読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史 下

ユヴァル・ノア・ハラリ著 「サピエンス全史 下」を読んでいます。

副題が「文明の構造と人類の幸福」。

上・下巻、同時に予約したのですが、予約者がメチャメチャ多くて、忘れたころに
借りられることになり、しかも下巻が先になってしまいました。

 

〇 順不同になってしまいましたので、ここで、この本の「見出し」だけをメモしておきたいと思います。上巻はまだ読んでいませんが、上巻からメモしておきます。


「上巻」

第一部  認知革命
  第一章 唯一生き延びた人類種
  第二章 虚構が協力を可能にした
  第三章 狩猟採集民の豊かな暮らし
  第四章 史上最も危険な種

第二部  農業革命
  第五章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
  第六章 神話による社会の拡大
  第七章 書記体系の発明
  第八章 想像上のヒエラルキーと差別

第三部  人類の統一
  第九章 統一へ向かう世界
  第十章 最強の征服者、貨幣
  第十一章 グローバル化を進める帝国のビジョン


「下巻」

  第十二章 宗教という超人間的秩序
        神々の台頭と人類の地位/偶像崇拝の恩恵/神は一つ/

        善と悪の戦い/自然の法則/人間の崇拝

  第十三章 歴史の必然と謎めいた選択
        1 後知恵の誤謬/2 盲目のクレイオ

第四部  科学革命 
  第十四章 無知の発見と近代科学の成立
        無知な人/科学界の協議/知は力/進歩の理想/

        ギルガメシュ・プロジェクト/科学を気前よく援助する人々

  第十五章 科学と帝国の融合
        なぜヨーロッパなのか?/征服の精神構造/空白のある地図/

        宇宙からの侵略/帝国が支援した近代科学

  第十六章 拡大するパイという資本主義のマジック
        拡大するパイ/コロンブス、投資家を探す/資本の名の下に/

        自由市場というカルト/資本主義の地獄

  第十七章 産業の推進力
        熱を運動に転換する/エネルギーの大洋/

        ベルトコンベヤー上の命
        /ショッピングの時代 

  第十八章 国家と市場経済がもたらした世界平和
        近代の時間/家族とコミュニティの崩壊/

        想像上のコミュニティ/
        変化し続ける近代社会/現代の平和/帝国の撤退/

        原子の平和(パクス・アトミカ

  第十九章 文明は人間を幸福にしたのか
        幸福度を測る/化学から見た幸福/人生の意義/汝自身を知れ


  第二十章 超ホモ・サピエンスの時代へ
        マウスとヒトの合成/ネアンデルタール人の復活/

        バイオニック生命体/別の生命/特異点(シンギユラリティ)/

        フランケンシュタインの予言

  あとがき_神になった動物

 

〇読み始めた時には、いわゆる「鳥瞰的」「というのでしょうか、あらゆることを偏りのない目で客観的に見ていることには、好感が持てたのですが、それで一体どこへ連れていかれるのか、若干、不安な気持ちにもなりました。

というのも、何度も言っているように、ただ客観的です、事実を述べました、という人は、どうも好きじゃないのです。客観的も事実も、必要条件ではあるけれど、そのうえで、自分はどうでありたいのか、というのを伝えてくれる人が好きです。

昔、読んだ「赤毛のアン」の中に、「同類の魂」という言葉が出てきましたが、
その人が同類の魂の人かどうかを、考えてしまうのです。

でも、ここまで来て、多分、この人は「同類の魂」の人ではないかと感じ始めました。嬉しいです。

内容は難しい内容を扱っているのに、あのアーレントの文章よりも分かりやすい、というのも嬉しいです。

 

先ずは読んでみます。

「今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だが実は、貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。」

〇 上巻から読んでいないので、「人類を統一する三つの要素」についての説明は、すでに以前になされていたのかもしれません。

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※「人類を統一する三つの要素」については上巻にありました。(213p)
                        (2018.5.14 記入)

「紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、その信奉者たちは初めて、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することが出来た。


