読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

論語の読み方 ― いま活かすべきこの人間知の宝庫 ― (1章 いま、なぜ「論語」なのか)

「< 共通の古典の存在こそ、教育のバックボーン>

(略)

このように見ていくと、戦後とは一見、古典的素養に基く自律性皆無の膨大な「無規範人間」を生み出したように見えるし、この傾向が皆無とはいえない。(略)

 

<なぜ、戦後の「論語批判」が的はずれか>

(略)

だが、明治の場合と同じく「論語」だけは読みつがれていた。

私たちが戦前に読んだのは、昭和六年版(一九三一年)の簡野道明著「論語解義・増訂版」である。初版はその二十年前だから明治四十四年(一九一一年)である。

私はこの本を焼失したが、戦後に神田の古本屋で同じ本を見つけた。

 

懐かしさのあまり買って奥付を見て驚いた。「昭和三十二年増訂五十一版」となっている。戦前戦後という激変の時代には、また多くの話題を提供した本が泡沫のように時代の流れの中に消え失せていった時代に、この「論語解義」は静かに生き続けていたわけである。

これが、その民族の古典というものであろう。(略)

 

 

私は戦後の食糧不足のころ、しばらく闘病生活をしていたが、病中のつれづれに読んだ雑誌の一文を、遠い昔に何かで読んだような気がした。何であるかしばらく思いつかなかったが、ふと「論語」のあの句ではないかと思い、思い当たるところを開いてみた。

 

 

 

そこには、政治のあり方を弟子の子貢に問われた孔子が「食糧備蓄、軍備の充実、民の信頼」を挙げ、さらに、この三つが保持できない場合、まず何を捨て去るかを問われ、真っ先に「軍備」を挙げ、次に食糧備蓄を挙げ、何よりも大切なのは人民の信頼で、これを失ったら一切の政治はないと説いているのである。

 

「子貢、政を問う。子曰く「食を足らし、兵を足らし、民之を信ず」。子貢曰く「必ず己むことを得ずして去てば、この三者に於て何を先にせん」。曰く「兵を去てん」。子貢曰く「必ず己むことを得ずして去てば、この二者に於て何をか先にせん」。曰く「食を去てん。古より皆死あり。民信なくば立たず」」(顔淵第十二286)(略)」

 

〇 このように、訳文が先にあって、その後に、漢文の読み下し文のようなもの?があるのが、とてもわかりやすく、助かります。

「民信なくば立たず」という文章は何度も聞いたことがあり、なんとなくわかっているような気がしていましたが、このような文脈の中で言われた言葉だとは、知りませんでした。

 

「<共通の規範がなければ、信頼感は生まれない>

(略)

そして孔子は、「政治への信頼をかちえることはできる」と言い、「民信なくば立たず」(顔淵第十二286)、すなわち「人民の信用をなくしたら、それはもう政治ではない」と言うわけで、これはまさに、現代への最も正しい政治認識と言えるであろう。もちろん、このことは経営者にも言えるし、管理職にも言える。

 

 

では一体、どのようにすれば、この「信」を得ることができるのか。(略)

そして政治・経済・個人の不信が極限までいけば、社会そのものが崩壊してしまう。社会そのものが信なくば立たずである。では一体、「信」とは何なのか。

それは互いに同じ規範を持っているという信頼感であり、これを培ってきたのが伝統である。それが崩壊した社会は、現代では少しも珍しくないから、その恐ろしさはすでに多くの人が語っているし、私もそれを経験している。(略)

 

 

 

<現実からの逃避は、無規範社会の肯定に同じ>

「(略)

子路は去って二人の言葉を孔子に告げた。孔子は二人が自分の考えていることの真意を喩(さと)らないのを惜しみ、憮然として嘆息して言う。「彼は、世を避ける士に従うほうがよい、と言うけれども、われわれは人類なのだから、いかに世を避けたからといって、まったく人と交わらないで鳥獣と共に群れを同じくすることはできない。

 

 

人類とともに群れを同じくするのでかくて誰と群れを同じくできよう。それゆえ、世を避け人と絶つことがどうしてできよう。彼は、天下に道がないから、一体だれとともにこれを易(か)えようとするのか、と言うけれども、もし天下に道があるならば、わたしも治に安んじて易(か)えようとはしない。今、天下に道がないからこそ、道を行なってこれを易(か)えようとしているのに」」(微子第十八466)

(略)

 

 

 

いわば、「世俗から超然としているように見える人間は、実は、世俗をそのまま肯定している結果になるのであり、しかも現実には、孔子の時代ですら完全に社会から断絶して超然としていることはできない。まして現代では、「世捨人」のような顔をしているヒッピーなどは、近代化・工業化社会に寄生して生きていながら、それを無視しているような顔をしているだけである。

 

 

このことは神学者ティリッヒが指摘して批判しているから、洋の東西を問わず、昔から今に至るまで同じような考え方が常に存在していることを示している。孔子はこの逃避的な発想を容認しない。(略)

