読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「離婚
離婚の理由は結婚の理由より明確なものです。結婚は十分に知り合っていない二人が、惚れ合って結びつきますが、離婚は十分に知り合った二人が、考えた上で離れるからです。



結婚は情動によりますから、ためらいませんが、離婚は理性によるだけ、ためらいます。
もっとも離婚も情動につよく動かされると、ためらわないことがありえます。夫に愛人がいることを知った妻が、相手の女のところに押しかけて、膝詰め談判に及ぶと、相手もこちらも、理性的になれません。



相手の女は惚れている夫に泣きついていきます。「死にます」などと言われると、女に惚れている夫は情動にまけて、力による協議離婚にしてしまうことが少なくありません。



夫に愛人がいても離婚せずに切り抜けた家庭のおおくは、妻が情動をおさえて、終始理性的にふるまったケースです。惚れている状態は永続的でないことを、自分たち夫婦の経験から承知していて、平静に家庭生活をつづけて、冷却を待ったのです。




攻撃的性格の男が、男尊女卑の家庭で育って、妻に暴力を振るう場合、女が離婚するのは、情動で誤った選択を、理性で正したのです。しかし、妻が十分理性的であり、夫も情動的でない離婚が増えました。このときは、妻の理性による離婚理由は、夫には理解できません。



夫は「なぜ離婚したいのかわからない。浮気もしていないし、月給も渡している。悪い事をした覚えがない」といいます。亭主関白で妻をどんなに傷つけたかわからないのです。
性格の不一致と言われますが、実は教養のギャップができてしまったのです。企業が夫を働かせすぎるので、家庭の団欒の時間が無くなってしまい、当たり前なら団欒に過ごす時間が、妻だけの教養に費やされたからです。



映画「クレイマー、クレイマー」は、そこのところを巧みに描きました。会社人間の夫が跳び越し昇進をしたと喜んで帰宅した時、妻は荷造りを済ませていて、家を出て行きます。



これから、そういう離婚が、専業主婦の場合増えるでしょう。だが夫のカルチュア・ギャップを予防することの出来たのは、妻だけであったのを忘れてはなりません。



離婚の時、しばしばないがしろになるのは子供の人権です。独立した人間である子供にとって、親の離婚理由は、自分が虐待されるのでない限り、理解もできないし、責任もありません。離婚は子供にとって、親を愛する権利を奪われることです。人権の侵害です。


妻が夫への嫌悪に子どもの同調を強制するのもよくないし、世間が、母性愛は父性愛よりも、つねに優越すると思うのも偏見です。
映画「クレイマー、クレイマー」は、子どもは父親も母親も愛するものであり、父親が父性愛を持ち続けるのも男の権利であることをしめしたものです。」