読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

論語の読み方 ― いま活かすべきこの人間知の宝庫 ― 

「これは下剋上を否定した言葉で、日本では伝統的にこの訳のように「政権を実質的に奪った大名は、十代以上まで続かない」とされてきた。そして、大名の家老が実権を握ればこれは五代、さらにその下が握れば三代と、こう理解したのである。(略)」

 

〇この感覚は、確かに私の中にもあるような気がします。

上と下を考える…。

つまり、私たちの社会には、身分による差別はないと言いながら、格上格下とか、

品格という言葉を通して、人間には、「格」というものがあると刷り込まれているような気がします。

 

 

その「下」のものは、「上」のものに敵うはずがないという感覚。

だからこそ、「天下道あれば、則ち政大夫に在らず。天下道あれば、則ち庶人議せず」で、一般の庶民は、お上のやることをあれこれ言わないのが、本来の在り方だし、

「お上」の方も、その本来の在り方に則って政治をするためには、「天下に道がある」と思わせなければならないので、様々な問題点を隠して、道があるように見せる必要がある、と。

 

こうしてこの論語の言葉を読んでいくと、あの聖書を読んでいた時とは違い、

言葉以前の感覚として深く入り込んでいるような気がします。

 

 

「「礼楽興らざれば、則ち刑罰中らず」

孔子の時代にもたいへんに大義名分が乱れており、孔子がこれを憤慨したことは、2章で述べました。では一体、当然に天子の権限とされる「礼楽・征伐」とは何であろうか。

 

 

通常これは「政策」「軍事」と訳す。征伐が軍事のことはだれでもわかるが、一体全体、なぜ「礼楽=政策」なのか、だれでも少々不思議に思うであろう。(略)」

 

「「子路曰く、衛君、子を待ちて、政をなさば、子まさに奚(なに)をか先にせんとすと。

子曰く、必ずや名を正さんかと。子路曰く、是に有るかな、子の迂なるや。奚ぞそれを正さんと。

 

子曰く、野なるかな由や。君子はその知らざる所に於て、蓋し闕如す。名正しからざれば、則ち言(げん)順(したが)わず。言順わざれば、則ち事成らず。事ならざれば、則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、則ち民手足を措く所なし。

 

故に君子これを名づくれば、必ず言うべくす。これを言えば、必ず行うべくす。君子その言に於いて、苟もする所無きのみ」(子路第十三306)

 

衛の国は乱れていた。この国は先に述べたように子路(由)が最後に殺された地である。子路は衛の君が政治を孔子にまかすのではないか、と考えたのであろうか、まず次のように言った。

 

 

「いまもし衛の君が先生を招聘して国政をまかせるとしたら、この乱れた国で、まず何から手をつけられますか」と。孔子が言った「必ずや名を正さんか」と。これが儒教の「正名論」で、宋の時代に、この正名思想はひじょうに盛んになり、日本もその影響を受けたが、その出典はこの孔子の「正名」である。「正名」とは簡単にいえば「名と実を一致させること」、いわば「名目と実体」を一致させることである。

 

確かに、これが一致していなければ秩序は成り立たない。しかし、父と子が

争っている衛の現状では、子路にはどうも孔子の言っていることがピンとこない。クーデターでも起こして、さっと秩序を回復した方がよっぽど手っ取り早いはずだ。

 

 

少々がさつな子路は思わず言った。「これだからなあ。これだから世間では先生を世の中のことを知らない、と言うんだなあ。名分など正してどうするんですか」と。

ところが、孔子子路を叱っていった。

「がさつ者だな、相変わらず子路は。いいか。君子は知らないことは黙っているものだ。まず名と実が一致していないと筋が通らず、筋が通らないと政局は安定せず、政局が安定しないと礼楽は興らない。礼楽が興らないと刑罰が公平ではなく、刑罰が公平でないと民心が安定せず、一挙手一投足にまで不安がつきまとう。だから国が混乱する。

 

そこで名を正すことが大切になる。しかも名を正したら必ず筋を通して言い、言ったら必ずその言葉(政策)を実行しなければならない。君子はその言葉において(いまの子路のように)軽率であってはならないのだ」」