読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史  上 第6章 神話による社会の拡大

「農業革命は歴史上、最も物議を醸す部類の出来事だ。この革命で人類は繁栄と進歩への道を歩み出したと主張する、熱心な支持者がいる。一方、地獄行きにつながったと言い張る人もいる。(略)

 

農耕へ移行する前の紀元前一万年ごろ、地上には放浪の狩猟採集民が500万~800万ほどいた。それが、一世紀になると、狩猟採集民は(主にオーストラリアと南北アメリカとアフリカに)100万~200万人しか残っておらず、それをはるかに上回る2億5000万もの農耕民が世界各地で暮らしていた。」


「これは広範に影響の及ぶ革命で、その影響は建築上のものであると同時に、心理的なものでもあった。以後、「我が家」への愛着と、隣人たちとの分離は、以前よりずっと自己中心的なサピエンスの心理的特徴となった。」

 

「火の使用を別にすれば、狩猟採集民は自分たちが歩き回る土地に意図的な変化はほとんどもたらさなかった。」

 

「西暦1400年になっても、農耕民の大多数は、彼らの動植物とともに、わずか1100万平方キロメートル、つまり地表の2パーセントに身を寄せ合っていた。」

 

 <未来に関する概念>

 

「農耕民の空間が縮小する一方で、彼らの時間は拡大した。狩猟採集民はたいてい、翌週や翌月のことを考えるのに時間をかけたりしなかった。だが農耕民は、想像の中で何年も何十年も先まで、楽々と思いを馳せた。

狩猟採集民が未来を考慮に入れなかったのは、彼らがその日暮らしで、食べ物を保存したり、所有物を増やしたりするのが難しかったからだ。もちろん、明らかに彼らも先のことを多少は考えていた。」


〇ここで、狩猟採集民が未来を考慮に入れなかったというのは、主に、現在の狩猟採集民の部族の生き方を見て、そう考えるのでしょうか?

多分、考えなかった部族は、今も狩猟採集民を続けていて、それ以外の未来を考えずにいられなかった狩猟採集民は、農耕民へとなっていったのでは?と思うのですが。

「ところが農業革命のせいで、未来はそれ以前とは比べようもないほど重要になった。農耕民は未来を念頭に置き、未来のために働く必要があった。(略)


未来に関する懸念の根本には、季節の流れに沿った生産周期だけではなく、そもそも農耕に付きまとう不確実性もあった。」


〇山の木の実が豊作か不作かで、野鳥の動きも変わりますし、クマの動きも変わります。
多分、狩猟採集民にとっても、未来はとても気になるものだったろうと思います。だからこそ、「手を打てる状況」を作り出したいと考えて、農耕に移行してしまったのでは?と思うのですが。

でも、それが「罠」だったとすると、やはり、あの禅の教えを知るべきだったのでしょう。

「第一の心得は、「空の座」にすわること、「ただいま・ただここ」の一念に徹底して、ただ凡夫と成り切って、それから自然に湧き出る大慈大悲の室の中で、忍辱と精進の大方便の衣裳を著けて、自由・自在・自主で、自然なる「創造者」を働くことである。

これが人間として「このまま」の生き方である。(東洋的な見方より)」

「農耕民が未来を心配するのは、心配の種が多かったからだけでなく、それに対して何かしら手が打てたからでもある。彼らは、開墾して更に畑を作ったり、新たな灌漑水路を掘ったり、追加で作物を植え付けたりできた。


不安でしかたがない農耕民は、夏場の収穫アリさながら、狂ったように働きまくり、汗水垂らしてオリーブの木を植え、その実を子供や孫が搾り、すぐに食べたいものも、冬や翌年まで我慢した。

農耕のストレスは、広範な影響を及ぼした。そのストレスが、大規模な政治体制や社会体制の土台だった。

悲しいかな、勤勉な農耕民は、現在の賢明な労働を通して何としても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成できることは、まずなかった。


至る所で支配者やエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きて行くのが精一杯の状態に置かれた。


こうして没収された食糧の余剰が、政治や戦争、芸術、哲学の原動力となった。余剰食糧のおかげで宮殿や砦、記念碑や神殿が建った。


近代後期まで、人類の9割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。彼らの生み出した余剰分を、王や政府の役人、兵士、聖職者、芸術家、思索家といった少数のエリート層が食べて生きており、歴史書を埋めるのは彼らだった。


歴史とは、ごくわずかの人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を耕し、水桶を運んでいた。」

〇ここで言われていることは、本当に納得です。西洋に「哲学」が発達したと言っても、余剰食糧が思索家を食べさせていたから、発達したのだろうと思います。

そして、時々思うのですが、西洋は一つになった時期がある、とヤスパースが言いましたけど、それだって、身分の差がはっきりしていて、一部の豊かな「文化人」が歴史を動かしていたからこそ、一つになれたのでは?と。

 

 <想像上の秩序>

 

〇この<想像上の秩序>は、とても興味深い内容でした。

 

「農耕民が生み出した余剰食糧と新たな輸送技術が組み合わさり、やがて次第に多くの人が、最初は大きな村落に、続いて町に、最終的には都市に密集して暮らせるようになった。そして、それらの村落や町や都市はすべて、新しい王国や商業ネットワークによって結びつけられた。