誰もが「私たち」になった。いや、少なくともそうなる可能性があった。「彼ら」はもはや存在しなかった。真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。


第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は宗教的で、仏教やキリスト教イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。」


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この著者はとても若く、1976年生まれで、ほとんど息子と同じくらいの歳です。
ハンナ・アーレント山本七平も私よりも前の世代の人で、「教えてもらう」安心感がありました。

でも、このハラリ氏の発想は、ちょっと脳がひっ掻きまわされるような、「経験したことがないようなものの見方」で、新鮮な驚きがあります。

「したがって宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度と定義できる。これには、二つの異なる基準がある。

1 宗教は、超人間的な秩序の存在を主張する。その秩序は人間の気まぐれや合意の   
  産物ではない。プロ・サッカーは宗教ではない。なぜなら、このスポーツには多      
  くの決まり事や習慣、奇妙な儀式の数々があるものの、サッカー自体は人間自身
  が発明したものであることは誰もが承知しており、国際サッカー連盟はいつでも
  ゴールを大きくしたり、オフサイドのルールをなくしたりできるからだ。

2 宗教は、超人間的秩序に基づいて規範や価値観を確立し、それには拘束力がある
  と見なす。今日、西洋人の多くが死者の霊や妖精の存在、生まれ変わりを信じて
  いるが、これらの信念は道徳や行動の基準の源ではない。
  したがって、これらは宗教ではない。」


「本質的に異なる人間集団が暮らす広大な領域を傘下に統一するためには、宗教はさらに二つの特性を備えていなくてはならない。


第一に、いつもでどこでも正しい普遍的な超人間的秩序を信奉している必要がある。

第二に、この信念をすべての人に広めることをあくまで求めなければならない。

言いかえれば、宗教は普遍的であると同時に、宣教を行うことも求められるのだ。」


「ところが、古代の宗教の大半は、局地的で排他的だった。(略)
普遍的で、宣教を行う宗教が現れ始めたのは、紀元前1000年紀だ。」


「狩猟採集民は野生の植物を摘んだが、それらの動植物はホモ・サピエンスと対等の地位にあると見なすことが出来た。人間は、ヒツジを狩るからといって、ヒツジが人間に劣ることにはならなかった。トラが人間を狩るからといって、人間がトラに劣ることにならないのと、まったく同じだ。」


アニミズムの信奉者たちは、人間は世界に暮らしている多くの生き物の一つにすぎないと考えていた。」


「2000年にわたって一神教による洗脳が続いたために、西洋人のほとんどが多神教のことを無知で子供じみた偶像崇拝と見なすようになった。だが、これは不当な固定観念だ。」

 

 

「ローマ人が許容するのを長い間拒んだ唯一の神は、一神教で福音を説くキリスト教徒の神だった。」


「キリストが十字架に架けられてから皇帝コンスタンティヌスキリスト教に改宗するまでの300年間に、多神教徒のローマ皇帝キリスト教徒の全般的な迫害を行ったのはわずか四回だった。(略)


これとは対照的に、その後の1500年間に、キリスト教徒は愛と思いやりを説くこの宗教のわずかに異なる解釈を守るために、同じキリスト教を何百万人も殺害した。」


「16世紀と17世紀にヨーロッパ中で猛威を振るったカトリック教徒とプロテスタント(新教徒)との宗教戦争は、とりわけ悪名高い。(略)
こうした神学上の言い争いは凄まじい暴力に発展し、16世紀には、カトリック教徒とプロテスタントが殺し合い、何十万という死者を出した。」

多神教はあちこちで他の一神教を生み続けたが、どれも瑣末なものにとどまった。(略)大躍進はキリスト教とともに起こった。」


キリスト教の成功は、7世紀にアラビア半島に出現した別の一神教、すなわちイスラム教のお手本となった。」

「今日、東アジア以外の人々は、何かしらの一神教を信奉しており、グローバルな政治秩序は、一神教の土台の上に築かれている。」

「神ユピテルがローマを守護し、ウィツィロポチトリアステカ帝国を守ったのと丁度同じように、キリスト教の王国はどれも、困難を克服したり戦争に勝ったりするのを助けてくれる独自の守護聖人を持っていた。」

