読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

論語の読み方 ― いま活かすべきこの人間知の宝庫 ―

〇 パソコンの調子が悪く、記事を書くのが億劫になっていたのですが、

やはり少しずつでも頭を使った方が脳の退化を遅らせることが出来そうなので、

頑張りたいと思います。

 

「「政(まつりごと)を為すは人に在り」―—社会と個人の関係

 

ここに示された孔子の「秩序」の考え方は、天の秩序と人間の内心の秩序と社会の秩序は、基本的には一致するし、一致させねばならない、ということであろう。そして孔子は、この秩序に絶対的な信を置いた。

 

「子曰く、予(われ)言うこと無からんと欲す。子貢曰く、子もし言わずんば、即ち小子何をか述べんと。子曰く、天何をか言わんや、四時行われ、百物生ず、天何をか言わんと」(陽貨第十七453)

 

 

この孔子の言葉は、堯や舜を前提とすると「もう言うまい、言うことがなくなってほしい」であろう。子貢が驚いて、先生が言わないなら、自分たちは何を取り次いだらよいでしょうかと言うと、孔子は言った。

 

「天は何も言わない、それでいて春夏秋冬は滞りなく運行し、万物は生育している。天は何も言わないではないか」と。

したがって、堯のように、天の秩序に則した秩序を地上に打ち立てた君主が偉大なのであり、その秩序は、北極星の方にすべての星が帰服しつつ、秩序正しく運行しているようであれば理想的であって、これを達成するのが「徳」だというわけである。」

 

〇 「天は何も言わない、それでいて…」

自分が、ここをきちんと理解しているのかどうか、自信はないのですが、でも、私の中にも十代の頃まで、誰に教えられたわけでもないのですが、漠然とそのような感覚が、あったような気がします。

 

意識して何かをする時、そこには不純なものが混じってしまう。

私自身の中に天と一体化するような自然な働きがあって、無心にする行動こそが、

本来の私の心から出た行動だ、というような感覚です。

 

逆に言うと、無心にした行動以外は、みな嘘で固めた偽善的な行動だ、ということになります。

 

これはどうしてそう思うようになったのか、自分でも全くわかりません。

そんなことを教えられたことはありません。

でも、そう思うようになっていたということは、多分育ちの中で、知らず知らずに

そのような価値観が私の頭や心の中に入ったのではないかと思います。

 

それがとても不思議だなぁ、と思いながらここを読みました。