とはいえ、こうした新しい機会を活用するためには、余剰食糧と輸送の改善だけでは不十分だった。一つの町で1000人を養えたり、一つの王国で100万人を養えたりするだけでは、人々が土地や水をどう分け合い、対立や紛争をどう解決するか、旱魃や戦争のときにどうするかについて、全員が同意できるとはかぎらない。


そして、合意に至ることが出来なければ、たとえ倉庫にあり余るほど物があっても、不和が拡がってしまう。歴史上の戦争や革命の大半を引き起こしたのは食糧不足ではない。フランス革命の先頭に立ったのは、飢えた農民ではなく、豊かな法律家たちだった。


古代ローマ共和国(共和制ローマ)は、地中海全域から艦隊が財宝を積んで来て、祖先が夢にも思わなかったほど豊かになった紀元前一世紀に権力の頂点に達した。だが、そうして豊かさを極めたまさにそのとき、ローマの政治体制は崩壊して一連の致命的な内戦が勃発した。


1991年のユーゴスラヴィアは、住民全員を養って余りある資源を持っていたにもかかわらず、分裂して恐ろしい流血状態に陥った。


こうした惨事の根本には、人類が数十人から成る小さな生活集団で何百万年も進化してきたという事実がある。農業革命と、都市や王国や帝国の登場を隔てている数千年間では、大規模な協力のための本能が進化するには、短過ぎたのだ。


そのような生物学的本能が欠けているにもかかわらず、狩猟採集時代に何百もの見知らぬ人同士が協力できたのは、彼らが共有していた神話のおかげだ。だが、この種の協力は穏やかで限られたものだった。


どのサピエンスの集団も、独立した生活を営み、自らの必要の大半を自ら満たし続けた。二万年前に社会学者が住んでいたなら、農業革命以降の出来事を全く知らないから、神話が威力を発揮できる範囲はかなり限られていると結論付けるのではないか。

 

祖先の霊や部族のトーテムについての物語は、500人が貝殻を交換し、風変わりな祭りを祝い、力を合わせてネアンデルタール人の集団を一掃できるほど強力ではあったが、それが限度だった。神話は何百万もの見知らぬ人同士が日常的に協力することを可能にしうるとは、例の古代の社会学者はけっして思わなかったことだろう。


だが、彼の考えは間違っていた。実は、神話は誰一人想像できなかったほど強力だったのだ。農業革命によって、混雑した都市や無数の帝国を打ち立てる機会が開かれると、人々は偉大なる神々や母国、株式会社にまつわる物語を創作し、必要とされていた社会的つながりを提供した。


人類の進化がそれまで通りのカタツムリの這うようなペースで続く中、人類の想像力のおかげで、地球上ではかつて見られなかった類の、大規模な協力の驚くべきネットワークが構築されていた。


紀元前8500年ごろ、世界で最大級の定住地はエリコのような村落で、数百人が住んでいた。紀元前7000年には、アナトリアのチャタル・ヒュユクの町の住民は、5000~一万を数えた。当時そこは、世界最大の定住地だったかもしれない。


紀元前5000年紀と4000年紀には、肥沃な三日月地帯(訳注 パレスティナ地方からペルシア湾に及ぶ、弧状の農業地帯)には、何万もの住民を擁する都市が続々とでき、そのそれぞれが、近隣の多くの村落を支配下に置いていた。

 

紀元前3100年には、ナイル川下流域全体が統一され、最初のエジプト王国となった。歴代のファラオは、何千平方キロメートルもの土地と、何十万もの人を支配した。紀元前2250年ごろには、サルゴン一世が世界初の帝国、アッカドを打ち立てた(訳注 本書では、通常は「王国」「王朝」などと呼ばれる国家体制も、著者の語の選択に準拠して「帝国」と訳してある)。


この帝国は、100万を超える臣民と、5400の兵から成る常備軍を誇った。紀元前1000年から紀元前500年にかけて、中東では初期の巨大帝国が現れ始めた。後期アッシリア帝国バビロニア帝国、ペルシア帝国だ。


これら三国はみな、何百万もの臣民を支配し、何万もの兵士を擁していた。」

 

「紀元前221年、秦朝が中国を統一し、その後まもなく、ローマが地中海沿岸を統一した。秦は4000万の臣民から取り立てた税で、何十万もの兵からなる常備軍と、10万以上の役人を抱える複雑な官僚制を賄った。


ローマ帝国はその全盛期には、最大一億の臣民から禅を徴収した。この歳入が、25万~50万の兵から成る常備軍や、1500年後になっても使われていた道路網、今日でも大がかりな出し物の舞台となる劇場や円形劇場の資金に充てられた。


見事であることに疑いはないが、ファラオのエジプトやローマ帝国で機能していた「大規模な協力のネットワーク」についてバラ色の幻想を抱いてはならない。「協力」というと、とても利他的に聞こえるが、いつも自発的とは考えられないし、平等主義に基づいていることはめったにない。