「頭痛のときには聖アガティウスに祈らなけばならないが、歯痛のときには、聖アポロニアに祈った方がずっと効き目があった。」


キリスト教の聖人がそんな信仰の対象になっているというのは、知りませんでした。日本でも、勉強の神様とか安産の神様とか縁結びの神様とかありますけど、
似てると思います。


「(略)論理的には、それは不可能だ。人は単一の全能の絶対神を信じるか、ともに全能ではない二つの相反する力を信じるかのどちらかのはずだ。それでも、人類には矛盾しているものを信じる素晴らしい才能がある。

だから、膨大な数の敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒が、全能の絶対神と、それとは独立した悪魔の存在を同時に信じていたとしても、驚いてはならない。」


「平均的なキリスト教徒は、一神教絶対神を信じているが、二元論的な悪魔や、多神論的な聖人たち、アニミズム的な死者の霊も信じている。このように異なるばかりか矛盾さえする考え方を同時に公然と是認し、さまざまな起源の儀式や慣行を組み合わせることを、宗教学者たちは混合主義と呼んでいる。実は、混合主義こそが、唯一の偉大な世界的宗教なのかもしれない。」

 

〇 メモをしながら読むと結構時間がかかるので、メモなしで、
どんどん読んでいます。面白いです!

今、見出し「科学を気前よく援助する人々」というところを読み始めたのですが、
ちょっと感動しています。

というのも、このハラリ氏、まさにあの「アーレントの問題意識」と同じような問題意識を持っているようです。

つまり、アーレントが言っていた…

[しかし次のことを打ち消すことはまったくできない。すなわち近代科学の偉大な発見者_アインシュタインプランク、ボーア、ハイゼンベルクシュレディンガー_の考察が、「近代科学の基礎にかかわる危機」をもたらし、「そして彼らの中心的問(人間が世界を認識することができるためには世界はどのようでなければならないか?)は科学そのものと同様に古く、今も未回答のままである」ということを。」

と同じようなことを言ってるのです。以下にメモします。

「私たちは技術の時代に生きている。私たちのあらゆる問題の答えは科学とテクノロジーが握っていると確信している人も多い。科学者と技術者に任せておきさえすれば、彼らがこの地上に天国を生み出してくれるというのだ。

だが、科学は他の人間の活動を超えた優れた倫理的あるいは精神的次元で行われる営みではない。

私たちの文化の他のあらゆる部分と同様、科学も経済的、政治的、宗教的関心によって形作られている。

科学には非常にお金がかかる。人間の免疫系を理解しようとしている生物学者は、研究室、試験管、薬品、電子顕微鏡はもとより、研究室の助手や電気技術者、配管工、清掃係まで必要とする。


金融市場をモデル化しようとしている経済学者は、コンピューターを買い、巨大なデータベースを構築し、複雑なデータ処理プログラムを開発しなければならない。太古の狩猟採集民の行動を理解したい考古学者は、遠い土地へ出かけ、古代の遺跡を発掘し、化石化した骨や人工遺物の年代を推定しなくてはいけない。そのどれにもお金がかかる。

過去500年間、近代科学は政府や企業、財団、個人献金者が科学研究に莫大な金額を注ぎ込んでくれたおかげで、驚異的な生かを挙げてきた。その莫大なお金の方が、天体の配置を描き出し、地球の地図を作り、動物界の目録を作る上で、ガリレオ・ガリレイクリストファー・コロンブスチャールズ・ダーウィンよりも大きな貢献をした。

もしこれらの天才が生まれていなかったとしても、きっと誰か別の人が同じ偉業を達成していただろう。だが、適切な資金提供がなければ、どれだけ優れた知性を持っている人でも、それを埋め合わせることは出来なかったはずだ。(略)

