読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「第二章 不確かな日本の新時代

 

本書ではたびたび二〇一一年三月一一日の大震災に言及し、これが日本にとって未知の状況をもたらす歴史の節目だと述べて来た。そしてそのような状況に直面して、日本の現職の官僚も、そしてもっと幅広い政治エリート全般も、市民の政府への信頼に応えるような手腕や知性を発揮するにはいたっていない。

 

 

福島第一原子力発電所の事故はなおも大勢の日本人たちを苦しめている。その苦しみは深刻である。なぜならこれほど決定的な形で日本の子どもたちや、彼らの未来に影響を及ぼすものはないからだ。

 

 

それなのに電力供給を引き続き原子力に依存しようとした野田政権、そしてそれに反対しての大規模な市民の抗議行動を重く見ようとしない

官僚や政治家、そして有力紙の姿勢は、日本の支配者階級が国民の感情にまったくお構いなしである事実を物語っている。

 

 

 

こうしたことすべてを理由として、私が第一部と第二部で論じて来た日本の政治的な欠陥について理解することがいまなによりも重要なのである。これについてはっきりさせておこう。(略)

 

 

つまり日本の政治エリートたちがこの国の政治システムの欠陥に、もっと効果的に対処できないはずがない、ということだ。日本の国民のなかにはそうした手腕をそなえた人々がいるのだから、この国の全ての人々のために、彼らにそれを発揮するチャンを与えなければならない。(略)

 

日本は自分に敵意を抱く国々に囲まれていて、基本的には孤立していると、政治エリートも一般国民も考えている。そして安全を切望するからこそ政治エリートたちは、日本人の生活レベルを改善するための、もっと望ましい政策を採用できたはずなのに、それを犠牲にして、絶え間ない産業発展という国家目標を追求してきたのだ。(略)

 

 

恐らく読者の中には、もはや日本は、アメリカが守ってくれるという幻想によりかかっている場合ではないと、はっきりわかっている人もいるだろう。このことは数年以内に、もっと大勢の人々にもはっきりと理解できるようになるだろう。だがまだほかにも心配するべき事柄はある。

ここで一歩退いて、それがなにかを考えてみよう。

 

 

 

急激な歴史の流れ

 

歴史は生き物ではない。そこには欲望もなければ、計画もなく、有機物の成長に匹敵するようなものもなければ、そのなかに「いっそう深い意味」が含まれているわけでもない。(略)

 

 

 

歴史はときどきなんの前触れもなく突然、流れを速めることがある。何十年もさざめき流れていたのが、まるでそれまでのゆっくりとした動きにしびれを切らしたかのように、急流に変化したり、滝のようになだれ落ちたりするのだ。そしてそれは渦を巻きながら旋回することもある。(略)

 

 

ソ連が崩壊し、冷戦が過去のものとなった。この重大な展開の影響によって生じた一連の出来事は、我々が生きる世界を変えてしまった。

その原因はアメリカが変貌したことだった。第二次世界大戦後に国連や国際機構を設立する立役者となり、二〇世紀後半には、平和で安定した愛秩序の維持に多大な貢献をしたのがアメリカだった。

 

 

それなのに、いまのアメリカは混乱を引き起こす国になってしまった。この国はまったく必要のない戦争をし、他国を占領し、しかもごく一握りの政治エリートたちが有利と見れば、どこにでも扮装を仕掛けるようになった。(略)

 

 

本書で繰り返し説いたように、真の意味での政治的な中枢が日本に欠如えいる状態が、日本が異常なまでにアメリカに依存するというこの両国関係にきわめて大きな影響を及ぼしていることが、私にも次第にわかって来たのだ。つまり政治の中枢が欠如しているから、日本はアメリカにンし続けている、ということなのだ。(略)

 

 

 

言い換えるならば、アメリカに頼らず、普通なら国家が考えるべき事柄、たとえば軍事安全保障や、日本社会への負担を覚悟のうえで世界への貢献を目指す外交を、みずから考えなければならなくなったはずだ、ということだ。

 

 

だがそうならなかったため、日本はごく身近な近隣諸国と政治的にも外交的にも折り合う必要がなかった。だからこそ官僚が日本をほぼ自動操縦にまかせて動かしているだけでも、十分であるかに見えたのである。(略)

 

 

 

日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに反対した国があったのは、日本が加わってもアメリカの支持票が増すだけだと考えたからだろう。(略)

 

 

自民党のトップにある者たちも、外務省の官僚たちも、日本が国際社会のなかで政治的にも重要な大国になることが急務であるとは考えていなかった。世界という舞台で大した政治的な役割を与えられていないことは、実際にはとても居心地がよかった。(略)」

 

〇 「真の意味の政治的な中枢が欠如しているために異常なまでに

アメリカに依存するようになっている」という指摘は、その通りだと

感じます。そして、何故「中枢が欠如しているのか」について、

以前読んだ「中空構造日本の深層」の文章を再度読み直してみたいと

思います。

 

 

「中心が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行なうためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうのである。


空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである。」

 

「たとえば、上山春平氏は「思想の日本的特質」という興味深い論文において、日本の思想史を一貫している特色として、「ラジカルな哲学否定」があると述べている。

そして、その「哲学否定」とは「思想における徹底した受動性もしくは消極性に他ならなかった。体系的な理論の形で積極的に主張(テーゼ)を押し立てて行くことをしない態度」