読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

「家族」という名の孤独

「こうしたことこそフェミニズムの最大の貢献なのであって、その基盤は大学での「女性学講座」や、それにからんださまざまな出版物などにあるのではない。その点で、日本のフェミニズム運動はこれからはじまるのであり、フェミニストはこれから生まれるのである。そしてその担い手は、私が「草の根フェミニスト」と呼んでいるような手を汚し、靴の底をすり減らすことを厭わない女性たちである。

 

 

私の周囲にも、そうした女性たちがいる。たとえば、ここで紹介したC子がそれである。C子とその仲間たちは、一九九三年四月、なけなしの力を振り絞ってシェルターの設置に踏み切った。そのような施設は過去の自分たちにとって、なくてはならないものだった。しかしあの頃、そんなものはなかった。(略)

 

 

 

こんな例もある。ある女性は、三歳と二歳の幼児を連れて母子寮に逃げ込んだ。自立のためにはまず職探し、下宿探しということになるが、そのために外出しようとしても、母子寮では子どもだけを預かれないという。同じ寮に住む女性たちが見かねて預かろうとすると、それも駄目だと言われた。母親の不在中に事故でも起こったら困るという理由である。

結局この人は、幼児二人を連れて慣れない東京の街を歩き回らなければならなかった。

彼女が今の職と住まいを得たのは、「お役所」の援助によってではない。同性の危機を自分のことと感じた、複数のボランティアたちからの援助によってである。」

 

 

「そういうわけで、このシェルターを立ち上げた最大の功労者は、かつて妻を殴っていたアル中の男である。その男と私とのささやかなドラマがあって、それがC子たちの願望に形を与えた。」

 

Y染色体によってつくられる内分泌器官によって、男児は胎生期からジヒドロ・テストステロン(外性器の形状を決定する)やテストステロンの影響にさらされ、男性脳(言語野の左脳局在と、女性脳に比較して貧弱な脳梁で特徴づけられる)がつくられる。テストステロンにさらされた個体が順位闘争や縄張り争いで、能動性と攻撃性を発揮することは哺乳類と鳥類(雌※がY染色体を持つ)で明らかにされている。」

 

〇 ※ 本には、このように書かれていますが、Y染色体を持つのは雄なのではないかと思います。

 

「先に男女の間の共依存という言葉を紹介したが、親子の間に見られる共依存的な関係をパラ依存という別の用語で呼ぼうという提案がある。

確かに、選択が可能な配偶関係と相互に相手を選べない親子関係とを、同じ言葉で呼ぶには無理があるだろう。(略)

 

 

 

こうした子どもたちはまるで、親たちのカウンセラーを引き受けているかのようである。」

 

 

 

「ここに挙げたケースの場合、少女と母親との関係は、母親と祖母との関係に酷似しており、その祖母と曾祖母との間にも同じような母・娘関係があったはずである。(略)」

 

「ACはもともと嗜癖者の親を持った子どものことを言っていたのだが、最近では暴力を振るう親のもとで育った大人、アダルト・チルドレン・オブ・アビューシブ・ペアレント(adult children of abusive parent)というような形でも使われるし、お父さんやお母さんの一方が、たとえばうつ病などで苦しんでいる、あるいはお父さんが仕事依存症で家族を顧みないといったように、家族の機能に不全をきたしているような家で育った大人、アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー(adult children of disufunctional family)にも適用される。」

 

 

「AC的な生き方は、緊張の高い家で育つ子どもの一種の適応様式であり、生活技術なのだが、この人々が思春期に入って家から離れるようになると、たちまち人間関係に行きづまるようになる。自分が何のために生きているのかわからなくなって、毎日が空しく、退屈で、しかも緊張で疲れるものになる。

 

 

そうしたときに彼らを救うのは、アルコールであり、ドラッグであり、ギャンブルであり、そして何よりも「自分なしでは生きられないような無力な人物」との出会いである。ACは、こうした依存的な人を世話するときに充実感を感じ、元気になる。」

 

 

「なるほど、飛雄馬はACである。彼の父、一徹は過去の栄光にこだわって鬱屈し、ときどき深酒して荒れる。飛雄馬はそうした父親の心のうちを汲み取り、その期待に応えて父親を喜ばそうと必死になっている。一体、飛雄馬は野球が好きだったのだろうか?(略)」