何故莫大なお金が政府や企業の金庫から研究室や大学へと流れ始めたのか?学究の世界には、純粋科学を信奉する世間知らずの人が多くいる。彼らは、自分の想像力を掻き立てる研究プロジェクトなら何にでも政府や企業が利他主義に則ってお金を与えてくれると信じている。だが、これは科学への資金提供の実体からかけ離れている。


ほとんどの科学研究は、それがなんらかの政治的、あるいは宗教的目的を達成するのに役立つと誰かが考えているからこそ、資金を提供してもらえる。

たとえば16世紀には、王や銀行家は世界の地理的探検を支援するために、膨大な資源を投じたが、児童心理学の研究にはまったくお金を出さなかった。それは、王や銀行家が、新たな地理的知識の発見が、新たな土地を征服して貿易帝国を打ち立てるのを可能にすると思ったからであり、児童心理の理解には何の利益も見込めなかったからだ。」

〇まだまだ続きます。全部書き写したくなります。

 

 

 

「科学者自身はお金の流れを支配している政治的、経済的、宗教的関心をいつも自覚しているわけではないし、実際、多くの科学者が純粋な知的好奇心から行動している。とはいえ、科学者が科学研究の優先順位を決めることはめったにない。


たとえ私たちが、政治的、経済的、あるいは宗教的関心の影響を受けない純粋科学に資金提供することを望んでもおそらく、実行は不可能だろう。(略)限られた資源を投入するときには、「何がもっと重要か?」とか「何が良いか?」といった疑問に答えなくてはならない。

そして、それらは科学的な疑問ではない。科学はこの世に何があるかや、物事がどのような仕組みになっているかや、未来に何kが起こるかもしれないかを説明できる。

だが当然ながら、科学には、未来に何が起こるべきかを知る資格はない。
宗教とイデオロギーだけが、そのような疑問に答えようとする。」


「提供できるお金が限られており、両方の研究プロジェクトに資金を出すことが出来ないとしたら、どちらにお金を回すべきか?

この質問に対する科学的な答えはない。政治的、経済的、宗教的な答えがあるだけだ。」


「科学は自らの優先順位を設定できない。また、自らが発見した物事をどうするかも決められない。(略)自由主義の政府や共産主義の政府、ナチスの政府、資本主義の企業は、全く同じ科学的発見を全く異なる目的に使うであろうことは明らかで、そのうちのどれを選ぶべきかについては、科学的な根拠はない。

つまり、科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることが出来る。イデオロギーは研究の費用を正当化する。それと引き換えに、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするか決める。」


「特に注意を向けるべき力が二つある。帝国主義と資本主義だ。科学と帝国と資本の間のフィードバック・ループは、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう。今後の章では、その働きを分析していく。

まず、科学と帝国という二つのタービンがどのようにしてしっかり結びついたかに注目し、続いて、両者が資本主義の資金ポンプにどのようにつながれたかを見てみることにする。」


〇「科学を気前よく…」を読んで、一気に興味が掻き立てられたので、今までのところを飛ばして、一気にこの部分のメモをしてしまいました。

もし、時間があれば、また前に戻ってメモをすることにし、今は、このまま前に進みたいと思います。

 

「第十五章 科学と帝国の融合   <なぜヨーロッパなのか>

クックの遠征の少し前まで、イギリス諸島とヨーロッパ西部は概して、地中海世界から遠く離れ、取り残された場所にすぎなかった。(略)

ヨーロッパがようやく軍事的、政治的、経済的、文化的発展の重要地域になったのは、15世紀末のことだった。(略)


1775年にアジアは世界経済の八割を担っていた。インドと中国の経済を合わせただけでも全世界の生産量の三分の二を占めていた。それに比べると、ヨーロッパ経済は赤子のようなものだった。


ようやく世界の権力の中心がヨーロッパに移ったのは、1750年から1850年にかけてで、ヨーロッパ人が相次ぐ戦争でアジアの列強を倒し、その領土の多くを征服したときだった。」

 

ユーラシア大陸の寒冷な末端に暮らすヨーロッパの人々は、どのようにして世界の中心からほど遠いこの片隅から透けだし、全世界を征服しえたのだろう?」

 

「1770年には、ジェイムズ・クックは、たしかにオーストラリアのアボリジニよりもはるかに進んだテクノロジーを持っていたとはいえ、それは中国やオスマン帝国の人々にしても同じだった。

それではなぜオーストラリアを探検して植民地化したのは、萬正色船長やフセイン・パシャ船長ではなく、ジェイムズ・クック船長だったのか?

