読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史  上 <脱出不能の監獄>

キリスト教や民主主義、資本主義といった想像上の秩序の存在を人々に信じさせるにはどうしたらいいのか?まず、その秩序が想像上のものだとは、けっして認めてはならない。

社会を維持している秩序は、偉大な神々あるいは自然の法則によって生み出された客観的実体であると、常に主張する。

人々が同等ではないのは、ハンムラビがそう言ったからではなく、エンリルとマルドゥクがそう定めたからだ。


人々が平等なのは、トマス・ジェファーソンがそう言ったからではなく、神がそのように人々を創造したからだ。


自由市場が最善の経済制度なのは、アダム・スミスがそう言ったからではなく、それが不変の自然法則だからだ。」


「人文科学や社会科学は、想像上の秩序が人生というタペストリーにいったいどのように織り込まれているかを説明することに、精力の大半を注ぎ込んでいる。(略)


そこには三つの主要な要因があって、自分の人生をまとめ上げている秩序が自分の想像の中にしか存在しないことに人々が気づくのを妨げている。


a  想像上の秩序は物質的世界に埋め込まれている。
  (略)
今日の西洋人の大半は、個人主義を信条としている。彼らは、すべての人間は個人であり、その価値は他の人がその人をどう思うかに左右されないと信じている。私たちの誰もが、自分の中に、人生に価値と意義を与えるまばゆい一筋の光を持っている。現代の西洋の学校では、教師と親が子供たちに、クラスメイトにからかわれたら無視するように言う。他人ではなく子供たち自身だけが、自分の真の価値を知っているというわけだ。
   (略)

中世の貴族は個人主義を信奉していなかった。人の価値は社会のヒエラルキーにその人が占める位置や、他の人々がその人についてどう言っているかで決まった。

笑われるのは恐ろしい不名誉だった。貴族は自分の子どもたちに、どんな犠牲を払っても評判を守るように教えた。現代の個人主義と同じで、中世の価値体系も想像を離れて、中世の石造りの城という形で明示された。城には子供たちのための個室はめったになかった(そもそも、子供以外のための個室もなかった)。(略)」


〇この中世の貴族の価値観はまさに、日本社会の価値観と似てると思いました。びっくりです。個人主義を信じない限り、ヒエラルキーを信じるので、そうなってしまう、ということなのでしょうか?




「b 想像上の秩序は私たちの欲望を形作る。


たいていの人は、自分たちの生活を支配している秩序が想像上のものであることを受け容れたがらないが、実際には、誰もがすでに存在している想像上の秩序の中へと生まれてきて、その人の欲望は誕生時から、その秩序の中で支配的な神話によって形作られる。したがって、私たちの個人的欲望は、想像上の秩序にとって最も重要な砦となる。


たとえば、今日の西洋人が一番大切にしている欲望は、何世紀も前からある、ロマン主義国民主義、資本主義、人間至上主義の神話によって形作られている。(略)


人々が、ごく個人的な欲望と思っているものさえ、たいていは想像上の秩序によってプログラムされている。(略)


ロマン主義は、人間としての自分の潜在能力を最大限発揮するには、できるかぎり多くの異なる経験をしなくてはならない、と私たちに命じる。(略)


消費主義は、幸せになるためにはできるかぎり多くの製品やサービスを消費しなくてはならない、と私たちに命じる。(略)」


〇昔、「消費は美徳」というフレーズが盛んに言われました。最初に聞いた時は、疑いながら聞きました。(だいたい、何でも疑い深いのです(^-^;)
でも、少し大人になって、経済の仕組みがわかるようになると、消費しなければ、経済が活性化せず、活性化しなけれが、国民生活が苦しくなるからなのだ、とわかり納得しました。

でも、今思うとそれもある種の「目くらまし」にあっていたのだと思います。

古代エジプトのエリート層同様、たいていの文化のたいていの人は、人生をピラミッドの建設に捧げる。(略)たとえば、プールと青々とした芝生の庭がある郊外の住宅や、羨望に値するほど見晴らしの良いきらびやかなペントハウスといった形を取ることもある。そもそも私たちにピラミッドを欲しがらせる神話について問う人はほとんどいない。」


「c  想像上の秩序は共同主観的である。

私が超人的努力をして自分の個人的欲望を想像上の秩序から解放することに成功したとしても、それは私ただ一人のことでしかない。想像上の秩序を変えるためには、何百万という見ず知らずの人を説得し、彼らに協力してもらわなければならない。なぜなら、想像上の秩序は、私自身の想像の中に存在する主観的秩序ではなく、膨大な数の人々が共有する想像の中に存在する、共同主観的秩序だからだ。(略)

「たとえば、放射能は神話ではない。放射線放射は、人類が発見するよりもはるか前から起こっていたし、人々がその存在を信じていない時にさえ、危険だ。(略)


「主観的」なものは、単一の個人の意識や信念に依存して存在している。本人が信念を変えれば、その主観的なものも消えたり変わったりしてしまう。(略)


同様に、ドルや人権、アメリカ合衆国も、何十億という人が共有する想像の中に存在しており、誰であれ一人の人間がその存在を脅かすことはありえない。(略)


想像上の秩序から逃れる方法は無い。監獄の壁を打ち壊して自由に向かって脱出した時、じつは私たちはより大きな監獄の、より広大な運動場に走り込んでいるわけだ。」

〇だからこそ、「よりよい想像上の秩序」「よりマシな想像上の秩序」を作る努力が必要だという主張が感じられます。