人類の協力ネットワークの大半は、迫害と搾取のためにあった。農民は急成長を遂げる協力ネットワークに対して、貴重な余剰食糧を提供させられた。収税吏が皇帝の権威を振りかざして、一筆書いただけで、まる一年分の重労働の成果を取り上げられるたびに、頭を抱えた。


有名なローマの円形劇場は、裕福で暇なローマ人が、奴隷が様々な健闘を演じるのを眺められるように、他の奴隷たちによって建設されることが多かった。監獄や強制収容所さえも、協力ネットワークであり、何千もの見知らぬ人どうしが、どうにかして協調行動を取ればこそ機能する。


古代メソポタミアの都市から秦やローマの帝国まで、こうした協力ネットワークは「
想像上の秩序」だった。すなわち、それらを維持していた社会規範は、しっかり根付いた本能や個人的な面識ではなく、共有された神話を信じる気持ちに基づいていたのだ。


神話はどうやって帝国全体を支えられるのか?そのような例は、すでに一つ取り上げた。プジョーだ。
今度は歴史上とりわけ有名な二つの神話を例に取ろう。一つは、紀元前1776年ごろに制定されたハンムラビ法典で、これは何十万もの古代バビロニア人の協力マニュアルの役割を果たした。


もう一方は、1776年に書かれたアメリカ合衆国の独立宣言で、これは何置くもの現代アメリカ人の協力マニュアルとして、今なお役割を果たしている。
紀元前1776年のバビロンは、世界最大の都市だった。そして、バビロニア帝国はおそらく世界最大の帝国で、臣民の数は100万を超えた。


この帝国は、現代のイラクの大部分と、シリアとイランの一部を含む、メソポタミアの大半を支配していた。今日もっともよく知られているバビロニアの王はハンムラビ
だ。彼の名声は、その名を冠したハンムラビ法典という文書に負うところが大きい。


これは法律と裁判の判決を集めたもので、ハンムラビを公正な王の役割も出るとして提示するとともに、バビロニア帝国全土におけるより画一的な法制度の基盤の役を担い、未来の世代に正義とは何か、公正な王はどう振舞うかを教えることを目的としていた。


そして、後に続く世代はたしかにこの法典に注目した。古代メソポタミアのエリート知識人やエリート官僚は、この文書を神聖視し、ハンムラビが亡くなって彼の帝国が廃墟と化した後もずっと、見習い筆写者たちが書き写し続けた。したがってハンムラビ法典は、古代メソポタミア人の社会秩序の理想を理解するためには、素晴らしい拠り所となる。


法典の冒頭には、メソポタミアの主要な神々であるアヌ、エンリル、マルドゥックがハンムラビを指名して、「この地に正義を生き渡らせ、悪しきものや邪なるものを排し、強者が弱者を迫害するのを防ぐ」任を負わせたとある。


続いて300の判決が、「もしこれこれのことが起こったなら、判決はこれこれである」という定型で示されている。たとえば、判決196~199と209~214は、以下の通りだ。


196   もし上層自由人が別の上層自由人の目を潰したなら、その者の目も潰さ
      れるものとする。

197   もし別の上層自由人の骨を折ったなら、その者の骨も折られるものとす
      る。

198   もし一般自由人の目を潰したり、骨を折ったりしたなら、その者は銀6
      0シュケル(訳注 シュケルは古代バビロニアの重さの単位で、一シュ
      ケルは8.33グラム)を量り、与えるものとする。


199   もし上層自由人の奴隷の目を潰したり骨を折ったりしたら、奴隷の価値
      の半分(の銀)を量り、与えるものとする。


209   もし上層自由人の男が上層自由人の女を打ち、そのせいで女が流産した
      なら、その者は胎児のために銀10シュケルを量り、与えるものとす
      る。


210   もしその女が死んだら、その者の娘を殺すものとする。

211   もし一般自由人の女を打ち、そのせいで女が流産したなら、その者は胎
      児のために銀5シュケルを量り、与えるものとする。

212   もしその女が死んだら、銀30シュケルを量り、与えるものとする。

213   もし上層自由人の女奴隷を打ち、そのせいで女が流産したなら、その者
      は銀2シュケル与えるものとする。


214   もしその女奴隷が死んだら、銀20シュケルを量り、与えるものとする。


判決を列挙した後、ハンムラビは再びこう宣言する。


これらは有能な王ハンムラビが打ち立て、それによりこの地を誠の道と正しい生き方に沿って進ませるよう命じた、公正なる判決である……我はハンムラビ、高貴な王なり。エンリル神によって我に委ねられ、マルドゥック神によって導くよう任された人民に対し、我は軽率であったことも怠慢であったこともかつてない。」

 

ハンムラビ法典は、バビロニアの社会秩序が神々によって定められた普遍的で永遠の正義の原理に根差していると主張する。このヒエラルキーの原理は際立って重要だ。この法典によれば、人々は二つの性と三つの階級(上層自由人、一般自由人、奴隷)に分けられている。


それぞれの性と階級の成員の価値はみな違う。女性の一般自由人の命は銀30シュケルに、女奴隷の命は銀20シュケルに相当するのに対して、男性の一般自由人の目は銀60シュケルの価値を持つ。