さらに重要なのだが、もし1770年にヨーロッパ人が、イスラム教徒やインド人や中国人よりもテクノロジーの面で大きく優位に立っていたわけではなかったのだとしたら、ヨーロッパの国々はその後の100年間で、どうやってその他の国々にそれほどの差をつけたのだろう?


軍事・産業・科学複合体が、インドではなくヨーロッパで発展したのはなぜか?イギリスが飛躍した時、なぜフランスやドイツやアメリカはすぐにそれに続いたのに、中国は後れを取ったのか?」

 

「中国人やペルシア人は、蒸気機関のようなテクノロジー上の発明(自由に模倣したり買ったりできるもの)を欠いていたわけではない。


彼らに足りなかったのは、西洋で何世紀もかけて形成され成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造で、それらはすぐには模倣したり取り組んだりできなかった。」


〇ここに至って、あのハンナ・アーレントの「精神の生活 思考・意志」の「意味」が結実しているように見えます。


「日本が例外的に19世紀末にはすでに西洋に首尾良く追いついていたのは、日本の軍事力や、特有のテクノロジーの才のおかげではない。むしろそれは、明治時代に日本人が並外れた努力を重ね、西洋の機械や装置を採用するだけにとどまらず、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実を反映しているのだ。」


「二人の建築者を想像してほしい。(略)一人は木と泥レンガを使い、もう一人は鋼鉄とコンクリートを使っている。最初は両方の工法にあまり違いはないように見える。(略)ところが、ある高さを超えると、木と泥の塔は自らの重さに耐えられず崩壊する一方で、鋼鉄とコンクリートの塔ははるかに仰ぎ見る高さまで階を重ねていく。

ヨーロッパは、近代前期の貯金があったからこそ近代後期に世界を支配することが出来たのだが、その近代前期にいったいどのような潜在能力を伸ばしたのだろうか?

この問いには、互いに補完し合う二つの答えがある。近代科学と近代資本主義だ。
ヨーロッパ人は、テクノロジー上の著しい優位性を享受する以前でさえ、科学的な方法や資本主義的な方法で考えたり行動したりしていた。

そのため、テクノロジーが大きく飛躍し始めた時、ヨーロッパ人は誰よりもうまくそれを活用することが出来た。」


〇科学的な方法で考えたり行動したりしていた…。黒を白と言ったりしない。
つまり、考え方が「鉄筋とコンクリート」だった。
大事なのは、考え方だと言っている。

 

「近代科学とヨーロッパの帝国主義との歴史的絆を作り上げたのは何だろう?(略)
科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。(略)両者とも、外に出て行って新たな発見をせずにはいられなかった。

そして、そうすることで獲得した新しい知識によって世界を制するという願望を持っていたのだ。」

 

 

 

<空白のある地図>

「十五世紀から十六世紀にかけて、ヨーロッパ人は空白の多い地図を描き始めた。ヨーロッパ人の植民地支配の意欲だけでなく、科学的な物の見方の発達を体現するものだ。

空白のある地図は、心理とイデオロギーの上での躍進であり、ヨーロッパ人が世界の多くの部分について無知であることをはっきり認めるものだった。」


コロンブスは、無知を自覚していなかったという点で、まだ中世の人間だったのだ。彼は、世界全体を知っているという確信を持っていた。」


「世界の陸地面積の四分の一強を占める、七大陸のうちの二つが、ほとんど無名のイタリア人にちなんで名づけられたというのは、粋なめぐりあわせではないか。

彼は「私たちにはわからない」という勇気があったというだけで、その栄誉を手にしたのだから。」


アメリカ大陸の発見は科学革命の基礎となる出来事だった。そのおかげでヨーロッパ人は、過去の伝統よりも現在の観察結果を重視することを学んだだけでなく、アメリカを征服したいという欲望によって猛烈な速さで新しい知識を求めざるを得なくなったからだ。」

