読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

ホモ・デウス (下) (第10章 意識の大海)

「その新しい宗教は、アフガニスタンの洞窟や中東のマドラサ(訳註 イスラムの諸学を学ぶための高等教育機関)からは現れ出てきそうにない。むしろ、さまざまな研究所から出現しそうだ。社会主義が蒸気と電気を通しての救済を約束して世界を席巻したのとちょうど同じように、今後の数十年間に、新しいテクノ宗教がアルゴリズムと遺伝子を通しての救済を約束して世界を征服するかもしれない。(略)

 

 

 

そこではハイテクの権威たちが、神とはおよそ無縁でテクノロジーがすべてである素晴らしき新宗教を私たちのために生み出しつつある。彼らも昔ながらの目的、すなわち幸福や平和や繁栄、さらには永遠の命さえ約束するが、それは天上の存在の助けを借りて死後に実現するのではなく、テクノロジーの助けを借りてこの地上で実現するという。

 

 

こうした新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義とデータ教という、二つの主要なタイプに分けられる。データ教によると、人間はこの世界における自分の任務を完了したので、まったく新しい種類の存在に松明を手渡すべきだという。データ教の夢と悪夢については、次章で論じることにする。

 

 

 

本章ではもっと保守的な宗教であるテクノ人間至上主義をもっぱら取り上げる。この宗教は依然として、人間を森羅万象の頂点と見なし、人間至上主義の伝統的な価値観の多くに固執する。テクノ人間至上主義は、私たちが知っているようなホモ・サピエンスはすでに歴史的役割を終え、将来はもう重要ではなくなるという考え方には同意するが、だからこそ私たちは、はるかに優れた人間モデルであるホモ・デウスを生み出すために、テクノロジーを使うべきだと結論する。

 

 

ホモ・デウスは人間の本質的な特徴の一部を持ち続けるものの、意識を持たない最も高性能のアルゴリズムに対してさえ引けを取らずに済むような、アップグレードされた心身の能力も享受する。知能が意識から分離しつつあり、意識を持たない知能が急速に発達しているので、人間は、後れを取りたくなければ、自分の頭脳を積極的にアップグレードしなくてはならない。

 

 

 

 

七万年前、認知革命が起こってサピエンスの心が一変し、そのおかげで取るに足りないアフリカの霊長類の一つが世界の支配者になった。進歩したサピエンスの心は、広大な共同主観的領域へのアクセスを突如手に入れた。そのおかげで、サピエンスは神々や企業を生み出し、都市や帝国を建設し、書字や貨幣を発明し、ついには原子を分裂させ、月に到着することができた。

 

 

 

私たちの知る限りでは、驚天動地のこの革命は、サピエンスのDNAにおけるいくつかの小さな変化と、サピエンスの脳のほんのわずかな配線変更から生じた。だとしれば、私たちのゲノムにさらにいくつか変化を加え、脳の配線をもう一度変えるだけで、第二の認知革命を引き起こせるかもしれない、とテクノ人間至上主義は言う。

 

 

最初の認知革命による心の刷新で、ホモ・サピエンスは共同主観的な領域へのアクセスを得て、地球の支配者になった。第二の認知革命では、ホモ・デウスは想像もつかないような新領域へのアクセスを獲得し、銀河系の主になるかもしれない。

 

 

この考えは、進化論的な人間至上主義が抱いていた古い夢の、アップグレード版の一変種だ。なぜなら、進化論的な人間至上主義はすでに一世紀前、超人の想像を提唱していたからだ。ところが、ヒトラーやその同類が選抜育種や民族浄化によって超人を創造することをもくろんだのに対して、二一世紀のテクノ人間至上主義は、遺伝子工学ナノテクノロジーやブレイン・コンピューター・インターフェイスの助けを借りて、もっとずっと平和的にその目標を達成することを望んでいる。

 

心のスペクトル

 

テクノ人間至上主義は、人間の心をアップグレードし、未知の経験や馴染みのない意識の状態へのアクセスを私たちに与えようとする。とはいえ、人間の心を改造するとくのは、すこぶる複雑で危険な企てだ。第3章で論じたように、私たちは心というものを本当に理解してはいない。心がどのように現れるのかも、どのような機能を持っているのかもわかっていない。(略)

 

 

 

私たちは、初めて船を発明し、地図も目的地さえもないまま出航する、小さな離れ小島の住人のようなものだ。いや、それよりもいくぶん苦しい立場にある。私たちが想像している小島の住人は少なくとも、自分が、広大で神秘に満ちた海に浮かぶ、ほんのちっぽけな空間を占めているのにすぎないことを自覚している。

 

 

 

