読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史  上 第9章 統一へ向かう世界

「農業革命以降、人間社会はしだいに大きく複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になって行った。神話と虚構のおかげで、人々はほとんど誕生の瞬間から、特定の方法で考え、特定の基準に従って行動し、特定のものを望み、特定の規則を守ることを習慣づけられた。


こうして彼らは人工的な本能を生み出し、そのおかげで厖大な数の見ず知らずの人同士が効果的に協力できるようになった。
この人工的な本能のネットワークのことを「文化」という。

 

20世紀前半には、学者たちは次のように教えた。どの文化もそれを永遠に特徴づける不変の本質を持っており、完全で、調和している。人間の集団にはそれぞれ独自の世界観と、社会的、法律的、政治的取り決めの制度があり、惑星が恒星の周りを回るように、集団を円滑に動かしている。この見方によれば、 文化は放っておかれれば変化しないという。(略)


だが今日では、文化を研究している学者の大半が、その逆が真実であると結論している。どの文化にも典型的な信念や規範、価値観があるが、それらは絶えず変化している。(略)矛盾とは無縁の物理学の法則とは違って、人間の手になる秩序はどれも、内部の矛盾に満ちあふれている。文化はたえず、そうした矛盾の折り合いをつけようとしており、この過程が変化に弾みをつける。」

 

「この矛盾が完全に解決されることはついになかった。だが、ヨーロッパの貴族や聖職者、庶民がそれに取り組むうちに、文化が変わった。」


「中世の文化が騎士道とキリスト教との折り合いをつけられなかったのとちょうど同じように、現代の世界は、自由と平等との折り合いをつけられずにいる。だが、これは欠陥ではない。このような矛盾はあらゆる人間文化につきものの、不可分の要素なのだ。


それどころか、それは文化の原動力であり、私たちの種の創造性と活力の根源でもある。」

 

「たとえばキリスト教徒が、通りの先にあるモスクに通うイスラム教徒のことを理解したいと心から願っていたら、すべてのイスラム教徒が大切にしている純粋な価値観の数々を探し求めるべきではない。


むしろ、イスラム教文化のジレンマ、つまり規則と規則がぶつかり合い、標準どうしが突進している部分を調べるべきだ。イスラム教徒を最もよく理解できるのは、彼らが二つの原則の間で揺れている場所なのだ。」

 

<歴史は統一に向かって進み続ける>

 

「人類の文化は絶えず変化している。この変化は完全にランダムなのか、それとも、何かしら全体的なパターンを伴うのか?言い換えると歴史には方向性があるのか?


答えは、ある、だ。何千年もの間に、小さく単純な文化が、より大きく複雑な文明に少しずつまとまって行ったので、世界に存在する巨大文化の数はしだいに減り、そうした巨大文化のそれぞれが、ますます大きく複雑になった。」

 

「歴史の進む全般的な方向を理解する最善の方法は、地球という惑星上に同時に存在する別個の人間社会の数を数えることだ。」

 

「地球上には異なる人間社会が幾つ存在したのだろう?紀元前一万年ごろ、この星には何千もの社会があった。紀元前2000年には、その数は数百、多くても数千まで減っていた。


1450年には、その数はさらに激減していた。ヨーロッパ人による大航海時代の直前だった当時、地球にはタスマニアのようなごく小規模な世界が以前として相当数あった。だが、人類の九割近くが、アフロ・ユーラシア大陸という単一の巨大世界に暮らしていた。


アジアとヨーロッパの大半と、アフリカの大半(サハラ砂漠以南のかなりの部分を含む)は、文化、政治、経済の重要な絆ですでに結ばれていた。

世界人口の残り一割の大半は、相当な規模と複雑さを持つ四つの世界に分かれていた。

1 メソアメリカ世界 — 中央アメリカのほぼ全土と北アメリカの一部に及ぶ領域。

2 アンデス世界 ― 南アメリカ西部のほぼ全土に及ぶ領域。

3 オーストラリア世界 ― オーストラリア大陸全土に及ぶ領域。

4 オセアニア世界 ― ハワイからニュージーランドまで、太平洋南西部の島々の大半を含む領域


その後300年間に、アフロ・ユーラシア大陸という巨人は、他の世界をすべて呑み込んだ。」

 

アフロ・ユーラシア大陸という巨人が、呑み込んだものをすべて消化するまでには数世紀かかったが、この過程は逆転不可能だった。今日、人類のほぼ全員が同一の地政学的制度(地球全体が、国際的に承認された国家に分割されている)や、


同一の経済制度(資本主義の市場勢力が、地球上の最果ての地まで支配下に置いている)、同一の法制度(少なくとも理論上は、人権と国際法があらゆる場所で有効になっている)、同一の科学的制度(イラン、イスラエル、オーストラリア、アルゼンチン、その他どこの専門家であれ、原子の構造あるいは結核の治療法について、完全に見解を一にしている)を持っている。」

 

 

<グローバルなビジョン>

 

「実際的な視点に立つと、グローバルな統一の最も重要な段階は、数々の帝国が発展し、交易が盛んになった、過去数世紀の間に展開した。」


ホモ・サピエンスは、人々は「私たち」と「彼ら」の二つに分けられると考えるように進化した。「私たち」というのは、自分が何者であれ、すぐ身の回りにいる人の集団で、「彼ら」はそれ以外の人全員を指した。


じつのところ、自分が属する種全体の利益に導かれている社会的な動物はいない。(略)
だが認知革命を境に、ホモ・サピエンスはこの点でしだいに例外的な存在になっていった。人々は、見ず知らずの人と日頃から協力し始めた。」

 

「紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、その信奉者たちは初めて、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することが出来た。


誰もが「私たち」になった。いや、少なくともそうなる可能性があった。「彼ら」はもはや存在しなかった。真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。


第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は宗教的で、仏教やキリスト教イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。

 

「私たち vs  彼ら」という進化上の二分法を最初に超越し、人類統一の可能性を予見し得たのは、貿易商人や征服者、預言者だった。貿易商人にとっては、全世界が単一の市場であり、全人類が潜在的な顧客だった。


彼らは誰にでもどこにでも当てはまる経済的秩序を打ち立てようとした。征服者にとっては、全世界は単一の帝国であり、全人類は潜在的な臣民であり、預言者にとっては、全世界は単一の真理を内包しており、全人類は潜在的な信者だった。彼らも、誰にでもどこにでも当てはまる秩序を確立しようとしていた。」


「その征服者とは、貨幣だ。同じ神を信じていない人々も、同じ王に従属していない人々も、喜んで同一の貨幣を使う。あれほどアメリカの文化や宗教や政治を憎んでいたウサマ・ビンラディンでさえ、アメリカのドルは大好きだった。神も王も通用しない所で、なぜ貨幣は成功出来たのだろう?」