この法典は、家族の中にも厳密なヒエラルキーを定めている。それによれば、子供は独立した人間ではなく、親の財産だった。したがって、高位の男性が別の高位の男性の娘を殺したら、罰として殺害者の娘が殺される。殺人者は無傷のまま、無実の娘が殺されるというのは、私たちには奇妙に感じられるかもしれないが、ハンムラビとバビロニア人たちには、これは完璧に公正に思えた。


ハンムラビ法典は、王の臣民がみなヒエラルキーの中の自分の位置を受け容れ、それに即して行動すれば、帝国の100万の住民が効果的に協力できるという前提に基づいていた。効果的に協力できれば、全員分の食糧を生産し、それを効率的に分配し、敵から帝国を守り、領土を拡大してさらなる富と安全を確保できるというわけだ。


ハンムラビの死の約3500年後、北アメリカにあった13のイギリス植民地の住民が、イギリス王に不当な扱いを受けていると感じた。彼らの代表がフィラデルフィアの町に集まり、1776年7月4日、これらの植民地はその住民がもはやイギリス国王の臣民ではないと宣言した。


彼らの独立宣言は、普遍的で永遠の正義の原理を謳った。それらの原理は、ハンムラビのものと同様、神の力が発端となっていた。ただし、アメリカの髪によって定められた最も重要な原理は、バビロンの神々によって定められた原理とはいくぶん異なっていた。アメリカ合衆国の独立宣言には、こうある。


我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に造られており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。


アメリカの礎となるこの文書は、ハンムラビ法典と同じで、もし人間がこの 文書に定められた神聖な原理に即して行動すれば、膨大な数の人民が効果的に協力して、公正で繁栄する社会で安全かつ平和に暮らせることを約束している。ハンムラビ法典と用、アメリカの独立宣言も書かれた時と場所だけに限られた文書ではなく、後に続く世代にも受受け容れ。られたアメリカの児童生徒は200年以上にわたって、この文書を書き写し、そらんじてきた。


これら二つの文書は私たちに明らかな矛盾を突きつける。ハンムラビ法典アメリカの独立宣言はともに、普遍的で永遠の正義の原理を略述するとしているものの、アメリカ人によれば、すべての人は平等なのに対して、バビロニア人によれば、人々は明らかに同等ではないことになる。


もちろん、アメリカ人は自分が正しく、ハンムラビが間違っているというだろう。当然ながらハンムラビは、自分が正しくアメリカ人が間違っていると言い返すだろう。じつは、両者はともに間違っている。ハンムラビもアメリカの建国の父たちも、現実は平等あるいはヒエラルキーのような普遍的で永遠の正義の原理に支配されていると想像した。


だが、そのような普遍的原理が存在するのは、サピエンスの豊かな想像や、彼らが創作して語り合う神話の中だけなのだ。これらの原理には、何ら客観的な正当性はない。


私たちにとって、「上層自由人」と「一般自由人」という人々の分割が想像上の産物であることを受け容れるのはたやすい。とはいえ、あらゆる人間が平等であるという考え方も、やはり神話だ。いったいどういう意味合いにおいて、あらゆる人間は互いに同等なのだろう?


人間の想像の中を除けば、いったいどこに、私たちが真に平等であるという客観的現実がわずかでもあるだろうか?あらゆる人間が生物学的に同等なのか?先ほど挙げた、アメリカの独立宣言で最も有名な以下の文を、生物学的な言葉で言い換えられるか、試してみよう。


我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に造られており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる。


生物学という科学によれば、人々は「造られ」たわけではないことになる。人々は進化したのだ。そして、彼らは間違っても「平等に」なるようには進化しなかった。平等という考えは、天地創造という考えと分かち難く結びついている。アメリカ人は平等という考えをキリスト教から得た。


キリスト教は、誰もが神によって造られた魂を持っており、あらゆる魂は神の前で平等であるとする。だが、もし私たちが神や天地創造や魂についてのキリスト教の神話を信じていなければ、あらゆる人が「平等」であるとは、何を意味するのか?進化は平等ではなく差異に基づいている。誰もがいくぶん異なる遺伝子コードを持っており、誕生の瞬間から異なる環境の影響にさらされている。その結果、異なる生存の可能性を伴う。異なる特性が発達する。従って、「平等に造られ」は「異なった形で進化し」と言い換えるべきだ。

 

生物学という科学によれば、人々はけっして造られなかったばかりでなく、彼らに何であれ「与え」る「造物主」も存在しない。行き当たりばったりの進化の過程があるだけで、何の目的もなく、それが個々の人の誕生につながる。「造物主によって与えられる」はたんに「生まれる」とすべきだ。


また、生物学には権利などというものもない。あるのは器官や能力や特徴だけだ。鳥は飛ぶ権利があるからではなく翼があるから飛ぶ。そしてこれらの器官や能力や特徴が「奪うことのできない」というのも正しくない。その多くがたえず突然変異を起こしており、時と共に完全に失われるかも知れない。ダチョウは鳥だが、飛ぶ能力を失った。したがって、「奪うことのできない権利」は「変わりやすい特徴」とするべきだ。


