読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史  上 第8章 想像上のヒエラルキーと差別

〇 第7章を抜かしてしまったようです(>_<)。今になって気がつきました。

 

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「第8章 想像上のヒエラルキーと差別

農業革命以降の何千年もの人類史を理解しようと思えば、最終的に一つの疑問に行きつく。人類は、大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、自らをどう組織してそのようなネットワークを形成したのか、だ。


手短に答えれば、人類は想像上の秩序を生み出し、書記体系を考案することによって、となる。これら二つの発明が、私たちが生物学的に受け継いだものに空いていた穴を埋めたのだ。


だが、大規模な協力ネットワークの出現は、多くの人にとって、良いことずくめではなかった。これらのネットワークを維持する想像上の秩序は、中立的でも、公正でもなかった。人々はそうした秩序によって、ヒエラルキーを成す、架空の集団に分けられた。


上層の人々は特権と権力を享受したが、下層の人々は差別と迫害に苦しめられた。(略)


アメリカ人が1776年に打ち立てた想像上の秩序は、万人の平等を謳っていながら、やはりヒエラルキーを定めていた。この秩序は、そこから恩恵を受ける男性と、影響力を奪われたままにされた女性との間に、ヒエラルキーを生み出した。


また、自由を謳歌する白人と、下等な人間と見なされて人間として対等の権利にあずかれなかった黒人やアメリカ先住民との間に、ヒエラルキーを生み出した。(略)


アメリカの秩序は、富める者と貧しい者の間のヒエラルキーも尊重した。当時のアメリカ人の大半は、裕福な親が資金や家業を子供に相続させることで生じる不平等をなんとも思わなかった。

彼らの目から見れば、平等とは、富める者にも貧しい者にも同じ法律が適用されることに過ぎなかったからだ。平等は、失業手当や、人種差別のない教育、医療保険とも無関係だった。」


「不幸なことに、複雑な人間社会には想像上のヒエラルキーと不正な差別が必要なようだ。(略)人間はこれまで何度となく、人々を想像上のカテゴリーに分類することで社会に秩序を生み出してきた。たとえば、上層自由人と一般自由人と奴隷、白人と黒人、貴族と平民、バラモンシュードラ、富める者と貧しい者といったカテゴリーだ。


これらのカテゴリーは、一部の人々を他の人々よりも法的、政治的、あるいは社会的に勇気に立たせることで、何百万もの人々の間を調整してきた。


ヒエラルキーは重要な機能を果たす。ヒエラルキーのおかげで、見ず知らずの人同士が個人的に知り合うために必要とされる時間とエネルギーを浪費しなくても、お互いをどう扱うべきなのか知ることが出来る。」


「人がある才能を持って生まれても、その才能は育て、研ぎ澄まし、訓練してやらなければ発揮されない。すべての人が自分の能力を養い、磨くための機会を同じだけ得られるわけではない。


そうした機会があるかどうかは普通、社会の想像上のヒエラルキーのどの位置にいるかで決まる。」

 

「イギリスの支配下にあったインドで、不可触民の男性と、バラモンの男性と、カトリック教徒のアイルランド人男性と、プロテスタントイングランド人男性が、仮に完全に同じビジネス感覚をなんとか発達させたとしても、金持ちになる同等の機会は得られなかっただろう。


経済のゲームは、法律的な制約と非公式のガラスの天井(目に見えない障壁)によって、不正に仕組まれていたからだ。」

 

<悪循環>

「あらゆる社会は想像上のヒエラルキーに基づいているが、必ずしも同じヒエラルキーに基づいているわけではない。その違いは何がもたらすのか?」

 

「歴史を通して、ほぼすべての社会で、穢れと清浄の概念は、社会的区分や政治的区分を擁護する上で主要な役割を果たし、無数の支配階級が自らの特権を維持するために利用してきた。(略)


女性、ユダヤ人、ロマ、ゲイ、黒人など、何であれ人間の集団を分離しておきたければ、彼らが穢れのもとだと誰にも思い込ませるのが、最も有効な手段だ。」

 


「現代のインドでは、民主的なインド政府がそのような区別を廃止して、異なるカーストうしの交わりに不浄な点はまったくないことをヒンドゥー教徒に納得させようと、あれこれ努力しているにも関わらず、結婚と職業はカースト制度の影響を依然として強く受けている。」

