コモンの再生
〇 内田樹著 「コモンの再生」を読みました。
難しくてわからない部分も多く、私は知らないことがあまりにも
たくさんある、と思い知りながら読みました。
借りて読んだ読んだ本なので、印象に残った所をメモしておきたいと思います。
感想は〇で、引用は「 」で記します。
「(略)イギリスの福祉制度は戦後すぐから今日まで「ばらまき」と「引き締め」を無原則に繰り返してきました。そこに政策的な一貫性を見ることはできません。でも、一つだけ確かなことがある。それは、この政策的ダッチロールの過程で、生活保護なしでは暮らしていけない最貧困層が差別と排除の対象となり、社会の底辺に吹き溜まり、閉ざされた集団と化したことです。
祖父母の代から3代続いて生活保護受給者というような人たちの場合、彼らの周囲には就労経験のある人がもういません。「働いてお金を稼ぐ」ということの意味がよくわからない。だから、勤労者の常識を知らない。朝決まった時間に起きるとか、見苦しくない服装をするとか、人に会ったら挨拶するとか、そういう基本的なことさえ学習するチャンスがない。
服装はジャージー、頭はスキンヘッド、全身にタトゥー、朝から酒を飲み、ドラッグをやり、就学せず、10代で子を産んでシングルマザーになる……そういう生活をしている人たちがある地域に集住している。そのような環境で育った子どもにはもう社会的上昇の機会はほとんどありません。
でも、徒食と怠惰を許さないとして、生活保護を打ち切っても(実際に保守党のキャメロン首相の時代に社会保障費は大幅に削減されました)、彼らの就労意欲を活気づけることはできませんでした(就労したくても、その技能がないのですから)。
そして、まっさきに社会福祉予算縮減の犠牲になったのは子どもたちでした。親たちに生活力のない家庭の子どもたちの給食や託児所での公的なケアが打ち切られたのです。子どもたちは社会的訓練の機会を奪われるどころか、餓死のリスクにさえさらされることになりました。
これがイギリスの戦後の福祉をめぐる現状です。社会福祉制度の効果というのは、その恩恵をこうむった世代のさらに子ども世代を見ないと、その成否がわかりません。
戦後の高福祉制度はビートルズやストーンズやロンドン・ファッションを作り出した。サッチャリズムは「アンダークラス」を作り出した。でも、高福祉制度は財政破綻をもたらして国民の支持を失い、サッチャーの自己責任論は国民的に圧倒的に支持された。
英国の有権者たちは自分たちに利益をもたらす政策を嫌い、自分たちをリスクにさらす政策を選好した。「貧困は自己責任だ」と言い放つということにはそれなりの爽快感があるということなのでしょう。そういう人は日本にもたくさんいます。
自分自身がいつ貧困の境遇に陥るかわからないにもかかわらず、「貧困は自己責任だ。公費による扶養を許すな」と主張している人がたくさんいる。今の政権与党の支持者たちの多くはそうです。これまでその理由が僕にはよくわかりませんでしたが、「チャヴ」を読んで、「公費で扶養される人間」に対する嫌悪と憎悪というのは、国境を越えて根深いものだということを知りました。(略)
ベーシック・インカムが制度として成功するかどうかを決めるのは制度そのものの合理性ではありません。その制度を導入する社会そのものがどれほど開放的か、どれほど流動的か、どれほど他者に対して寛容か、どれほど温かいか、それにかかっていると思います。」
「(略)
権力者がその権力を誇示する最も効果的な方法は「無意味な作業をさせること」です。合理的な根拠に基づいて、合理的な判断を下し、合理的なタスクを課す機関に対しては誰も畏怖の念も持たないし、おもねることもしません。
でも、何の合理的根拠もなしに、理不尽な命令を強制し、服従しないと処罰する機関に対して、人々は恐怖を感じるし、つい顔色を窺ってしまう。
今の日本の権力者たちは他の点では多くの問題を抱えておりますけれど、「マウンティング」技法にには熟達しています。
今回わかったことは、検定制度とは、無意味なクレームをつけて無意味な修正をさせることによって教科書の作成者たちに無力感を与え、権力に反抗することは不可能だということを教え込むための制度だということです。」
「抑止力は現に働いている