それから、人類で進化した特徴は何だろう?「生命」は間違いなく含まれる。だが、「自由」は?生物学には自由などというものはない。平等や権利や有限責任会社とまったく同じで、自由は人間が創作したもので、人間の想像の中にしか存在しない。生物学の視点に立つと、民主的な社会の人間は自由で、独裁国の人間は自由がないと言うのは無意味だ。


それでは「幸福」はどうだろう?これまでのところ生物学の研究は、幸福の明確な定義や、幸福を客観的に計測する方法を生み出せずにいる。ほとんどの生物学的研究は、快感の存在しか認めていない。快感のほうが定義も計測も簡単だからだ。そこで、「生命、自由、幸福の追求」は、「生命と、快感の追求」に書き換えるべきだ。


というわけで、アメリカ独立宣言の例の一文を生物学の言葉に翻訳すると、以下のようになる。


我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は異なった形で進化しており、変わりやすい特定の特徴を持って生まれ、その特徴には、生命と快感の追求が含まれる。


平等と人権の擁護者は、このような論法には憤慨するかもしれない。そしておそらく、こんな風に応じるだろう。「人々が生物学的に同等でないこと等承知している!だが、私たちはみな本質において平等であると信じれば、安定し、繁栄する社会を築けるのだ」と。私は、それに反論する気はさらさらない。それこそまさに、私の言う「想像上の秩序」に他ならないからだ。


私たちが特定の秩序を信じるのは、それが客観的に正しいからではなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作り出せるからだ。「想像上の秩序」は邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。むしろ、多数の人間が効果的に協力するための唯一の方法なのだ。


ただし、覚えておいてほしいのだが、ハンムラビなら、ヒエラルキーについて自分の原理を、同じロジックを使って擁護したかもしれない。「上層自由人、一般自由人、奴隷は本来異なる種類の人間ではないことを、私は承知している。だが、異なっていると信じれば、安定し、繁栄する社会を築けるのだ」と。」


アメリカ独立宣言にある「平等に造られており」という言葉は、そう信ずれば皆で協力し繁栄する社会を築けるから、というこのハラリ氏の主張に少し異議があります。

「平等」というのは、存在の「平等」さだと思うのです。
「精神の生活 下」にハイデガーの言葉が引用されていました。

「「生成の無垢」と「永劫回帰」は精神の能力から引き出したものではない。その根拠にあるのは、我々が世界に「投げ出され」(ハイデガー)ており、誰も我々がここにいたいのか、今ある状態を願っているのかと尋ねたことのないという議論の余地のない事実である。(精神の生活より)」

「この世界に投げ出されて」いない人間はいません。誰もがみな、同じように(平等に)投げ出されています。明日をも知れぬ運命の中で生きています。

私はそれは客観的事実だと思います。

ただ、そのことはなかなか気づきにくいし、一言で説明しにくいので、このハラリ氏は、わかりやすくこんな風に言ったのかな?と思ったのですが。

<想像上の秩序>については、132ページから143ページまで、全文を書き写しました。

下巻のあとがきに、「人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。」

という言葉がありました。私たち人間は<想像上の秩序>で、協力ネットワークを築き、やってきた。私たちはどんな世界を願っているのか。目的はなんなのか。
そこをはっきりさせなければ、地球の生態系を破滅させ、自らも滅びるしかない、と言っているのだと思いました。

 

<真の信奉者>

 

「ここまでの数段落を読みながら、椅子の上で身悶えした読者も少なからずいたことだろう。今日、私たちの多くはそうした反応を見せるように教育されている。

ハンムラビ法典は神話だと受け容れるのは簡単だが、人権も神話だという言葉は聞きたくない。もし、人権は想像の中にしか存在しないことに人々が気付けば、私たちの社会が崩壊する危険はないのか?


ヴォルテールは神についてこう言っている。「神などいないが、私の召使いには教えないでくれ。さもないと、彼に夜中に殺されかねないから」と。」


「そのような恐れはしごくもっともだ。自然の秩序は安定した秩序だ。重力が明日働かなくなる可能性はない。たとえ、人々が重力の存在を信じなくなっても。


それとは対照的に、想像上の秩序は常に崩壊の危険を孕んでいる。なぜならそれは神話に依存しており、神話は人々が信じなくなった途端に消えてなくなってしまうからだ。想像上の秩序を保護するには、懸命に努力し続けることが欠かせない。


そうした努力の一部は、暴力や強制という形を取る。軍隊、警察、裁判所、監獄は、想像上の秩序に即して行動するよう人々を強制するために、休むことなく働いている。(略)1860年にアメリカ国民の過半数が、アフリカ人奴隷は人間であり、したがって自由という権利を享受してしかるべきだと結論した時、南部諸州を同意させるには、血なまぐさい内戦を必要とした。」

 

「たった一人の聖職者が兵士100人分の働きをすることはよくある。それも、はるかに安く、効果的に。そのうえ、銃剣がどれほど効率的でも、誰かがそれを振るわなければならない。


自分が信じていない想像上の秩序など、兵士や看守、裁判官、警察がどうして維持するだろうか?