 

アメリカ大陸における清浄>

 

「近代のアメリカ大陸では、同様の悪循環が人種のヒエラルキーを永続させてきた。16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパから来た征服者たちは、何百万ものアフリカ人奴隷を輸入して、アメリカ大陸の鉱山やプランテーションで働かせた。


彼らがヨーロッパや東アジアからではなくアフリカから奴隷を輸入することを選んだのには、当時の状況に起因する三つの要因があった。


第一にアフリカの方が近かったので、たとえばヴェトナムからよりもセネガルからの方が奴隷が安く輸入できた。


第二に、アフリカではすでに、奴隷貿易(主に中東向けの奴隷輸出)がよく発達していたのに対して、ヨーロッパでは奴隷は非常に珍しかった。(略)


そしてこれが一番重要なのだが、第三に、ヴァージニア、ハイチ、フラジルといった場所にあるアメリカのプランテーションでは、マラリアや黄熱病が蔓延していた。これらはもともとアフリカの病気であり、アフリカ人は幾世代も経るうちに、完全ではないがそれに対する遺伝的免疫を獲得していたが、ヨーロッパ人はまったく無防備で、続々と命を落した。」

 

「だが人々は、経済的に好都合だから特定の人種あるいは生まれの人々を奴隷にしているとは言いたくない。インドを征服したアーリア人同様、南北アメリカの白人ヨーロッパ人は、経済的に成功しているだけでなく、敬虔で、公正で、客観的だと見られたがった。


そこで、この身分差別を正当化するために、宗教的神話や科学的神話が無理やり動員された。神学者たちは、アフリカ人はノアの息子ハムの子孫で、彼の息子は奴隷になるというノアの呪いを負わされていると主張した。


生物学者たちは、黒人は白人に比べて知能が劣り、道徳感覚が発達していないと主張した。医師たちは、黒人は不潔な暮らしをし、病気を広める_言い換えれば、彼らは穢れの源である_と断言した。


こうした神話にはアメリカ大陸の文化と、西洋文化全般が共鳴した。そしてその神話は、奴隷制を生み出した状況が消えてなくなってからもずっと、影響力をふるい続けた。


19世紀初期に大英帝国奴隷制を非合法として、大西洋での奴隷貿易を停止し、その後の数十年間で奴隷制アメリカ大陸全土で徐々に非合化された。これは特筆に値するが、奴隷所有社会が自主的に奴隷制を廃止したのは、このときが歴史を通じて最初で唯一の例だ。


ただし、奴隷は解放されたとはいえ、奴隷制を正当化した人種差別的神話は存続した。人種による分離は、人種差別的な法律や社会習慣によって維持された。」

 

「もし、大切なのがお金だけであれば、人種間の明確な区分は、とくに人種間の結婚によって、ほどなく曖昧になっていたはずだ。


だが、そうはならなかった。1865年までには、白人と比べて黒人は知能が劣り、暴力的で、性的にふしだらで、怠惰であり、きれい好きではないというのが、白人ばかりでなく多くの黒人の常識になっていた。」

 

「この悪循環の罠にはまった黒人たちは、知能が低いと見なされたためにホワイトカラーの仕事に就けず、ホワイトカラーの仕事に就いている黒人の少なさが、彼らが劣っていることの証拠とされた。」


「このような悪循環は、何百年も何千年も続いて、偶然の歴史上の出来事に端を発する想像上のヒエラルキーを永続させ得る。不正な差別は時が流れるうちに、改善されるどころか悪化することが多い。


お金はお金のある人の所に行き、貧困は貧困を招く。教育が教育を呼び、無知は無知を誘う。いったん歴史の犠牲になった人々は、再び犠牲にされやすい。逆に、歴史に優遇された人々は、再び優遇されやすい。


たいていの社会政治的ヒエラルキーは、論理的基盤や生物学的基盤を欠いており、偶然の出来事を神話で支えて永続させたものに他ならない。歴史を学ぶ重要な理由の一つもそこにある。(略)


これらの現象を理解するには、想像力が生み出した虚構を、残忍で非常に現実味のある社会構造に変換した出来事や事情、力関係を学ぶしかないのだ。」

 

