読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「しかし一九八〇年代半ばまでは、彼らが国の運営にいかに無能であるか、誰もが気づくほどにはっきりしていたわけではなかった。一九五〇年代以降の日本は冷戦を背景に、アメリカの手厚い保護を受けていた。

 

 

しかし舵取りが必要な局面を迎えたいま、日本を動かす財務官僚たちはそれができずにいる。(略)

国内需要を刺激するために、金が人々のもとに流れ込むようにしなければならないのに、彼らは消費税や電気・ガスなどの料金を上げようと躍起になっているのだ。(略)

 

 

日本にとっての無気力の害の二番目の原因とは、普通の人々が政治に無関心になっていることである。組織を危うくする最たるものがこの無関心だ。政治がうまくいっていない国々についても同じことが当てはまる。(略)

 

 

しかし積極的に政治活動をしても、結局は失望するだけだ、という事例が周囲にあふれる日本では、大半の人々はそんなことをしても意味がないと感じている。

 

 

官僚や新聞の紙面編集者たちが大衆のエネルギーを、戦争や戦後の再建といった、官僚主導による国家プロジェクトに動員すべきだと考える場合を除いて、日本の人々は無関心でいるように仕向けられている。日本の無気力の害が続いてきたのは、結局のところ、奇妙なまでに強力で、根深く、しかも普遍的に広がる無関心のせいだったのだ。

 

 

政治的な無関心さは自然に生じるものではない。これは人間の遺伝子に組み込まれているわけでも、人間の知性や感情に刻み込まれているわけでもない。それどころかまったく正反対である。

 

 

我々は外の世界と積極的にかかわろうとし、社会や力の使われ方に知的にんも感情面でも関心を持とうとし、またそうする能力を生まれながらにそなえている。自分たちの社会・政治システムがどんなものかに日本人が無関心なのは、人為的な理由からだ。(略)

 

 

 

そこには根の深い歴史的な理由がある。徳川政権時代の日本には、一般の人々が積極的な政治活動をするような余地は全くなかった。日本が開国し、国家をつくり変えようという有史以来もっとも野心的なプロジェクトをはじめると民主主義が手に負えなくなることを非常に恐れた。

 

 

事実上のクーデターによって政権掌握した彼らが近代化に着手すると、海外から厖大な思想や方法論がどっと日本になだれ込んできた。そのひとつが民主主義であった。

明治時代、彼らは民主主義の危険性を最小限にとどめようとイデオロギーを生み出した。(略)

 

 

なぜなら日本という調和溢れる国に、生まれながらに慈悲深い天皇がいて、さらに天皇に仕える私心のない官僚たちがいて、その彼らが国民を絶えず気遣い、最前のやり方で面倒を見てくれているから、というわけである。

 

 

国内で生み出された日本社会に関するたくさんの思考が、日本の政治をゆがめてしまったと言っても過言ではない。政治とは権力であり、それがどのように配分され、だれがそれを行使し、それをいかに抑制すべきか、という問題である。

 

 

ところが権力など行使されてはいない、というふりを誰もがしたのでは、これについて建設的な議論ができるはずもない。古今東西を問わず、トップの地位にあった人々の間では、手強い反対勢力をかわすには、権力など握っていないふりをすればいいというのが常識であった。日本の官僚もつねにそのようにふるまってきた。(略)

 

 

強力な統一国家づくりのために生み出されたのが、日本社会はことのほか調和のとれた特別な存在、とするイデオロギーだった。政治には競争や反対、必要とあらば武力行使までもがかかわってくる。つまり調和とは相容れないものばかりなのだ。

 

 

徳川幕府の支配者たちは、完全で自然な秩序ある社会という見せかけの背後に姿を隠していた。明治の当局者たちは完璧な慈悲深さを備えた天皇を中心に、自発的に生まれたすばらしい家族国家の陰に潜んでいた。そして権力の行使について語る者はだれもいなかった。

 

 

 

政府省庁の官僚たち、あるいは経済団体や大企業というヒエラルキーのトップを占める、この国でもっとも強力な人々もまた、連綿と続いて来た伝統にしたがって、権力など所有していないふりをし続けている。(略)

 

 

 

またこうした伝統を受け継ぐいまの日本にも、権力行使に強く反対する人間はいない。しかも実験を握っていたとしても、その権力が公式のものでなければいっそう行使しやすくなる。つまり政治家という公式の権力者、しかし現実には大した権力を行使できない人々の背後でそれを行使するのは、政治の可能性を否定するのと同じだ。

 

 

言い換えるならば、権力を否定すれば、偽りを現実に見せかけるよりずっと現体制の維持には効果がある、ということだ。」