読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

精神の生活 下

「我々が常に我々共通の世界の変革に従事する[政治的共同]活動は、私と私自身との対話の中でなされる思考という一人だけの仕事に対して、考えられるかぎり鋭く対立している。(略)
 
 
しかしこれはけっして我々つまり活動の真の複数性に到達しない。(真理の保証としてのコミュニケーションの重要性を主張した近代の哲学者_主にカール・ヤスパースと、<我と汝>の哲学を述べたマルティン・ブーバー_の間でまさにしばしばなされている誤りは、対話の親密性、すなわち私が自分自身や「他の自己」_アリストテレスの「友人」・ヤスパースの「恋人」・ブーバーの「汝」_に対して「訴える」という「内的活動」の親密性は、拡張されて政治的領域での模範となりうる、と思っていることである。)」
 
 
 
「そしてその中では服従というのはもっとも普通におこなわれているやり方にすぎない。それはちょうど不服従が不同意のもっとも普通で害のもっとも少ないやり方であるのと同様である。」
 
 
「個別の自己は顔をもたない「世人」という人間の複数性から離間して孤独な存在となる。」
 
 
 
「人間社会が疑う余地ないほど膨大に多様なのはなぜかについての「創世の物語」[「初めに」]ほど暗黒と神秘に包まれて見えるものはないのである。」
 
 
 
「我々が日常世界で費やすのは現実のほんのわずかであるが、そこでは、我々が確信できるのは、地球上の空間距離が縮まるのと同じように、我々の背後の時間が決定的に縮まることだけだ。
 
ゲーテの「三千年」(”三千年について/釈明することのできない人は/
経験なきまま闇の中に留まり/毎日毎日をいきるがよい”)を思い起こしてみると、我々がたかだか数十年前、古代と呼んでいたものは、我々の祖先にとってよりも今日の我々にとってずっと身近である。」
 
 
「そして我々がこういう状況の中でせいぜいできる事は、これまでの世代が神秘的な「初めに」[創世の物語]をなんとか把握するために伝統的に理解の手がかりとしてきた伝説にたちもどることである。
 
 
私は創設の伝説のことを指している。それは明らかに、あやゆる統治支配の形式やそれを動かす一定の原理よりもその先にある時間にかかわることである。
 
 
しかし、それが取り扱う時間は、人間の時間であり、それらがさかのぼった端緒は、神の創造ではなくて、人間が作り上げた一連の出来事なのである。そのことについては、昔の物語を想像力を働かせて解釈することによって記憶に達することができる。」
 
 
〇これはたしかに納得できる話だと思う。私たちの今は、膨大な過去の時間の上に成り立っている。「ご先祖さま」たちの苦労がこの国を作り上げ、今の私たちがいる。
 
 
ただ、あの「日本会議」によって、天皇陛下万歳!と戦前の美意識を押し付けられることには、強烈な拒否感を持つ。