 

<男女間の格差>

 

「社会が異なれば採用される想像上のヒエラルキーの種類も異なる。現代のアメリカ人にとって人種は非常に重要だが、中世のイスラム教徒にとっては、たいして意味を持たなかった。(略)


だが、既知の人間社会のすべてでこの上ない重要性を持ってきたヒエラルキーが一つある。性別のヒエラルキーだ。」


「中国でも最古の部類に入る文書は、未来を占うために使われた甲骨で、紀元前1200年にさかのぼる。その一つには、「后の婦好の出産は幸運に恵まれるか」という問いが刻まれていた。その答えは、こう記されている。「もし子供が丁(ひのと)の日に産まれれば幸運に恵まれ、庚(かのえ)の日に産まれれば、はなはだ幸運だ」。ところが婦好は甲寅の日に出産した。その文書は陰鬱な言葉で結ばれている。


「三週間と一日後、甲寅の日に子どもは生まれた。運が悪かった。女の子だった」。それから3000年以上が過ぎ、中華人民共和国が「一人っ子」政策を実施すると、多くの中国人家庭が相変わらず女の子の誕生を不運と見なした。次は男の子が生まれるかもしれないと願って、生まれたばかりの女の子を遺棄したり殺したりする親さえときおりいた。


多くの社会では、女性は男性(父親か夫か兄弟の場合が最も多かった)の財産にすぎなかった。強姦は多くの法制度では、財産侵害に該当した。つまり、被害者は強姦された女性ではなく、その女性を所有している男性だった。」

 

「2006年現在で、夫が妻を強姦しても起訴できない国が依然として53カ国もあった。ドイツにおいてさえ、強姦法が修正され、夫婦間の強姦としう法律のカテゴリーが設けられたのは、1997年だった。」


「生物学的に決まっているものと、生物学的な神話を使って人々が単に正当化しているだけのものとを、私たちはどうすれば区別できるだろうか?「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」というのが、有用な経験則だ。」


「文化は、不自然なことだけを禁じると主張する傾向にある。だが生物学の視点に立つと、不自然なものなどない。可能なことは何であれ、そもそも自然でもあるのだ。」


「実際には、「自然な」と「不自然な」という私たちの概念は、生物学からではなくキリスト教神学に由来する。」


「同様のマルチタスキングが私たちの生殖器や性行動にも当てはまる。性行動はもともと、生殖や配偶者候補の適性を判断するための求愛儀式として進化した。だが、今では多くの動物が生殖器も性行動も、自分の小さな複製を生み出すこととはほとんど無関係の、様々な社会的目的で使っている。

たとえばボノボは、政治的同盟を強固にしたり、親密な関係を打ち立てたり、緊張を和らげたりするために性行動をする。それは不自然なのだろうか?」

 

 

 <生物学的な性別と社会的・文化的性別>

 

「というわけで、女性の自然な機能は出産することだとか、同性愛は不自然だとか主張しても、ほとんど意味がない。男らしさや女らしさを定義する法律や規範、権利、義務の大半は、生物学的な現実ではなく人間の想像を反映している。」

 

<男性のどこがそれほど優れているのか?>


「少なくとも農業革命以降、ほとんどの人間社会は、女性より男性を高く評価する家父長制社会だった。社会が「男性」と「女性」をどう定義しようと、男性である方がつねに優っていた。」


「家父長制はこれほど普遍的なので、偶然の出来事が発端となった悪循環の産物のはずがない。これは特筆に値するのだが、コロンブスアメリカを発見した1492年より前でさえ、アメリカ大陸とアフロ・ユーラシア大陸の社会は、何千年にもわたって接触がなかったにも関わらず、その大半が家父長制だった。


アフロ・ユーラシア大陸の家父長制が、何らかの偶然の出来事の結果だとしたら、なぜアステカ族やインカ族も家父長制だったのか?(略)


その理由が何なのかは、私たちにはわからない。説は山ほどあるが、なるほどと思わせるようなものは一つもない。」


<筋力>

「さらに重要なのだが、人間の場合、体力と社会的権力はまったく比例しない。二十代の人の方が六十台の人よりもずっと強壮なのに、たいていは六十台の人が二十代の人を支配している。」