 

「これ以降、ヨーロッパでは地理学者だけでなく、他のほぼすべての分野の学者が、後から埋めるべき余白を残した地図を描き始めた。自らの理論は完ぺきではなく、自分たちの知らない重要なことがあると認め始めたのだ。」


「ヨーロッパの帝国による遠征は世界の歴史を変えた。別個の民族と文化の歴史がただいくつも並立しているだけだったものが、一つに統合された人間社会の歴史になったのだ。」

 

「このようなヨーロッパ人による探検と征服のための遠征は私たちにとてもなじみ深いので、それがいったいどれだけ異例だったのかが見落とされがちだ。」


「多くの学者によれば、中国の明朝の武将、鄭和が率いる艦隊による公開は、ヨーロッパ人による発見の航海の先駆けであり、それを凌ぐものだったという。

鄭和は1405年から1433年にかけて7回、中国から巨大な艦隊を率いてインド洋の彼方まで行った。中でも最大の遠征隊は、3万人近くが乗り込んだ300隻弱の船で編成されていた。(略)

コロンブスの艦隊は、鄭和の艦隊がドラゴンの群れだとしたら、三匹の蚊のようなものだった。」


「それでも、両者には決定的な違いがあった。鄭和は海を探検し、中国になびく支配者を支援したが、訪れた国々を征服したり、植民地にしたりしようとはしなかった。

さらに、鄭和の遠征は中国の政治や文化に深く根差したものではなかった。1430年に北京で政権が変わった時、新しい支配者たちは突然遠征を中止した。(略)重要な技術的知識や地理的知識が失われ、鄭和ほどの威信と才覚を持った探検家が中国の港から出航することは二度となかった。」


「たいていの中国の支配者は近くの日本さえも自由にさせて。それは、特別なことではなかった。

特異なのは近代前期のヨーロッパ人が熱に浮かされ、異質な文化があふれている遠方の全く未知の土地へ航海し、その海岸へ一歩足を踏み下ろすが早いか、「これらの土地はすべて我々の王のものだ」と宣言したいという意欲に駆られたことだったのだ。」

 

「<帝国が支援した近代科学>  近代の科学と帝国は、水平線の向こうには何か重要なもの、つまり探索して支配するべきものが待ち受けているかもしれないという、居てもたってもいられない気持ちに駆り立てられていた。(略)

帝国を築く人たちの慣行と科学者の慣行とは切り離せなかったのだ。近代のヨーロッパ人にとって、帝国建設は科学的な事業であり、科学の学問領域の確立は帝国の事業だった。

イスラム教徒がインドを征服した時には、考古学者が同行して体系的にインドの歴史を調べたり、人類学者が文化を研究したり、地質学者が土壌を調べたり、動物学者が動物相を調査したりはしなかった。

一方、イギリスがインドを征服した時には、そういったことをすべて行った。」


〇アステカやインカ帝国を滅びした残虐非道なヨーロッパ人。そのことは、間違いないのですが、もしどこかの民族が他の諸民族を滅ぼし帝国を作るというのが、世界の必然だったのなら(そんなことはなく、たまたまそうだった、ということでしょうけど)ヨーロッパ人で良かったのかも…と思うのは私が今の人間だからなんでしょうか。

世界中が、科学の恩恵に浴することが出来るようになったのは、結果として、ここでヨーロッパが世界を征服したからだ、ということになるのでしょう。

この後、インドの稀少なクモやチョウの研究、遺跡の発掘、楔形文字の解読、比較言語学等に関する具体的なエピソードが語られていて、面白いです。


「実際、それまでのどの征服者よりも、さらには地元民自身よりもはるかによくわかっていた。征服者たちの秀でた知識には、明らかに実用面で利点があった。こういった知識がなかったら、とんでもなく人数の少ないイギリス人が、何億ものインド人を二世紀にわたってうまく統治したり迫害したり搾取したりできたかどうか疑わしい。」


