読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

いまだ人間を幸福にしない日本というシステム

「第二部 日本に運命づけられた使命

 

第一章 日本の奇妙な現状

 

我々が生きるべき社会状況は、偶然の産物ではない。それは「自然の摂理」がもたらしたものでもない。地震や台風とはわけが違う。私がことさらにこのことを強調するのは、日本には、中国やアメリカに対する戦争など、過去の悲惨な出来事が、人間の手には負えない不可抗力が働いた結果であるかのように見なしている人々が大勢いると感じるからである。人々が集団でなした行為の責任は生身の人間にある。

 

 

 

政治化された日本社会を維持してきたのもまた人間であった。彼らには使命がある。それは工業生産を通じて力をたくわえることであった。一九四五年以降、これは非公式ながら、日本の国民にとってはきわめて重要な使命であった。

 

 

我々はここでこの使命と、それをになってきた彼らについて詳しく検証する必要がある。というのも私には、この使命を遂行し続けたのでは、日本は絶望的な結末を迎えることにあるという気がするからだ。(略)

 

 

 

官僚と民主主義の絶えざる緊張関係

 

日本を動かす人々について語るには、まず官僚からはじめる必要がある。なぜなら彼らが一番重要な存在であるからだ。(略)

日本の官僚制度は政治現象としてもっとも興味深く、また重要なもののひとつではあっても、本書でいま論じているこの問題についてじっくり考えた人はほとんどいないのではないか。(略)

 

 

つまり官僚が多大な権力を握り社会を支配するようになっては困るからこそ、読者は官僚に強く関心を持つべきなのである。(略)

 

 

官僚制度というのは、相手が国民であれ、経済であれ、公共事業であれ、それらを政治支配するための道具なのである。すべての官僚制度にはこの基本的なコントロール機能が備わっていること、そして政治システムが複雑になれば必ず官僚が必要となる事実を考えれば、おのずと市民にとっての根本的な問題がなにかが明らかになる。

 

 

つまり市民には政治システムを選ぶことができない、ということだ。全体主義体制や独裁体制を市民が望むはずはない。もちろん民主主義以外のものを好む人は大勢いるだろう。しかし市民となった読者なら、究極的には、国民が主権を持つような、民主主義と称される体制を望むはずだ。(略)

 

 

 

政治について論じる作家の中には、民主主義と官僚は実質的に相対立する関係にあると述べた者もいる。両者の間には決して解消できない緊張状態がある。(略)

 

 

では官僚の手腕や能力を維持しながら、政治を支配させないにはどうするのが適切なのだろうか?それこそが恐らく現代の民主主義社会が検討すべきもっとも重要な課題だろう。

 

 

民主主義に逆らう日本の官僚

 

日本の官僚制度には、単に興味を引かれるというにとどまらず、驚嘆すべきものが備わっている。これをつくり上げた明治政府という寡頭政治のリーダーたちは、はっきりした政治意図を持った強力な人々であった。彼らは「天皇のしもべ」なる機構を生み出し、それを支配した。これは疑いのない事実であった。

 

 

しかし薩摩藩長州藩出身の重鎮たちは、民主主義者ではなかったので、独裁支配者にありがちな過ちをおかした。彼らが表舞台から消えた後に、その地位がとどこおりなく引き継がれるようなメカニズムを構築しなたったのだ。(略)

 

 

日本の官僚制度に関して私がもっても興味をそそられ、また一番恐ろしいと思うのは、それをだれも支配していないということだ。これは日本の市民たちからすれば、正しく認識しづらい事実である。(略)

 

 

一〇〇年前に、日本の官僚制度が異なる発展を遂げることは可能だっただろうか。そして当時、芽生えはじめた民主主義との間に、いまとは違った関係を育むことは可能だっただろうか?可能だったと私は思う。(略)

 

 

明治の元老たちの中には、官僚の権力を規制しなければ危険なことに気づいていたものがいた。しかし大衆の力を恐れていた彼らは、それに対処しようとはしなかった。インテリも当時の新聞の紙面編集者たちも、明治の元老たちが死んだ後には官僚しか残らないこと、そして彼らが国家を運営すべきではないことを、十分に理解していなかった。

 

 

多分、明治のオリガーキーの基盤が不安定だったこともわざわいして、日本はより賢明な方向をめざすことが出来なかったのだろう。」