読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

私は女性にしか期待しない

「禁欲の精神
禁欲という言葉に、お目にかからなくなって何と久しいことでしょう。企業社会では禁欲はタブーです。儲けるために、商品をたくさんつくろうと思ったら、いつも市場を広げることを考えねばなりません。市場を広げるというのは、これまで買ってくれなかった人に買わせることです。それには、
「そんなものはなくったって、生きていける」
と思っている人に、
「珍しいから、買ってみようか」
と思わせることです。




もともと自由と進歩の原動力であり、個人の標識であった欲望を、企業が横から腕ずくで奪い取る時代になりました。(略)



流行とは、当て込んだ商品が、ひとまわり売れる期間のことです。ひとつの流行で儲けたら、また新しい流行で、新しい客をひきつけ、前からの客に、まだ使えるものを捨てさせます。感覚に訴えて、つぎつぎかわっているなと思わせねばなりません。



テレビ広告に出てくる日常のエチケットと違う仕草、日本語の約束とちがった「新語」は、見慣れなかったり、聞きなれなかったりで、オヤと思わせます。珍しければ、下品でも、日本語が汚染されてもかまわないのです。売れればいいのです。



企業は環境を汚すだけでなく、精神も汚染しています。こういう企業に、一番恐ろしいのは禁欲です。禁欲主義という言葉を「広辞苑」で引いてみますと、「感性的欲望を、悪の源泉、またそれ自体が悪であると考え、徳に進むためにそれを出来る限り抑圧しようとする道徳上宗教上の立場」と書いてあります。



こういう主義は昔からありましたが、一部の人しか信じませんでした。文芸を復興させようとした時代、近代産業をおこそうとした時代には、じゃまになったからです。



何よりも、悪とは何か、禅とは何かを、民族を超えて納得させるような思想も宗教もなかったからです。けれども、21世紀がまぢかになって、それが、誰にもはっきりしました。地球の資源を減らし、環境を汚染するものは、人類にとって悪です。地球の資源を大切にし、環境をきれいにするものは善です。
人類を救うものは、禁欲の精神しかありません。現代の禁欲は企業への個人の抵抗です。」


〇 サピエンス全史の中にも同じような内容がありました。

「<ショッピングの時代>  現代の資本主義経済は、泳いでいなければ窒息してしまうサメのように、存続するためにはたえず生産を増大させなければならない。」


「人々は歴史の大半を通して、このような文句には惹かれるよりも反発する可能性のほうが高かった。彼らはきっと、こんなものは手前勝手で、退廃的で、道徳的に堕落していると決めつけただろう。(略)


私たちは、本当は必要なく、前日まであることすら知らなかった無数の製品を買う。」


アメリカ人は毎年、世界の他の地域の飢えた人全員を養うのに必要とされる以上の金額をダイエット食品に費やす。」