読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「家族」という名の孤独

「日本人は母と息子の関係やその歪みについて敏感である。とくにマザコン男というのに衆目が集まっていて、ちょっと前には「冬彦さん」という言葉が流行語にまでなった。しかし私の見るところ、母と娘の関係は、母と息子以上に検討されるべきものである。(略)」

 

「やがて娘はアルコールを飲みながら、「今日しか言えないことだから、聞いて」と語り出す。それは母を深く求めながら、恨む者の言葉だった。

以下は、そのときの長いセリフの一部である。

 

「母と娘。なんて恐ろしい関係なのかしら。お互いに傷つけあい、いがみ合う。それを愛という言葉で片づける。母の傷や不満はそのまま娘に引き継がれる。母の不幸は、そのまま娘の不幸になる。きってもきれないこの絆」

概して母と娘の間というのは、心理的距離をとりにくい。(略)

 

 

娘、とくにひとり娘や長女となると、母親はまるで自分の体の延長のように娘を感じてしまうようだ。自分の一部なのだから、自分と同じように感じているはずだと考える。自分の喜びは娘の喜び、自分の嘆きは娘の嘆きと思うから、夫への愚痴などがあれば、思う存分たれ流す。

 

 

娘がそれを聞いて、どのように感じるかに思いがいたらない。それほどの一体感の中に、入り込みがちなのである。(略)」

 

 

「娘から離れて静かになってから、この母親が思いついたことというのは、娘の声と自分の母親の声との類似だった。娘は赤ん坊のときからよく泣く、泣き声の大きい煩わしい子だった。その煩わしさ、要求の強さというのが、気にかかっていたのだが、落ち着いて考えてみると、あれは自分の母親の声だった。」

 

 

「私の臨床での経験から言うと、声の質の類似というのは、かなり重要である。何にとって重要かというと、ある人が人を好いたり、嫌ったりする要素として重要である。人は人を好きになるときに頭でいろいろな理屈を考えるが、そんなものは皆、嘘である。

 

 

意識は、嘘しかつかない。人をつき動かし、何かをさせるものはいつも人の意識には浮かばない。浮かべない。それを知ろうとすれば、その人の行動の連鎖を辿るほかない。(略)」

 

「一見不思議なようだが、よく考えてみると、もともと「おねだり」とか「要求」とかいうのは、そうした質のものなのかもしれない。ねだる者が、もっとも求めているのは、実は相手がその要求を察してくれていることなのだ。(略)

 

 

娘は自分の存在を、まるのまま認めてくれることを母に求めた。求める必要があったのだろう、母は娘との関係に自分の母との緊張した関係を映していたのだから。このことが伝えられないから、伝えようもなかったから、娘は「おねだり」した。そしてそれをするごとに、母を恨んだ。」