読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「年寄りの世話
イエは永遠につづく生活共同体でした。男も女もイエをまもって生きてきました。そしてイエに守られて死にました。イエには、いつも女手がありましたから、年とって寝た切りになれば代わりあって世話しました。イエをまもる嫁はつらかったでしょう。


だが年をとって死ぬ時のことを心配しませんでした。親を見とるのは家事で、息子の嫁がしてくれます。
時代が変わりました。年をとって死ぬことが、人生の最大の難関になりました。医学が死んで行く道のりを長くしてしまったからです。(略)



育児と家事はたのんだと言われたのを、引き受けたのが専業主婦だとすれば、専業主婦は、思わぬ舵を担うことになりました。イエがなくなって、核家族になったので、育児も家事も、ひとりでは、にないきれない仕事になったのです。



若い夫はオッパイが出ず調理もやれないので、育児と家事はキミにたのむよと、こともなげに言います。若い妻も赤ちゃんに乳をのませる誇りと、喜びから、先のことを考えないで、簡単にOKを出します。だが時代が変わりました。



家事の守備範囲が、途方もなく広がってしまったのです。以前はイエには、嫁のほかに夫の妹、大きくなった娘などがいましたから、老人の世話を一人ですることはありませんでした。



核家族になって、子どもの数が少なくなっただけ、長男の嫁がふえました。たいていの専業主婦は、自分の親もふくめて、寝たきり老人の世話を、一生に何度も引き受けねばなりません。これは女だけでしょいきれることでありません。


政府はホームケアと称して、年寄りの世話を女に押し付けますが、疲労困憊で倒れる嫁や娘があとを絶ちません。
男は自分は妻に世話してもらえると決めていますから、政府の老人対策に関心がありません。


どの家庭の夫も、核家族でにないきれない老人問題は、政治によってしか解決できないことを知らねばなりません。そしてなにほどか政治的人間に変身することです。」


〇 今は、単身の娘、息子が親の介護で自分の生き方の自由を奪われているそうです。私も義父母の介護を担いましたが、ケアマネさんや病院のソーシャルワーカーが、様々なサービスの情報を伝えてくれました。

ヘルパーさんにも、入ってもらい、デイサービスも使いました。
それでも、私は、その頃から、常にめまいの症状が出るようになり、今も、それは治っていません。医者によると、自律神経の問題だろう、ということです。

全く、全てを放棄したい人はいないと思います。大切な家族の介護ですから。
ただ、健康に介護が続けられるように、介護が終わった後も、また元気に生きていける状態に、援助する必要が、あると思います。