「組織犯罪の世界では、マフィアのドンは一番腕力のある男性とはかぎらない。むしろ、自分の拳を滅多に使うことのない、年長の男性のことが多い。」


「したがって、さまざまな種の間の力の連鎖も、暴力ではなく精神的能力と社会的能力で決まるのが当然だ。というわけで、歴史上最も影響力が大きく安定したヒエラルキーが、女性を力ずくで意のままにする男性の能力に基づいているとは信じがたい。」


「<攻撃性>

男性優位は強さではなく攻撃性に由来するという説もある。何百万年にも及ぶ進化を経て、男性は女性よりもはるかに暴力的になった。女性は憎悪や強欲、罵詈雑言に関しては男性と肩を並べうるが、この説によると、いざとなったら男性のほうが進んで粗暴な行為に及ぶという。だからこそ歴史を通して、戦争は男性の特権だったのだ。」

 

「実際には、歴史を通して多くの社会では、最上級の将校は二等兵からの叩き上げではない。貴族や富裕者、教育のある者は、兵卒として一日も軍務に就かずに自動的に将校の位に就く。」

 

「中国では、軍を文民官僚の支配下に置く長い伝統があったので、一度も剣を手にしたことのない官吏がしばしば戦争を指揮した。「好鐡不當釘(釘を作るのに良い鉄を無駄にしない)」という中国の一般的なことわざがある。本当に有能な人は兵卒ではなく文民官僚になるということだ。それならなぜ、これらの官吏はみな男性だったのか?」


「女性は身体的に弱かったから、あるいはテストステロン値が低かったから、官吏や将軍、政治家として成功できなかったというのは、筋が通らない。戦争を指揮するには、たしかにスタミナが必要だが、体力や攻撃性はあまりいらない。戦争は酒場の喧嘩とは違う。戦争は、並外れた程度までの組織化や協力、妥協が必要とされる、複雑な事業だ。


国内の平和を維持し、国外では同盟国を獲得し、他の人々(とくに敵)の考えていることを理解する能力が、たいてい勝利のカギを握っている。したがって、攻撃的な獣のような人は、戦争の指揮を任せるには差悪の選択であることが多い。

 

妥協の仕方や人心を操る方法、さまざまな視点から物事を眺める方法を知っている協力的な人の方が、はるかに優る。帝国の建設者は、こうした資質を備えているものだ。軍事的には無能なアウグストゥスは、安定した帝政を確立した。


格段に優れた武将だったユリウス・カエサルにもアレクサンドロス大王にも成し遂げられなかったことをやってのけたのだ。彼を賞賛する当時の人々も、現代の歴史家も、この偉業を彼の「クレメンティア(温厚さと寛大さ)」という美徳に帰することが多い。

 

女性は男性よりも人を操ったり宥めたりするのが得意であると見られがちで、他者の立場から物事を眺める能力が優れているという定評がある。こうした固定観念に少しでも真実が含まれているのなら、女性は、戦場での忌まわしい仕事はテストステロンをみなぎらせている力自慢の単細胞たちに任せて、秀でた政治家や帝国建設者になっていてよかったはずだ。

だが、女性の能力に関するこうした神話が世間に流布しているにもかかわらず、実際に女性が秀でた政治家や帝国建設者になることは稀だった。それが何故かはまったくわからない。


<家父長制の遺伝子>

生物学的な説明の第三の種類は、野獣のような力や暴力は重視せず、何百万年もの進化を通して、男性と女性は異なる生存と繁殖の戦略を発達させたと主張する。子供を産む能力のある女性を孕ませる機会を求めて男性が競い合う状況では、個体が子孫を残す可能性は何よりも、他の男性を凌いだり打ち負かしたりする能力にかかっていた。

時が過ぎるうちに、次の世代に行き着く女性の遺伝子は、従順な養育者のものが増えていった。権力を求めてあまりに多くの時間を戦いに費やす女性は、自分の強力な遺伝子を未来の世代にまったく残せなかった。」

 

「こうした劇的な変化があるからこそ、私たちは社会的・文化的性別の歴史にとまどうのだ。今日明確に実証されているように、家父長制が生物学的事実ではなく根拠のない神話に基づいているのなら、この制度の普遍性と永続性を、いったいどうやって説明したらいいのだろうか?」