 卑屈から一転して増長慢 「(乙)第二代目ころの世態民情 明治二十七、八年の日清戦争後は、以前の卑屈心に引き換え、驕慢心がにわかに増長し、前には師事したところの支那も、朝鮮も、眼中になく、その国民をヨボとかチアンコロなどと呼ぶようにな…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十一章 三代目・天皇と、三代目・国民 = 尾崎行雄が記した国民意識の移り変わりと天皇の立場 対中国土下座状態の一代目 前述のように、尾崎行雄は安政五年(一八五八年)の生まれ、杉浦重剛より四歳年下だが、ほぼ同世代と言ってよい。この時代の人々の特…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「天皇ではなく、国民全体が”三代目” 「次に、予審判事が、予が引用した所の「売家と唐様に書く三代目」という川柳に重きを置き、今上陛下が、たまたま王政維新以後、三代目に当たらせ玉えるため、これを以て、不敬罪犯行の要点となせるは、甚だしき誤解であ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「意見の相違は、法律上の問題にはならない」 彼が心配したほど司法部は行政部すなわち東条内閣に屈従していなかった。 このことは大審院の無罪の判決が示しているであろう。この点で、彼の「不刑罪の宣告を受けて」と「大審院への上申書」も何らかの影響…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「近衛・東条の翼賛体制への痛烈な批判 尾崎行雄は、起訴されても発言はやめず、痛烈に政府を批判し、「憲政以外の大問題」を公表した。これはまず「(イ)輔弼大臣の責任心の稀薄(むしろ欠乏)なる事、 (ロ)当局者が、戦争の収結に監視、成案を有せざるよう…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「「天皇と同意見だと不敬罪」の不思議 尾崎行雄のこの文書は、今まで見て来た天皇の平生の意見、すなわち「五箇条の御誓文」と「明治憲法」の絶対化とほぼ同じであると言ってよい。まことに皮肉なことに、天皇とほぼ同じ意見を述べると不敬罪になる。 もっ…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十章 「憲政の神様」の不敬罪 = 東条英機は、なぜ尾崎行雄を起訴したのか 尾崎演説の何が東条首相を怒らせたのか 天皇自身が機関説を信奉して、そのとおりに行動し、前述のように「ああいう学者(美濃部博士)を葬ることは、すこぶる惜しい」と言われても…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「社会民主主義に共感を抱いたのは、”時代”だった 簡単に言えば、磯部浅一らの青年将校が企画したのは、天皇をかついでの軍う独裁内閣であり、戒厳令のもとで憲法を三年間停止し、その間に国内の一大改造をやろうということで、こういったケースは戦後の中進…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「機関説排撃がもたらした思わぬ影響 しかし機関説は軍内部の主導権争いから”異端”のレッテルに用いられるようになると、天皇の御意向などおかまいなく、この排撃論はますます強くなる。さらにそれが政界にも及び、政敵追い落としにも使われる。こうなると始…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「北一輝には「天皇尊崇の念」など全くなかった ではここで北一輝への妄信の構造を少し調べてみよう。(略) だがここでは第一の顔、すなわち彼の著作を通してみた基本的な思想のみを採り上げたいと思う。といっても、これも短い紙面への要約は相当にむずか…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「九章 盲信の悲劇 = 北一輝は、なぜ処刑されねばならなかったか 北一輝の処刑は、明らかに不当 本書は、二・二六事件について記すのが目的ではない。しかしこの事件は、天皇への「逆照射」となって、その実像を浮かび上がらせる貴重な資料を提供している。…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「真崎大将、陸軍首脳の腰抜けぶり 一方、陸軍の首脳の多くは彼が見た通り腰抜けで、右往左往するだけであった。この点、東京陸軍軍法会議における裁判官の一人、陸軍法務官・小川関治郎の「ニ・二六事件秘史」は、まことに的確に事件の概要を要約している。…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「天皇と磯部浅一との「心理戦争」 天皇のいらいらはまだつづくが、磯部浅一の計画はこのとき挫折したといってよい。(略) そして動揺がはじまると崩壊は早かった。首謀者は、部下に離脱されて崩壊したという結果になる事を恐れ―― 一部ではすでにそうなって…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「事件勃発、天皇の決然たる対応 天皇に反乱勃発を伝えたのは当直の甘露寺侍従、時間は五時四十分すぎ――。 「陛下はまだ御寝になっている時刻だが、事柄が事柄だけに、一時も早く奏上せねばならぬと、御寝室に伺った。差し支えない。緊急の用務ならここで聞…

昭和天皇の研究 その実像を探る

「八章 天皇への呪詛 = 二・二六事件の首謀者・磯部浅一が、後世に残した重い遺産 決起将校の”読み違い”を招来した一事件 天皇への批判はもちろんあるであろう。また怨みを抱いている人もいるかもしれない。しかし、天皇を呪いに呪って呪い殺しそうな勢いで…