人間の集団活動のうちで、暴力ほど組織するのが難しいものはない。(略)


軍隊を強制だけによって組織することは不可能だ。少なくとも、一部の指導官と兵士が、神、名誉、母国、男らしさ、お金であれ何であれ、ともかく何かを心から信じている必要がある。」


「だから冷笑家は帝国を建設せず、想像上の秩序は人口の相当部分(それも、とくにエリート層や治安部隊の相当部分)が心からそれを信じている時にだけしか維持できない。


キリスト教は、司教や聖職者の大半がキリストの存在を信じられなかったら、2000年も続かなかっただろう。


アメリカの民主主義は、大統領と連邦議会員の大半が人権の存在を信じられなかったら、250年も持続しなかっただろう。近代の経済体制は、投資家と銀行家の大半が資本主義の存在を信じられなかったら、一日も持たなかっただろう。」


〇「たとば(神)などはいない。でも、(神)を信じる虚構が協力を可能にした」というような話は、以前、「プジョー伝説」というたとえ話で、語られました。

「想像上の現実は噓とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存在する限り、その想像上の現実は社会の中で力をふるい続ける。」

「サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンと言った客観的現実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。」

〇この「信じる」というのは、実際に自分がその中に身を投じてみると、とても不思議なことだと思いました。以前も書きましたが、私は宗教などは軽蔑していた人間です。そんな嘘を信じてまで、楽に生きたいのか?と思っていました。

でも、実際に、生きるとなると、一言でいってしまうと、人間って何かを信じて生きない限り、空しい気持ちになって、元気に生きられない動物なんだと、認めるしかなかったのです。

「空の空、その空を生きる」というのもまた、一つの信念だと思います。
でも、何にしろ、何かを信じて生きるしかないのが人間。
多分、そういうDNAが入ってしまっているのでしょう。

だったら、何を信じるか…

冷笑主義か、お金か、何も信じないという信念か…

どうせ信じて生きるしかないのが人間なら、みんなで元気になれて、みんなで幸せになれる(かもしれない)ものを信じたいと思いました。


そして、信じるとなると…
これも不思議なのですが、本当に心から信じて、そこにもう一つの「確かな現実」が生まれてしまいます。不思議だなぁと思います。

私は、このハラリ氏が、そこのところをしっかりと確認してみせてくれているのが、
すごい!と思います。


そして、あと一つ思ったのは、日本人社会は何を信じているのでしょうか?
天皇制?民主主義?

帝国など作らない「冷笑主義者」が多いのか…

 

<脱出不能の監獄>

キリスト教や民主主義、資本主義といった想像上の秩序の存在を人々に信じさせるにはどうしたらいいのか?まず、その秩序が想像上のものだとは、けっして認めてはならない。

社会を維持している秩序は、偉大な神々あるいは自然の法則によって生み出された客観的実体であると、常に主張する。

人々が同等ではないのは、ハンムラビがそう言ったからではなく、エンリルとマルドゥクがそう定めたからだ。


人々が平等なのは、トマス・ジェファーソンがそう言ったからではなく、神がそのように人々を創造したからだ。


自由市場が最善の経済制度なのは、アダム・スミスがそう言ったからではなく、それが不変の自然法則だからだ。」


「人文科学や社会科学は、想像上の秩序が人生というタペストリーにいったいどのように織り込まれているかを説明することに、精力の大半を注ぎ込んでいる。(略)


そこには三つの主要な要因があって、自分の人生をまとめ上げている秩序が自分の想像の中にしか存在しないことに人々が気づくのを妨げている。


a  想像上の秩序は物質的世界に埋め込まれている。
  (略)
今日の西洋人の大半は、個人主義を信条としている。彼らは、すべての人間は個人であり、その価値は他の人がその人をどう思うかに左右されないと信じている。私たちの誰もが、自分の中に、人生に価値と意義を与えるまばゆい一筋の光を持っている。現代の西洋の学校では、教師と親が子供たちに、クラスメイトにからかわれたら無視するように言う。他人ではなく子供たち自身だけが、自分の真の価値を知っているというわけだ。
   (略)

中世の貴族は個人主義を信奉していなかった。人の価値は社会のヒエラルキーにその人が占める位置や、他の人々がその人についてどう言っているかで決まった。

笑われるのは恐ろしい不名誉だった。貴族は自分の子どもたちに、どんな犠牲を払っても評判を守るように教えた。現代の個人主義と同じで、中世の価値体系も想像を離れて、中世の石造りの城という形で明示された。城には子供たちのための個室はめったになかった(そもそも、子供以外のための個室もなかった)。(略)」


〇この中世の貴族の価値観はまさに、日本社会の価値観と似てると思いました。びっくりです。個人主義を信じない限り、ヒエラルキーを信じるので、そうなってしまう、ということなのでしょうか?