といって「乱におもむき悪に走る」無規範社会を批判し、呪いつつ、実はそのままどっぷりつかって生きているなら、自らもその社会を構成している一人にすぎない。その中にいて、なお、人間の相互信頼を回復できる共通の規範を打ち立てようというのが孔子の生き方であろう。

(略)

 

 

 

いわば孔子が求めたのは「世俗社会の秩序の哲学」であって、けっして「隠遁者の神学」ではない。そして「論語」は、伝説によれば日本に渡来した最初の書籍であり、それは徐々に浸透し、日本が西欧の影響を受ける明治の直前ともなると、前述のように、一介の農民でも少し富裕なものは「四書・五経」を読み、それを自己の規範とし、子どもを教育し、また子どもを叱り諭すにも、それらからの引用で行うまでになっていた。(略)

 

 

 

 

ここで問題にしたいのは、その父が子を訓戒するために用いている「思不レ出ニ其位一」という言葉である。これが何からの引用か、今では「大学出」のインテリに聞いても答えられないであろう。

 

 

これは「易経」および「論語」の「憲問第十四361」からの引用で、「君子はその立場に忠実であると同時に、人の領域を犯さない。自分の位置、職責には使命感をもって徹するが、人のことにむやみに手を出し口をはさむことを慎む」の意味だが、渋沢栄一の父はこのように、けっして「オレがダメだと言ったらダメだ」と言っているのではなく、聖人の教えによれば、そうしてはならないがゆえに、そうしてはならないと言っている。

 

 

これが「共通の古典を持つがゆえに成り立つ親子の対話」であり、富裕とはいえ彼の父は一介の農民だが、その農民でも「四書・五経」を自由に引用している。こういう人が「論語」を完全に暗記していても不思議ではない。」

 

〇この「論語を読み方 ―いま活かすべきこの人間知の宝庫—」という本は、

1986年(昭和61年)に出版されています。「…まして現代では…」という文章を読みながら、今やこの時代よりも更に「無規範社会」の問題は大きくなってしまったと感じます。

 

 

「(略)

今では、自分がいかなる規範に従い、社会にどのような共通の規範があるのかわからなくなっているから自分の子どもを叱るにも、何が「親子を共に律する規範」で、何が社会一般に共通している規範なのかわからなくなっている。そのため渋沢の父のような態度がとれる人間はきわめて稀になってしまった。

 

 

それでいて「親子の断絶」を嘆いてもはじまらない。「…どっちの教養が本物かといえば、昔の人たちのほうだ」 — 確かにそういう家庭なら、子どもが金属バットで両親を撲殺したり、娘が、新婚旅行の途次に、他の男との間の嬰児の殺害死体を棄てたりするようなことは起こすまい。(略)

 

 

 

当時のさまざまな事件を挙げていけば、暗殺・虐殺・裏切り・兄妹相姦・スワッピング等々のスキャンダルがあり、これが、けっして現代の特徴でもなければ、近代化・工業化・都市化のために起こった現象でもないことを示している。

 

 

社会の崩壊とともに生ずる無規範の歴史も、長くかつ根深い。では、それは克服できないのか。一体これに、どう対処すればよいのか。

こういう無規範状態は、法律を厳しくし、警察権力を量的にも質的にも拡大し、いわば警察国家を作って徹底的に取り締まれば脱却できるであろうか。(略)

 

 

 

というのは、そういう時代には警察官も内的規範を喪失しているから、無規範状態の克服は余計にむずかしくなるだけである。

孔子は次のように言っている。「之を導くに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥なし」と。

 

 

いわば「法律いってんばりの政治のもとにあっては、一般の道徳感情が地に落ちる。つまり人民は、法律に触れさえしなければ、何をしてもいいと考え、ついには法にひっかからねば、どんな悪事を犯そうと、恥じることを知らない人間ができあがる」という状態、すなわち「民免れて恥なし」となり、弁護士だけがやたらに多くなり、かつ繁昌するという社会になってしまう。

 

 

そうではなく、この逆を行なえば、すなわち「之を導くに徳を以てし、これを斉(ととの)うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格(ただ)し」(為政第二19)となるのである。(略)

 

 

 

「世の中をよくするために悪党を全部殺したら、などと考えるのは大きな間違いである。政治の目的は人民を生かすことにあるのだから。治者の徳性は風であり、人民の徳性は草である。善道の風を送れば、民は必ずこれに従って善道になびく」

「季康子、政を孔子に問うて曰く、kもし無道を殺して有道を就(な)さば如何。

孔子対(こた)えて曰く、子、政を為すに焉(いずく)んぞ殺を用いん。子、善を欲すれば民善なり。君子の徳は風にして、小人の徳は草なり。草はこれに風を上(くわ)うれば必ず偃(ふ)す」(顔淵第十二298)」

 

 

「<「怪・力・乱・神」を語らず「古(いにしえ)」を好む>

これが孔子の基本的な考えである。では、この「道」とは何なのか。一体それを孔子はどのように説いたのか。これを知るには、まず孔子が何を説かなかったかを考えねばならない。