ただし、9条2項と自衛隊の「つじつま合わせ」という複雑なシステムを操作するためには高度な政治技術が必要でした。ですから、そのような複雑な操作ができる「大人の政治家」が日本では久しく国政を担当してきたということです。
今の改憲論者が主張しているのは、平たく言えば、「大人の政治家がいなくなったので、そういう複雑な操作はもうできなくなりました」ということです。三権分立も両院制も「そういう複雑なことはわからないから、話を簡単にしてくれ」と訴えるような人たちですから、改憲論がでてくるのも当然です。
でも、自分には複雑な政治技術を運用できないから、システムそのものを「自分のレベル」に合わせてほしいというのは、いくらなんでも虫が良すぎるのではないかと僕は思います。
もちろんシステムが簡単であるというのは一般的には「よいこと」です。でも、「複雑だが今のところうまく機能しているシステム」をあえて廃絶して、「単純な室てむ」に切り替えるという場合、今のシステムで確保できているアドバンテージについては引き続き確保できる保証が必要です。でも、残念ながら「それは保証します」と言ってくれる人は改憲論者にはいません。(略)」
〇 自衛隊をどう考えるかについては、私も若かったころには、「違憲」だと
思っていました。ただ年を重ねるにつれ、国防のための軍隊を持たずに主権を主張できるのか等、疑問も生じ、だんだんわからなくなっていきました。
又、天皇制についても、天皇の名のもとに戦争を起こした国が、敗戦後もなおそのシステムを続けているということに、モヤモヤしたものを感じていました。
でも、結果として、なんとか今までは平和にやってこられたわけで、そこには、様々な幸運もあったのでしょうけれど、「大人のやりくり」が働いていたのは確かなのだろうと、思います。
戦争をしない。国民を護る。
裏に原発村や統一教会の存在があったにせよ、少なくとも、その基本を守ろうとした政治家は、居たのだろうと思います。
「9条を空洞化するメリットとは?
それどころか、安全保障関連法案を強行採決した後、2016年度のスクランブル回数は1168回、堂々の戦後最多を記録しました。スクランブル回数の多さが「抑止力が効いていない証拠」であるという安倍首相の説明を信じるなら、この法整備によって日本の抑止力は大きく減殺されたことになります。でも、これについて納得のゆく説明を僕は政府からもメディアからも、聞いた覚えがありません。
実践的な問題は安全保障です。抑止力を高めることは国防の必須です。でも、抑止力というものの働きについても、それはどうやって計測するものかも「よくわかっていない」という政治家が、次は抑止力を高めるために改憲すると言っても、僕は簡単に同意することができません。
僕が首相にお聞きしたいのは、9条を空洞化するとどういう安全保障上のメリットがあると考えているのか、その「メリット」は何をもって考量できると思っているのか、それだけです。(略)
中国が日本に侵略してくると本気で思っているのなら、それに対応する政策を考えればいい。平時にできる最も効果的な抑止は「日本と軍事的に対立するより、友好的な関係を保ち続ける方が中国にとってメリットがある」という状況を創り出すことです。
現に中国と緊密な経済的交流があり、文化交流があり、観光客の行き来がある。ならば、「日本といい関係を保持したい」という中国人の数を一人でも多くしてゆくことこそ「最大の抑止力」ではないでしょうか。
北朝鮮のミサイルが飛来すると本気で思っているのなら、まず日本海岸の原発を直ちに停止するのが安全保障上の最優先課題でしょう。でも、そんな様子はない。どうやら国防より「目先の銭金」の方が優先しているように見える。国民の命について真剣に考える習慣のない人たちに安全保障については語ってほしくない。僕が言いたいのは、それだけです。」
〇 いちいち全く同感!!と思いながら読みました。
戦争については、「戦争は始まると止められない。だから始めてはいけない。」という話をよく聞きました。今、ウクライナやイスラエルの戦争を見ながら、本当に心からそう思います。
9条は単なる理想や夢の話ではなく、まさに苦しみの中で死んでいった多くの人々の命が言葉になっているのだと、最近はそう思います。