一方私たちは、ひょっとしたら際限のない、異質の精神状態の大海に浮かぶ、ちっぽけな意識の島に暮らしていることを正しく認識できずにいる。(略)

 

 

 

心理学者と生物学者は一世紀以上にわたって、自閉症から統合失調症まで、さまざまな精神障害精神疾患を抱えた人を広範に研究してきた。その結果、私たちは今日、標準未満のスペクトル、すなわち、感じたり、考えたり、意思を疎通させたりする能力が通常の水準に達していない状態の範囲の、不完全ながら詳しいうを持っている。

 

 

 

同時に、科学者たちは健康で標準的と考えられている人々の精神状態も研究してきた。とはいえ、人間の心や経験に関する科学研究の大半は、WEIRD(

訳註 「西洋の、高等教育を受けた、工業化された、裕福で、民主的な」という意味の英語の語句「Western,educated,industrialised,rich and democratic」の頭文字を取った造語。ちなみに、小文字で綴った「weird」という単語があり、この単語は、「変な」「奇妙な」「気味の悪い」といった意味を持つ」社会の人々を対象に行われてきており、彼らはけっして人類を代表するサンプルではない。(略)

 

 

 

言い換えれば、この権威ある雑誌に掲載された論文の個人サンプルの三分の二以上が、西洋の大学で心理学を学ぶ学生だったのだ。(略)

たとえ世界中に出かけて行って、あらゆるコミュニティを一つ残らず研究したとしても、依然としてサピエンスの精神状態のスペクトルのごく一部を調べたことにしかならない。今日、全人類が現代の影響を受けており、単一の「地球村」に属している。(略)

 

 

 

しかも、これはサピエンスの心についてのことでしかない。五万年前、私たちはお惑星を近縁のネアンデルタール人と共有していた。彼らはロケットを発射したり、ピラミッドを建設したり、帝国を打ち立てたりはしなかった。彼らはまったく異なる心的能力を持っており、私たちの持つ才能の多くを欠いていたことは明らかだ。

 

 

 

それでも、私たちサピエンスよりも大きな脳を持っていた。それほど多くのニューロンを使って、彼らはいったい何をしていたのか?皆目見当がつかない。だが、サピエンスが一度として経験した事のないような精神状態をいくつも持っていたことだろう。

とはいえ、かつて存在していた全人類を考慮に入れたとしても尚、精神状態のスペクトルを網羅するにはほど遠い。おそらく他の動物たちも、人間にはとても想像できないような経験をしているはずだ。

 

 

 

たとえばコウモリは反響定位によってこの世界を経験する。人間の可聴域をはるかに超えた高周波の声を、超高速で立て続けに発する。それから戻って来る反響音を感知して解釈し、背かに心象を作る。その心象は王に詳細で正確なので、コウモリは木々や建物の間を素早く飛びまわり、蛾や蚊を追って捕まえ、しかもその間ずっと、フクロウなどの捕食者はかわし続けることができる。(略)

 

 

 

チョウを反響定位するのがどんな感じかをサピエンスに説明しようとするのは、目の見えないモグラにカラヴァッジョの作品を目にするのがどういう感じかを説明するのと同じで、おそらく意味がない。(略)

 

 

 

もちろん、コウモリが特別なわけではない。コウモリは考え得る無数の例の一つにすぎない。サピエンスは、コウモリであるとはどのようなことかを理解できないのとちょうど同じように、クジラやトラやペリカンであるとはどんな感じかも理解するのに苦労する。(略)

 

 

 

私たちはこうした例のどれにも驚くべきではない。サピエンスが世界を支配しているのは、私たちが他の動物たちよりも深遠な情動を持っていたり、複雑な音楽的経験をしていたりするからではない。だから、情動と経験の分野の少なくとも一部では、私たちはクジラやコウモリ、トラ、ペリカンに劣っているかも知れないのだ。

 

 

 

人間やコウモリ、クジラ、その他あらゆる動物の精神状態のスペクトルの他には、さらに広大で馴染みのない大陸がいくつも待ち受けているかもしれない。サピエンスもコウモリも恐竜も、四〇億年に及ぶ地球上の進化史の中で一度も経験した事のない、果てしなく多様な精神状態が、おそらく存在するだろう。なぜなら、私たちにはそれに必要な器官がないからだ。

 

 

 

ところが将来は、強力な薬物や遺伝子工学、電離ヘルメット、直接的なブレイン・コンピューター・インターフェイスが、そうした大陸への航路を切り拓いてくれるかもしれない。コロンブスやマゼランが新しい島々や未知の大陸を探検するために水平線の彼方へと航海していったのとちょうど同じように、私たちもいつの日か、心という惑星の反対側へ向かって大海へ乗り出すかもしれない。」