読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス (上) (第2章 人新世)

「五〇〇年の孤独

 

近代の科学と産業の台頭が、人間と動物の関係に次の革命をもたらした。農業革命の間に、人間は動植物を黙らせ、アニミズムの壮大なオペラを人間と神の対話劇に変えた。そして科学革命の間に、人類は神々まで黙らせた。この世界は今や、ワンマン・ショーになった。人類はがらんとした舞台に独りで立ち、独白し、誰とも交渉せず、何の義務も負わされることなしに途方もない力を手に入れた。物理と化学と生物学の無言の法則を解読した人間は、今やそれらを好き勝手に操っている。

 

 

 

太古の狩猟採集民がサバンナに出ていくときには、野生の牛の助けを求め、牛は狩猟者に何かを要求した。古代の農耕民が自分の牛に乳を多く出してもらいたい時には、天の偉大な神に助けを求め、神は条件を提示した。だが、ネスレ社のっ研究開発部門の白衣をまとった職員が乳製品の生産量を増やしたいときには、遺伝子を研究する —— が、遺伝子が何か見返りを求めることはない。(略)

 

 

ニュートン自身は信仰の篤いキリスト教徒で、物理の法則の研究よりも聖書の研究にはるかに多くの時間を捧げていたとはいえ、彼が開始に貢献した科学革命は、神を脇へ押しのけた。ニュートンの後継者たちが登場して自らの「創世記」を書いた時には、もう神もヘビもお呼びではなかった。(略)

 

 

 

農業革命が有神論の宗教を生み出したのに対して、科学革命は人間至上主義の宗教を誕生させ、その中で人間は神に取って代わった。有神論者が神を崇拝するのに対して、人間至上主義者は人間を崇拝する。自由主義共産主義やナチズムといった人間至上主義の宗教を創始するにあたっての基本的な考えは、ホモ・サピエンスには、世界におけるあらゆる意味と権威の源泉である無類で神聖な本質が備わっているというものだ。(略)

 

 

 

科学のおかげで、現代の企業は牛やブタやニワトリを、伝統的な農耕社会で一般的だった状態よりもなおさら厳しい状態に置くことが可能になった。(略)

もし野心的な農民が狭苦しい小屋に何千頭もの動物を押し込めようとしたら、おそらく致命的な感染症が起こり、すべての動物ばかりか多くの村人も命を落としていただろう。(略)

 

 

今や何万というブタや牛やニワトリを幾列も整然と並んだ窮屈なケージに詰め込み、肉や牛乳や卵を前例のないgほど効率的に生産することができる。

そのような慣行は、近年、人間と動物の関係を人々が見直し始めたため、しだいに批判にさらされるようになってきた。

 

 

 

私たちは突然、いわゆる「下等な生き物」の運命に、今までにない関心を見せている。それはひょっとすると、私たち自身が「下等な生き物」の仲間入りをしそうだからかもしれない。(略)

 

 

 

人間には高い知能と大きな力に加えて、何らかの不思議な輝き(スパーク)があり、そのおかげで、ブタやニワトリ、チンパンジー、コンピュータープログラムのどれとも一線を画しているのか?もしそうなら、その輝きはどこに由来するのか?そして、AIがそれを絶対に獲得しえないと私たちが確信しているのはなぜか?

 

 

 

もしそのような輝きがないとすれば、コンピューターが知能と力で人間を越えた 後にさえ、人間の命に特別な価値を持たせ続ける理由があるだろうか?(略)

 

 

次の章では、私たちと動物との関係をさらに深く理解するためだけではなく、未来には何が私たちを待ち受けており、人間と超人との関係がどのようになりそうかを正しく認識するためにも、ホモ・サピエンスの性質と力を詳しく考察する。」