「さらに、諸帝国が積み上げた新しい知識によって、少なくとも理論上は、征服された諸民族への援助が可能になり、「進歩」の恩恵を与えられるようになった。(略)

つまり、医療や教育を施し、鉄道や用水路を造り、正義や繁栄を保証することが出来るようになった。帝国主義者は、自らの帝国は大規模な搾取事業ではなく、非ヨーロッパ人種のために実施する利他的な事業なのだと主張した。」


〇いわゆる「きれいごと」です。「偽善者」です。
でも、いつも思うのですが、きれいごとを言って、多少なりともそのきれいごとを実践しようとする人の方が、「きれいごと」を知らない人よりもずっとマシだと思うのです。

何度も同じことを言って恐縮ですが、黒いものを白いというそういう、「汚いやり方」を平気でして、それがまかり通るという社会はおかしいと思います。
きれいごとは言っても、なかなかそうは出来ないのが、人間です。

でも、先ず、「きれいごとを言う」「きれいにやろうとする」それが大前提だと思います。きれいごとを言う人を馬鹿にする風潮があるのは、すごくおかしいと思います。


「当然ながら事実はこの神話としばしば食い違った。イギリス人は1764年にインドで最も豊かな州、ベンガルを征服した。この新しい支配者たちは自らが豊かになること以外にはほとんど関心がなかった。

杜撰な経済政策を採用し、そのせいで数年後にはベンガル大飢饉が勃発した。(略)ベンガル州の人口の三分の一に当たる、およそ1000万人のベンガル人がこの悲惨な出来事で亡くなった。」


「(略)彼らの犯した罪でたやすく百科事典が一冊埋まるだろう。(略)…帝国の功績で別の百科事典が一冊埋まるだろう。

ヨーロッパの諸帝国は、科学との密接な協力により、あまりにも巨大な権力を行使し、あまりにも大きく世界を変えたので、これらの帝国を単純には善や悪に分類できないのではないか。

ヨーロッパの帝国は、私たちの知っている今の世界を作り上げたのであり、その中には、私たちがそれらの諸帝国を評価するのに用いるイデオロギーも含まれているのだ。」


「こういった人種差別的な理論は、何十年にもわたってもてはやされ、世間に認められてきたが、やがて科学者にも政治家にも等しく忌み嫌われるようになった。

人びとは人種差別との高潔な戦いを続けているが、戦いの場が移ったこと、そして帝国主義イデオロギーに占めていた人種差別の位置には、今や「文化主義」が収まっていることには気づいていない。(略)


今日のエリート層は、多様な人間集団にはそれぞれ対照的な長所があると主張する時、十中八九、人種間の生物学的相違ではなく文化間の歴史的相違の視点から語る。私たちはもやは「血統だ」とは言わず、「文化のせいだ」と言う。」


「たとえば、イスラム教徒の移民に反対するヨーロッパの右翼政党は通常、人種差別的な語句を用心深く避ける。(略)

西洋文化はヨーロッパで発展したため民主主義的価値観や寛容さ、男女平等を特徴とする一方、中東で発展したイスラム文化は階層的な政治、狂信性、女性蔑視を特徴とすると主張する傾向にある。

二つの文化はあまりにも違うし、多くのイスラム教徒移民は西洋の価値観を取り入れようとしない(し、ひょっとすると取り入れられない)から、内紛を煽ってヨーロッパの民主主義と自由主義を蝕んだりしないように、流入を許すべきでないと主張する。」

「言うまでもなく、これは話の全貌ではない。科学は帝国だけでなく他の制度にも支えられてきた。(略)科学と帝国の華々しい隆盛の裏には、きわめて重要な力が潜んでいる。それは資本主義だ。」