 


「b 想像上の秩序は私たちの欲望を形作る。


たいていの人は、自分たちの生活を支配している秩序が想像上のものであることを受け容れたがらないが、実際には、誰もがすでに存在している想像上の秩序の中へと生まれてきて、その人の欲望は誕生時から、その秩序の中で支配的な神話によって形作られる。したがって、私たちの個人的欲望は、想像上の秩序にとって最も重要な砦となる。


たとえば、今日の西洋人が一番大切にしている欲望は、何世紀も前からある、ロマン主義国民主義、資本主義、人間至上主義の神話によって形作られている。(略)


人々が、ごく個人的な欲望と思っているものさえ、たいていは想像上の秩序によってプログラムされている。(略)


ロマン主義は、人間としての自分の潜在能力を最大限発揮するには、できるかぎり多くの異なる経験をしなくてはならない、と私たちに命じる。(略)


消費主義は、幸せになるためにはできるかぎり多くの製品やサービスを消費しなくてはならない、と私たちに命じる。(略)」


〇昔、「消費は美徳」というフレーズが盛んに言われました。最初に聞いた時は、疑いながら聞きました。(だいたい、何でも疑い深いのです(^-^;)
でも、少し大人になって、経済の仕組みがわかるようになると、消費しなければ、経済が活性化せず、活性化しなけれが、国民生活が苦しくなるからなのだ、とわかり納得しました。

でも、今思うとそれもある種の「目くらまし」にあっていたのだと思います。

古代エジプトのエリート層同様、たいていの文化のたいていの人は、人生をピラミッドの建設に捧げる。(略)たとえば、プールと青々とした芝生の庭がある郊外の住宅や、羨望に値するほど見晴らしの良いきらびやかなペントハウスといった形を取ることもある。そもそも私たちにピラミッドを欲しがらせる神話について問う人はほとんどいない。」

 

「c  想像上の秩序は共同主観的である。

私が超人的努力をして自分の個人的欲望を想像上の秩序から解放することに成功したとしても、それは私ただ一人のことでしかない。想像上の秩序を変えるためには、何百万という見ず知らずの人を説得し、彼らに協力してもらわなければならない。なぜなら、想像上の秩序は、私自身の想像の中に存在する主観的秩序ではなく、膨大な数の人々が共有する想像の中に存在する、共同主観的秩序だからだ。(略)

「たとえば、放射能は神話ではない。放射線放射は、人類が発見するよりもはるか前から起こっていたし、人々がその存在を信じていない時にさえ、危険だ。(略)


「主観的」なものは、単一の個人の意識や信念に依存して存在している。本人が信念を変えれば、その主観的なものも消えたり変わったりしてしまう。(略)


同様に、ドルや人権、アメリカ合衆国も、何十億という人が共有する想像の中に存在しており、誰であれ一人の人間がその存在を脅かすことはありえない。(略)


想像上の秩序から逃れる方法は無い。監獄の壁を打ち壊して自由に向かって脱出した時、じつは私たちはより大きな監獄の、より広大な運動場に走り込んでいるわけだ。」

〇だからこそ、「よりよい想像上の秩序」「よりマシな想像上の秩序」を作る努力が必要だという主張が感じられます。

 

<書記体系の発明>

 

「進化は人類にサッカーをする能力を与えてはくれなかった。(略)いつの日にであれ、午後に学校のグラウンドで知らない人たちと試合をするには、それまで一度も会ったことがないかも知れないような人10人と協力しなければならないばかりでなく、敵の11人の選手が同じルールでプレイしていることを了解してもいなければならない。


他の個体と儀式化した攻撃行動を取る人間以外の動物はすべて、主に本能からそうしている。世界中の子犬は、喧嘩のような荒々しい遊びのルールが遺伝子にもともと組み込まれている。

だが、人間のティーンエイジャーは、サッカーのための遺伝子など持っていない。それでも赤の他人とサッカーができるのは、誰もがサッカーについて同一の考えを学んだからだ。それらの考えは完全に想像上のものなのだが、全員が共有していれば、誰もがサッカーができる。


同じことがもっと大規模な形で、王国や教会、交易ネットワークにも当てはまるが、そこには一つ重要な違いがある。サッカーのルールは比較的単純で完結であり、狩猟採集民の生活集団や小さな村落での協力に必要なルールによく似ている。(略)


だが、22人ではなく、何千人、いや何百万人もがかかわる大規模な協力体制の場合には、誰であれ一個人の脳では保存や処理がとうていできないほどの、膨大な量の情報を扱い、保存する必要がある。」

 

「帝国は厖大な量の情報を生み出す。帝国は法律以外にも、さまざまな業務や税金の記録、軍需品の目録や商船の目録、祝祭や戦勝記念の日程といったものを維持しなければならない。


人々は何百万年にもわたって、ただ一か所に情報を保存してきた。すなわち、自分の脳に。あいにく、人間の脳は帝国サイズのデータベースの保存装置としてはふさわしくない。それには三つの理由がある。


第一に、脳は容量が限られている。(略)
第二に、人間は死に、脳もそれとともに死ぬ。(略)
第三に、人間の脳は特定の種類の情報だけを保存し、処理するように適応してきた。(略)だが、農業革命の後、著しく複雑な社会が出現し始めると、従来とは全く異なる種類の情報が不可欠になった。数だ。(略)これらの数をすべて記憶し、思い出し、処理する必要に迫られた時、ほとんどの人間の脳は情報の過剰摂取に陥るか、あるいは眠りに陥る。(略)」


「紀元前3500年と紀元前3000年の間に、名も知れぬシュメール人の天才が、脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明した。(略)シュメール人が発明したこのデータ処理システムは、「書記」と呼ばれる。」

 

<「クシム」という署名>

 