 

 

「子、怪・力・乱・神を語らず」(述而第七168)

孔子は奇怪なこと、力をたのむこと、世の乱れや人の道を乱すこと、神怪のことなどは、口にし、説明しない。常に当たり前のことを説いた」

これは諸橋轍次氏の注だが、この「当たり前のこと」とは何なのか。簡単にいえば、それが「論語」の内容なのである。(略)

 

 

 

「子曰く、私は生まれながらに知識をもっていたわけではない。古代の理想社会を慕い、こまめに知識を追求した結果なのだ」

「子曰く、我は生まれながらにしてこれを知るものに非ず。古を好み、敏にして以てこれを求めし者なり」(述而第七167)や、

 

 

 

「古典に習熟して、そのうえでそこに新しい意義を見出し、その新しい解釈のもとに、現実問題に適用できるようにして、はじめて人に教える師となることができる」

「子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師と為るべし」(為政第二27)もそれを示す。(略)

 

 

 

 

おもしろいことにユダヤ人の学習法もまたこれと同じなのである。いわば、旧約聖書とタルムード(ユダヤ教の口伝に基く法と生活規範)を徹底的に学び、それを基にしつつ、同時にその中にない新しいものを求めていき、それを余白に記す。(略)

 

 

 

そしてそれをやってみると、まさに「日の下に新しきものなし」(旧約聖書伝道の書)を思い知らされる。そこで、なにやら新しいことを言っているつもりの愚者にならないですむ。それを踏まえて孔子は次のようにも言った。」

 

 

「<思いて学ばざる」ことの悲劇>

(略)

 

「子曰く、学びて思わざれば、即ち罔(くら)し、思いて学ばざれば即ち殆(あやう)し」(為政第二31)

という非常に有名な一句に集約されているであろう。

「学ぶだけで思索しなければ心がくらくても何も知り得ない。自分で考えるだけで学ばなければ落とし穴に落ちる」の意味で、吉川幸次郎氏は「思索ばかりで本を読まない者はハッタリになる」といったような意味とされる。(略)」

 

 

 

「<理想社会の出現を信じない徹底したリアリスト>

(略)

 

あらゆる意味で孔子は徹底したリアリストであり、同時に理想を持ったリアリストであった。

「いま、なぜ「論語」なのか」と問われれば、「科学」という名の「空想」に基づく「思いて学ばざれば則ち殆し」といった「戦後主義」の風潮にとって、孔子とはまさにその対極の人だからである。彼は、理想を抱きつつなお、あらゆる意味で、人間を「浮き上がった」存在にしなかった。

 

 

そして現代、その視点から「論語」を読むことこそ、「故きを温ねて新しきを知れば…」ということであろう。だが、以上のように見てくると、私には、このような人が紀元前六世紀にいたということの方が、むしろ奇跡的に思えてくるのである。

では一体、孔子とはどのような人であったのであろうか。「論語」を念頭に置きつつ、まず、彼の生涯を振り返ってみよう。」

 

〇ここで、1章が終わっています。

ここでは、昔は庶民階級も論語を読み、親は子を育てる時の、共通の規範としていた、となっていますが、少なくとも私レベルの「庶民」(戦後生まれ)は、生活の中で論語を意識したことは全くありませんでした。

 

ただ、温故知新や巧言令色鮮し仁という言葉は、折に触れて耳にした記憶があります。

私の印象としては、私よりも年上の「偉い人」たちがそのような知識を持っていて、

時々それを引き合いに出す、というように見えていました。

戦後の学校教育では、思想・信条・宗教にはタッチできない(それらの自由を保障するために)ということだったから、規範らしきものを知る環境は、家庭と地域社会のみだったのだなぁ、とわかりました。

 

また、「故きを温ねる」というやり方は、ユダヤ人の学習法にもある、と聞いて、

以前、ハンナ・アーレントの「精神の生活」を読んだ時に、彼女は確かにそうしていた、と思い出しました。

 

(以下「精神の生活」よりの引用)

「そして我々がこういう状況の中でせいぜいできる事は、これまでの世代が神秘的な「初めに」[創世の物語]をなんとか把握するために伝統的に理解の手がかりとしてきた伝説にたちもどることである。

 
 
私は創設の伝説のことを指している。それは明らかに、あやゆる統治支配の形式やそれを動かす一定の原理よりもその先にある時間にかかわることである。」
 
 
 
〇 そして、この時にも思ったのですが、私たち日本人がその「創世の物語」にたちもどるとは、どういうことなのだろう、と。
私たちには、そこにたちもどって、勇気やモチベーションを取り戻すような「創世の物語」があるんだろうか、と。
やっぱり「天皇」になってしまうしかないのか…。
 
でも、そこに「共通の規範」はあるのか、と。
 
これは、私の想像ですが、
だからこそ、この山本氏は「論語」を挙げてこれを共通の規範にしませんか、と提案したのではないかと思いました。