〇 しばらく「楽しい本」だけを読んでいました。
また少しずつ頭の体操をして行きたいと思います。
山本七平は、敗戦の理由として、様々な問題を取り上げていました。
これまでメモした中にも、もう一度読み直して見るべき箇所がたくさんあるのですが、とりあえず、一か所だけ、ここに載せてみます。
「日本はなぜ敗れるのか」の中の一部です。
「従ってその実体は最後には、だれにも把握できなくなってしまう。(略)そして激烈な”軍国主義”が軍事力とされてしまうから本当の軍事力はなく、”精兵主義”が精兵とされるがゆえに精兵がいない、という状態を招来し、首脳部は自らの実情すら把握できなくなってしまうのである。」
多くの人命を預かっているはずの陸軍の参謀たちがどれほど愚かで、「反知性的」であったかが語られています。
でも、私たちはドキュメンタリー番組などで、驚くほど知性的で勇敢な戦い方をした日本人がいたことも、知っています。
問題は、何故私たちの国では、知性的で良心的で勇敢な人々が権力を持ったリーダーにならないのか、ということなのだと思います。
今もまさにそうです。知性的で良心的な人々が居ないわけではない。
なのに、私たちの国の政治家は、カルト教団に依存し、国会で平然と見え透いた恥ずかしい嘘を付き、居眠りをする。人として最も軽蔑する人々が、その政権与党にいて、それを誰にもどうにも出来ないのです。
私はそれが何故なのかを知りたくて、山本七平の本を読んでいたような気がします。
まえがきから少しメモします。
「まえがき
教育問題は、さまざまな形で戦後一貫して論じ続けられてきた。その議論のあとをたどっていくと、常に一つの問題が出てくる。それが「徳育」である。教育の専門家に「教育とは何か」と質問すると、判で押したように「教育とは知育・徳育・体育」で、いわば知・徳・体の健全な発育を目指すものである」という返事が返って来る。(略)
多くの社会人が、教育の場から巣立った新社会人をみると、「何かが欠けている」と次第に強く感ずるようになったからであろう。(略)」
「戦後は民主主義の時代であり、その原則の一つが「思想・信条・表現・出版の自由」であることは言うまでもない。この言葉は、政府は各人の持つ思想や信条に一切干渉してはならないということであり、政府が、戦前の「教育勅語」のように、一定の道徳ないしは徳目を国民に強制することがないということ、言い換えれば、政府が法律をもって拘束するのは、その人間の外に現れた行為だけであって、内面には一切干渉しないということである。(略)
この点では法は無力であり、それにストップをかけうるのは本人の内的規範だけだが、政府はそれには一切タッチしない。われわれが生きているのは、それを原則とする社会だから、各人には強固で自律的な内的規範が要請される。それがなくなれば社会は完全な無規範(アノミー)となって崩壊してしまう。これが本当の民主主義の危機であり、その点を早くから警告していたのが小林秀雄だった。
氏は福沢諭吉の「私立」について論じた時、民主主義のもとでは外から「私立」が侵されることはないが、内から腐る恐れのあることを指摘している。(略)」