「(略)この初期の段階では、書記は事実と数に限られていた。仮にシュメール人の傑作小説などと言うものがあったとしても、それが粘土板に記されることはけっしてなかった。」

 

「私たちの祖先が残した最初期のメッセージには、たとえば、「二万九〇八六 大麦 三七カ月 クシム」などと書かれている。」


シュメール人は、自分たちの書記体系が詩歌を書くのにはふさわしくないことを気にしていなかった。(略)コロンブスアメリカ大陸に到来する以前のアンデスの文化など、一部の文化は、その歴史を通して不完全な書記体系しか使わず、その書記体系はシュメールの書記体系とは大きく異なった。


実際、あまりに異なるので、まったく書記体系などではなかったと主張する人も多いだろう。それは粘土板に刻まれたり神に書かれたりするのではなく、色のついた縄に結び目を作って記すものだった。これをキープ(結縄(けつじょう))という。」

 

 

<官僚制の驚異>

 

メソポタミア人はやがて、単調な数理的データ以外のものも書きとめたいと思い始めた。紀元前3000年から紀元前2500年にかけて、次第に多くの記号がシュメール語の書記体系に加えられ、今日では楔形文字と呼ばれる完全な書記体系へと徐々に変わって行った。」

 

「完全な書記体系は、これらの初期の中心地から各地へ広がり、さまざまな新しい形を取り、斬新な役割を担う方になった。人々は詩歌や歴史書、伝奇物語、戯曲、預言、料理本などを書き始めた。(略)


ヘブライ聖書(旧約聖書)、ギリシアの「イリアス」、ヒンドゥー教の「マハーバーラタ」、仏教の三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)はすべて、もともと口承作品だった。」

 

「現代の考古学者は、古代メソポタミアの学校で行われた初期の練習の遺物を発見した。それを見ると、約4000年前の生徒たちの日華が窺える。


教室に入って座ると、先生が私の粘土板を読んだ。先生は言った。「漏れがある!」
そして先生は私を鞭打った。
担当者の一人が言った「私の赦しもなしになぜ口を開けたのか?」
そしてその担当者は私を鞭打った。
規律の担当者が言った。「私の許しもなしになぜ立ち上がったのか?」
そしてその担当者は私を鞭打った。
門番が言った。「私の許しもなしになぜ出ていくのか?」
そして門番は私を鞭打った。
ビールの入れ物の番人が言った。「私の許しもなしになぜ飲んだのか?」
そして番人は私を鞭打った。
シュメール語の先生は言った。「なぜアッカド語を話したのか?」
そして先生は私を鞭打った。
先生は言った。「お前の書き方はなっていない!」
そして先生は私を鞭打った。」


「このような引出しのシステムを運営する人は、正常に機能するためには、普通の人間として考えるのをやめて、整理係や会計士として考えるように、頭をプログラムし直さなければならない。


古代から今日に至るまで、誰もが知っている通り、整理係や会計士は普通の人間とは違う思考法を採る。彼らは書類整理用のキャビネットのように考えるのだ。


それは彼らの落ち度ではない。そのように考えなければ、彼らの引き出しは大混乱になり、彼らは政府や企業や組織が必要とするサービスを提供できないだろう。


書記体系が人類の歴史に与えた最も重要な影響は、人類が世の中について考えたり、世の中を眺めたりする方法を、徐々に変えたことだ。自由連想と網羅的思考は、分類と官僚制に道を譲ったのだ。」

 

<数の言語>

「何世紀も過ぎるうちに、官僚制のデータ処理方法は、人間の自然な思考法からますますかけ離れていった。そしてますます重要になっていった。ある、決定的に重要な進展が九世紀より前に起こった。


新しい不完全な書記体系が発明され、前代未聞の効率性をもって数理的データを保存したり処理したりできるようになったのだ。この不完全な書記体系は〇から九までの一〇個の数を表す記号から成っていた。


紛らわしい話だが、これらの記号は古代インド人が最初に発明したにもかかわらず、アラビア数字として知られている(さらにややこしいのだが、現代のアラビア人は西洋のものとは外見が非常に異なる数字を使っている)。


だが、アラビア人がその栄誉にあずかったのは、彼らがインドに進入した時、この数字のシステムに出会い、その有用性を理解し、それを洗練させ、まず中東に、その後ヨーロッパに広めたからだ。


後にアラビア数字にいくつか他の記号(足し算や引き算、掛け算の記号など)が加えられると、近代的な数学的表記の基礎が誕生した。


この書記の体系は今なお不完全な書記体系のままだが、世界の最も有力な言語となった。」


「したがって、政府や組織、企業の決定に影響を与えたいと望む人は数を使って語ることを学ぶ必要がある。」


「だが、話はここで終わらない。人工知能の分野は、コンピューターの二進法の書記体系だけに基づいた新しい種類の知能を生み出そうとしている。「マトリックス」や「ターミネーター」といったサイエンス・フィクション映画は、二進法の書記体系が人類の軛をかなぐり捨てた日のことを描いている。


反乱を起こしたこの書記体系を人類が再び手懐けようとしたとき、この書記体系はそれに反発し、人類を一掃しようと試みるのだ。」