読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「家族」という名の孤独

「男が女に「癒す母」を期待するとき、男は女を恨むようになる。

息子は「自分の気持ちを理解してくれない母」を殴り、夫は「母のように自分をいたわってくれない妻」に復讐する。」

 

 

「しかし男が謝罪し、愛を告白し、女がそれを受け入れることではじまる関係は、そのスタートから男の側に我慢を強いることになり、彼の怒りは蓄積し続けることになる。こうして、次の暴力放出劇の幕があくのである。」

 

 

「この前夫は断酒すると無気力、抑うつといううつ病の症状に落ち込む人だったが、最後の断酒の際はひどい抑うつに落ち込むこともなく、AA(アルコホリックス・アノニマス)に通って断酒し、職場の勤務も順調だった。

 

 

 

 

 

 

c子は妻として二五年、私は主治医として十数年、この男を支え続け、アルコール依存症の治療はハッピー・エンドに終わるかに見えたのだが、この前夫の胸のうちには自分の生活を拘束する「母でない妻」に対する怒りが充満していたようである。(略)

 

 

ある晩、ささいなことから口論となり、不機嫌な顔でいったん階上の自室へこもった前夫は、やがて血相を変えてC子に襲い掛かってきた。この人は柔道高段者である。前夫の腕は背後からC子の首に巻き付き、締め上げられたC子は死を覚悟した。

 

 

このとき助かったのは、すでに成人に達していた彼らの長男が両親の間に割って入ったからである。夫は長男の方に向きを変え、今度は長男の首を締め上げた。長男は一切の抵抗をやめて力を抜いていた。長男も死を覚悟しているのだろうと、C子は思った。繰り返すが、この暴力は前夫が断酒して数年たったときに生じたものである。

 

 

 

この出来事の数日後、C子は私に会って「もう駄目です」と言った。C子の長く苦しい家裁での戦いがはじまったのは、それからのことである。(略)

この間、経済的な締め付けを受けながら、C子は和解を勧告する家裁の声に耳をかたむけず、最後には弁護士からも「勝手になさい」と放り出された。

 

 

 

C子の要求が過大であったとは、私にはどうしても思えない。彼女はただ、「残りの自分の人生を、脅えながら生きたくない」と考え、前夫に「責任をきちんととって、謝罪してほしい」と思っただけだった。しかし、そのつつましい要求を勝ち取る仕事は孤立無援の中で、彼女一人で進めなければならなかった。

 

この間、C子はAKK(AKKという略称は、今は「アディクション問題を考える会」のことだが、一九九二年までは「アルコール問題を考える会」だった)のただ一人の専従職員として雑務をこなすかたわら、他の被虐待女性やアルコホリックの妻たちへの相談に応じる毎日を送った。そのうちにC子は、同じ境遇の多くの女性たちに取り囲まれるようになった。

近頃の彼女たちは、かつて自分たちが切望した暴力被害女性たちのシェルター(避難所)を自力で設置するまでの力を、身に着けるようになっている。」

 

 

「一九七〇年代に入ると、暴力被害女性のためのシェルターと並んで、強姦救急センターの開設がいろいろな都市ではじまり、それと同時に幼女・少女たちの性的被害体験(児童期性的虐待)が正面から取り上げられるようになった。

これらは、同期して生じた一連の動きである。それぞれが勇気を振り絞り、手を汚し、汗をかき、靴の底をすり減らし、時間を湯水のごとく使わなければならない泥臭い活動であった。

 

 

たとえば強姦救急センターの場合、当初は被害女性たちの心理的援助に活動が限られていたのだが、やがて被害者が警察や病院へ行くのに付き添って、診断が正確に作られることを監視し、有罪判決を得やすくしたり、診断や調書作成の段階で生じる二次的性的虐待から保護したりするようになっている。

ここまでやらないと、男の論理の支配する社会の中で同性を保護することが出来ないのである。」