読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

サピエンス全史   上 <生物学的な性別と社会的・文化的性別>

「というわけで、女性の自然な機能は出産することだとか、同性愛は不自然だとか主張しても、ほとんど意味がない。男らしさや女らしさを定義する法律や規範、権利、義務の大半は、生物学的な現実ではなく人間の想像を反映している。」



<男性のどこがそれほど優れているのか?>


「少なくとも農業革命以降、ほとんどの人間社会は、女性より男性を高く評価する家父長制社会だった。社会が「男性」と「女性」をどう定義しようと、男性である方がつねに優っていた。」


「家父長制はこれほど普遍的なので、偶然の出来事が発端となった悪循環の産物のはずがない。これは特筆に値するのだが、コロンブスアメリカを発見した1492年より前でさえ、アメリカ大陸とアフロ・ユーラシア大陸の社会は、何千年にもわたって接触がなかったにも関わらず、その大半が家父長制だった。


アフロ・ユーラシア大陸の家父長制が、何らかの偶然の出来事の結果だとしたら、なぜアステカ族やインカ族も家父長制だったのか?(略)


その理由が何なのかは、私たちにはわからない。説は山ほどあるが、なるほどと思わせるようなものは一つもない。」


<筋力>

「さらに重要なのだが、人間の場合、体力と社会的権力はまったく比例しない。二十代の人の方が六十台の人よりもずっと強壮なのに、たいていは六十台の人が二十代の人を支配している。」


「組織犯罪の世界では、マフィアのドンは一番腕力のある男性とはかぎらない。むしろ、自分の拳を滅多に使うことのない、年長の男性のことが多い。」


「したがって、さまざまな種の間の力の連鎖も、暴力ではなく精神的能力と社会的能力で決まるのが当然だ。というわけで、歴史上最も影響力が大きく安定したヒエラルキーが、女性を力ずくで意のままにする男性の能力に基づいているとは信じがたい。」


「<攻撃性>

男性優位は強さではなく攻撃性に由来するという説もある。何百万年にも及ぶ進化を経て、男性は女性よりもはるかに暴力的になった。女性は憎悪や強欲、罵詈雑言に関しては男性と肩を並べうるが、この説によると、いざとなったら男性のほうが進んで粗暴な行為に及ぶという。だからこそ歴史を通して、戦争は男性の特権だったのだ。」



「実際には、歴史を通して多くの社会では、最上級の将校は二等兵からの叩き上げではない。貴族や富裕者、教育のある者は、兵卒として一日も軍務に就かずに自動的に将校の位に就く。」



「中国では、軍を文民官僚の支配下に置く長い伝統があったので、一度も剣を手にしたことのない官吏がしばしば戦争を指揮した。「好鐡不當釘(釘を作るのに良い鉄を無駄にしない)」という中国の一般的なことわざがある。本当に有能な人は兵卒ではなく文民官僚になるということだ。それならなぜ、これらの官吏はみな男性だったのか?」


「女性は身体的に弱かったから、あるいはテストステロン値が低かったから、官吏や将軍、政治家として成功できなかったというのは、筋が通らない。戦争を指揮するには、たしかにスタミナが必要だが、体力や攻撃性はあまりいらない。戦争は酒場の喧嘩とは違う。戦争は、並外れた程度までの組織化や協力、妥協が必要とされる、複雑な事業だ。


国内の平和を維持し、国外では同盟国を獲得し、他の人々(とくに敵)の考えていることを理解する能力が、たいてい勝利のカギを握っている。したがって、攻撃的な獣のような人は、戦争の指揮を任せるには差悪の選択であることが多い。



妥協の仕方や人心を操る方法、さまざまな視点から物事を眺める方法を知っている協力的な人の方が、はるかに優る。帝国の建設者は、こうした資質を備えているものだ。軍事的には無能なアウグストゥスは、安定した帝政を確立した。


格段に優れた武将だったユリウス・カエサルにもアレクサンドロス大王にも成し遂げられなかったことをやってのけたのだ。彼を賞賛する当時の人々も、現代の歴史家も、この偉業を彼の「クレメンティア(温厚さと寛大さ)」という美徳に帰することが多い。



女性は男性よりも人を操ったり宥めたりするのが得意であると見られがちで、他者の立場から物事を眺める能力が優れているという定評がある。こうした固定観念に少しでも真実が含まれているのなら、女性は、戦場での忌まわしい仕事はテストステロンをみなぎらせている力自慢の単細胞たちに任せて、秀でた政治家や帝国建設者になっていてよかったはずだ。

だが、女性の能力に関するこうした神話が世間に流布しているにもかかわらず、実際に女性が秀でた政治家や帝国建設者になることは稀だった。それが何故かはまったくわからない。


<家父長制の遺伝子>

生物学的な説明の第三の種類は、野獣のような力や暴力は重視せず、何百万年もの進化を通して、男性と女性は異なる生存と繁殖の戦略を発達させたと主張する。子供を産む能力のある女性を孕ませる機会を求めて男性が競い合う状況では、個体が子孫を残す可能性は何よりも、他の男性を凌いだり打ち負かしたりする能力にかかっていた。

時が過ぎるうちに、次の世代に行き着く女性の遺伝子は、従順な養育者のものが増えていった。権力を求めてあまりに多くの時間を戦いに費やす女性は、自分の強力な遺伝子を未来の世代にまったく残せなかった。」



「こうした劇的な変化があるからこそ、私たちは社会的・文化的性別の歴史にとまどうのだ。今日明確に実証されているように、家父長制が生物学的事実ではなく根拠のない神話に基づいているのなら、この制度の普遍性と永続性を、いったいどうやって説明したらいいのだろうか?」