読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス (上) (第3章 人間の輝き)

「神を偽造する

 

宗教が前よりよくわかったところで、宗教と科学の関係の考察に戻ることができる。この関係には、二つの極端な解釈がある。一方の見方では、科学と宗教は不倶戴天の敵同士で、近代史は科学の知識と宗教の迷信との死闘で形作られたことになる。

 

 

 

やがて科学の光明が宗教の暗闇を追い払い、世界はしだいに非宗教的かつ合理的になって、繁栄してきたというのだ。とはいえ、いくつかの科学的発見がたしかに宗教の教義を弱体化させているものの、これは必然的なことではない。(略)

 

 

 

さらに重要なのだが、科学は人間のための実用的な制度を創出するには、いつも宗教の助けを必要とする。科学者は世界がどう機能するかを研究するが、人間がどう行動するべきかを決めるための科学的手法はない。科学は人間が酸素なしでは生き延びられないことを教えてくれる。とはいえ、犯罪者を窒息させて処刑するのは許されるのだろうか?科学はそのような疑問にどう答えたらいいか知らない。宗教だけが、必要な指針を提供してくれる。(略)

 

 

 

あなたが三峡ダムについて個人的にどう思っていようと、ダムの建設は純粋に科学的な問題というよりも倫理的な問題だった。どんな 物理実験や経済モデルや数式をもってしても、厖大な電力とお金を生み出す方が、古い仏塔やヨウスコウカワイルカを救うよりも価値があるかどうかは決められない。したがって、中国は科学理論だけに基づいて機能することはできない。何かしらの宗教あるいはイデオロギーが必要なのだ。

 

 

 

逆の極論に走り、科学と宗教は完全に別個の領域であるという人もいる。科学は事実を研究し、宗教は価値観について語り、両者はけっして交わることがない。宗教は科学的な事実について語ることは何もなく、科学は宗教的な信念については口をつぐむべきだ。

 

 

 

人の命は神聖で、したがって妊娠中絶は罪であるとローマ教皇が信じているなら、生物学者は恐慌の主張が正しいとも間違っているとも証明できない。生物学者はそれぞれ一私人として教皇と議論を戦わせるのは自由だが、科学者としてはその争いに加わることはできない。

 

 

 

このアプローチは分別のあるもののように思えるかもしれないが、宗教を誤解している。たしかに科学は事実だけを扱うとは言え、宗教はけっして倫理的な判断を下すだけにとどまらない。何かしら事実に関する主張をしないかぎり、宗教は実用的な指針を一つとして提供できない。だから、そこで科学と衝突する可能性が高い。

 

 

 

多くの宗教の教義でとくに重要な部分は倫理的規範ではなく、むしろ事実に関する主張で、たとえば、「神は存在する」「魂はあの世で罪の報いを受ける」「聖書は人間でなく神によって書かれた」「ローマ教皇が間違うことはけっしてない」などだ。(略)

 

 

 

妊娠中絶を例に取ろう。敬虔なキリスト教徒はしばしば中絶に反対するが、多くの自由主義者は中絶を支持する。(略)なぜなら、教義の詳細を読むとわかるのだが、ローマ教皇は「けっして間違うことはなく」、十字軍に加わって遠征し、異教徒を火あぶりの刑にするよう教皇が信徒に命じたときにさえ、無批判に従うことをカトリック教は要求しているからだ。

 

 

このような実際的な指示は、倫理的な判断だけからは導き出せない。むしろそれは、倫理的な判断を事実に関する言明と融合させることから生じる。

哲学の天上界から降りてきて歴史の現実を眺めると、宗教の物語にはほぼ必ず次の三つの要素が含まれることがわかる。

 

 

1「人の命は神聖である」といった、倫理的な判断。

2「人の命は受精の瞬間に始まる」といった、事実に関する言明。

3 倫理的な判断を事実に関する言明と融合させることから生じる、「受精のわずか一日後でさえ、妊娠中絶は絶対に許すべきではない」といった、実際的な指針。

 

 

 

科学には、宗教が下す倫理的な判断を反証することも確証することもできない。だが、事実に関する宗教的な言明については、科学者にもたっぷり言い分がある。(略)

 

 

中世ヨーロッパの人々は、昔の皇帝の命令にはおおいに敬意を払っており、文書古いほどその権威が増すと考えていた。彼らはまた、王や皇帝は神の代理人だとも考えていた。コンスタンティヌス帝は、ローマ帝国を異教徒の領域からキリスト教帝国に変えたので、とりわけ崇められていた。(略)

 

 

 

一四四〇年、カトリックの司祭で言語学の先駆者ロレンツォ・ヴァッラが科学的な研究を発表し、コンスタンティヌス帝の寄進状が偽造文書であることを証明した。ヴァッラはその文書の文体や文法や使われている語句を分析した。そして、この文書には四世紀のラテン語では知られていない単語が含まれており、コンスタンティヌス帝の死後およそ四〇〇年を経てから捏造された可能性が非常に高いことを実証した。(略)

 

 

 

今日、コンスタンティヌス帝の寄進状は八世紀のいずれかの時点に、教皇の下で捏造されたということで、歴史学者全員の意見が一致している。ヴァッラは古い皇帝の道徳的権威にけっして異議を唱えることはなかったものの、彼の科学的分析は、ヨーロッパ人は教皇に従うべきであるという実際的な指針の効力を間違いなく切り崩した。

 

 

 

 

二〇一三年一二月二〇日、ウガンダの議会は反同性愛法を可決した。同法は同性愛行為を犯罪化し、一部の行為は終身刑で罰することを定めていた。(略)かれらは証拠として「レビ記」第18章22節(「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである」)と、「レビ記」第20章13節(「女と寝るように男と寝るものは、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる」)を引用する。過去何世紀にもわたって、これと同じ宗教的な物語のせいで、世界中の無数の人がひどく苦しめられてきた。(略)

 

 

 

今や私たちは科学的手法を総動員して、いつ、誰が聖書を書いたか断定できる。科学者たちは一世紀以上前からまさにそれに取り組んできた。そして、もし興味があれば、その結果についての本が何冊も出ているから、読むことができる。(略)

 

 

手短にいえば、聖書は、記述していると称する出来事が起こってから何世紀も後に、それぞれ異なる書き手によって書かれた、おびただしい文書の集成であり、これらの文書が単一の聖なる書物にまとめられたのは、聖書時代のずっと後になってからのことだった。(略)

 

 

 

したがって、現時点で最善の科学知識によれば、「レビ記」に見られる同性愛行為の禁止は、古代エルサレムの少数の聖職者と学者の偏見を反映しているにすぎないことになる。科学は人々が神の命令に従うべきかどうかは決められないものの、聖書の起源については当を得たことを多く語れる。(略)」