「男性優位の社会は女性に対して”聖なる母”と”淫蕩な女”の分裂した役割を押し付けてきた。”かあさん”や”おふくろ”に対する男たちの熱い思いが、女性の子育てを聖化し、人々は母親という言葉を聞いただけで無限の自愛や無条件の献身を期待してしまうようになっている。
母親による虐待は、人々のこうした期待を裏切ることによって、父親の虐待よりも注目されることになる。(略)
女性たちは長い間、聖母のイメージを逆手にとり、家の中の世話焼き仕事を通して家族を支配することに喜びを感じてきたのだが、最近の日本における出生率の低下は、女性たちが聖母の期待に応えることに疲れて、母親役割を回避しようとするようになってきていることを示している。」
〇 先日のニュースがショックで頭から離れません。
でも、自分の身を守るためとなると、どんなことでもするのが人間で、
あの「サピエンス全史」の中にあった、「人工的な本能」がなければ、
チンパンジーの残虐性と同じものを発揮してしまうことに何の不思議もないのでしょう。
今の生徒のイジメを見ても、入管管理局の冷たい仕打ち、更には、
ジャニー氏による虐待をここに至っても問題視しない日本政府の在り方等々、
人権感覚のなさ=人工的な本能が作られていない野蛮人=日本人 のように見えます。
一部の人だけの問題ではなく、私たちの社会が、産んだ直後の赤ちゃんの
頭をコンクリートに打ち付けて殺す人間を育てている社会のように感じてやりきれなくなります。
「アメリカの心理療法家のジェイン・スウィーガートは、「バッド・マザーの神話」(斎藤学監訳、誠信書房、一九九五年)という本の中で、今まであからさまに語られることのなかったマザリング(母親業)の暗い側面、つまり母親たちの怒りと苦悩に照明をあてている。
乳児を抱えた母親が感じる「乳児返りして、母親に抱かれたい」という欲求(このことが語られることはほとんどなかった)、すべてを奪いつくす子どもの欲望に仕えながら何の報いもないマザリングの仕事の厳しさ、乳児が育って自律的に振る舞うようになったときに感じる寂しさと裏切られた感じと怒り、そうした寂しさに耐えられない母親の強迫的妊娠(自身が得られなかった愛と抱擁の感覚を、乳児を世話することで代償しようとする母親は、子どもの成長が目につくようになると、大急ぎで次の妊娠をする)、
思春期の子どもを手放すことの困難さ、仕事を持って社会的達成を望む母親たちが、子育て期に感じる焦りと子どもへの罪悪感、成長した子どもたちの憎まれ役になるのも母親であること、そして何よりも、子育てを女性の「本能」と見なしてマザリングに関心も払わず、金も使おうとしない社会(男性)への批判などが、この本の中で語られている。
子育てについては、その喜びと充実感のみが語られることが多かった。(略)
しかし、マザリングとこれに伴う明暗、それぞれの現実は、改めて語り直さなければならない時期にきているようだ。」
「アメリカの社会学者ナンシー・チョドロウは、このころの母親の内面を正確に記述した資料が極めて乏しいことを指摘している。その理由は、この時期に母親の心に生じるものを母親たちは延べたがらないからである。
この時期、母親は喪失、渇望、いや気(子どもがライバルになった感じ、子どもに利用されている感じ、子どもに使い古された感じ)、落胆、憎しみといったさまざまな感情を体験する。体験はするが、こうした否定的感情は、否認されたり隠蔽されたりしてしまう。
授乳期の母親が感じる全能感と自信は失われ、母親自身が子どもの行為(自律を主張する行為)に傷つきやすくなっている。
母親がこの時期、子どもを叩くことが多いのはそのためである。」
「スウィーガートの「バッド・マザーの神話」の中でもっとも注目をひくのは、父親が主たる養育者であった子どもの方が心身の発達が早く、社交性もストレスに耐える能力も伸びると書かれていることである。(略)
乳児の泣き笑いをビデオで観察し、父親に対する反応が母親の場合と明瞭に区別できないことを観察した学者がいる。四歳以前に父親不在の家庭で育った場合には、欲求不満に耐える機能の発達が悪く、思春期以後の社会適応に問題が生じやすいという指摘もある。
父親不在で成長した子どもたちは、そうでなかった子どもたちと比べて、IQ(知能指数)で六以上低かったなどという報告さえある。」