読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「家族」という名の孤独

「しばらくすると私にスピーチの順番がまわってきたので、初対面の花嫁に次のように言った。

「この場にふさわしい話題ではないのですが、日本人の離婚についてお話させていただきます。ちょっと前まで日本人の離婚の半数以上は結婚五年以内に起こっていました。平均すると七年目です。

 

 

ところが最近は、これが延びていて平均で10年目ほどになっています。中高年離婚の増加のためで、その多くは妻の申し出によるものです。

どうしてこうなるかと考えてみると、結婚生活では奥さんがあまりいい思いをしていないんですね。日本の男だけではなく、男というものは皆そうなのですが、とにかく

パートナーの女性を母親にして彼女に甘えたがる。世間の人たちも、それを妻に押し付ける。

 

 

日本の女性はとくにやさしいので、これを受け入れて、そのうち自分のために生きるということが出来なくなってしまうんです。(略)」」

 

 

「喫茶店でこの部分を読みながら、私は私自身の”四年目”のことを再び考えていた。妻子に去られてパリのアパートに一人残されたとき、私にはいろいろな選択肢があった。目の前が急に開けて自由な気分がした。事実、それからの数か月の間にいろいろな人との出会いがあった。

 

 

一方で、愛着のオーバーを剝ぎ取られた寒々とした気分につきまとわれ、何をやっても、もうひとつ乗りが悪かった。タバコの量が急に増え、タバ・ノワール(モロッコ産の黒タバコ)のジタンを手放せなくなった。(略)」

 

 

「異性のケア(世話焼き)を必要とする男と、男に必要とされる必要を感じている女が出会うと、双方は一瞬のうちに相手の欲求を見抜いてアドレナリンの同時噴射が生じ、一緒になる。ケアと愛は混同され、女は男の母のような役割を背負い込み、その役割の重さに酔って、自分の人生を失う。男は、異性を愛することが出来るようになるという真の成熟の過程を失い、子ども返りの道を引き返す。(略)」

 

 

 

「粗野で乱暴で女を人間扱いしない男、クスリかアルコールをやっていて酔うとおかしくなる男、自分の女を囲って外へ出さない男、気に入らないと女を殴る男。そんな男たちが、もしA子の愛で成長し、A子を大切にし、安全にしてくれるやさしい男に変身するとしたら、彼女は自分の人生のすべてを受け入れることができるようになる。

 

 

A子が生きるということは、A子がこのゲームに勝ちをおさめることである。だからA子は、この種のパートナーを繰り返し求めた。

これからも求め続けずにすむためには、どうしたらいいのだろうか。

木下氏の文書が私に求めている解答とは、そのことである。」

 

 

「ところで男性患者のみについて死亡時平均年齢を婚姻関係別に見ると、著しい差があるのに驚かせられる。一度も婚姻歴のない男たちの死亡時平均年齢は四〇歳代の半ば、妻がいたが逃げられたという男たちのそれは、四〇歳代の終わりにくる。

 

これに対して、妻と同居しているという男たちは、六〇歳を越してから死亡することが多い。一方、女性患者ではこうした差が見られない。

アルコール依存症者に限らず、妻に先立たれた男は早々に死に至るのに対し、女では夫を欠いてからも長生きする者が多い。(略)」

 

 

「もっとおかしかったのは、「あなたにとって、もっとも不安なことは何ですか?」という質問に対する回答だった。「妻に先立たれること」というのが、もっとも多かったのである。

これで見る限り、日本の夫たちは”母である妻”の世話焼きを期待し続けるガキのようである。」

 

 

「そういうわけで家族依存症とは家族中心(優先)主義であり、家族強制であり、家族中毒のことである。家族メンバーが、家族の維持や秩序を重視するあまり、自らの欲求の所在を見失い、感情を鈍麻させているようであれば、これは家族依存症者である。

 

 

そしてそうした家族依存症者の充満した逸脱恐怖的な環境の中で、われわれ日本人は生活しているのではないかと思うのである。(略)」