読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

武士道

「第九章  忠義

 

封建道徳中他の諸徳は他の倫理体系もしくは他の階級の人々と共通するが、この徳―目上の者に対する服従および忠誠―は截然としてその特色をなしている。人格的忠誠はあらゆる種類および境遇の人々の間に存在する道徳的結びつきであることを、私は知っている、掏摸(すり)の一団もフェイギンに対して忠誠を負う。しかしながら忠誠が至高の重要性を得たのは、武士的名誉の掟においてのみである。

 

 

 

ヘーゲルは封建的臣下の忠誠を批評して、それは個人に対する義務にして国家に対する義務でないから、全然不当なる原理の上に立てられたる覊絆であるとなしたが、それにもかかわらず彼の偉大なる同国人ビスマルクは、人格的忠誠をもってドイツ人の徳であると誇った。

 

 

ビスマルクがこれを誇りしには善き理由があった。しかしそれは彼の誇りし忠誠(トロイエ)が彼の祖国の、もしくはいずれか一国民または一民族の専有物であるからではなく、騎士道のこの美果は後見制度の最も長く続いた国民の間に最も遅くまで留まるが故である。

 

 

 

「各人が皆他の者と同等であり」、これにアイルランド人の付加して言う如く「かつ他の者より勝る」と思っているアメリカにおいては、我が国民が君主に対して感ずるごとき高き忠義の観念は「或る限界内においては優れたもの」であるけれども、我が国民の間に奨励せられるごとく甚だしきは不合理であると、考えられるかも知れない。

 

 

 

久しき前モンテスキューは、ピレネー山脈のこちら側にて正しきことはあちら側において誤謬であると嘆じた。しかして最近のドレフェス事件は彼の言の真理であり、しかもフランスの正義が賛成を見出し得ざる国境は、ひとりピレネー山脈のみでなきことを証明した。

 

 

 

同様に、我が国民の抱くごとき忠義は他の国では多くの讃美者を見出さないかも知れない。しかしそれは我々の観念が誤謬なるが故ではなく、おそらく彼らがそれを忘れたからであり、また我々が他のいかなる国にても達せられざりし程度の高さにまでそれを発達せしめたからである。

 

 

 

中国では儒教が親に対する服従をもって人間第一の義務となしたに対し、日本では忠が第一位に置かれると、グリッフィスの述べたのはまったく正しい。私は我が善良なる読者の人々に嫌悪を与える危険を顧みず、シェイクスピアの言える如く「零落の主君に仕えて艱苦を共にし」、これによって「物語に名を残せる」人について述べよう。

 

 

その物語は我が歴史上最大人物の一人たる菅原道真に関するものである。彼は嫉妬讒誣の擬制となって都から追われたが、無慈悲なる彼の敵はこれを持って満足せず、彼の一族を絶やそうと計り、その子いまだ幼かりし者の所在を厳しく詮議して、道真の旧臣源蔵なる者が密かにこれを寺子屋に匿いいる事実を探り出した。

 

 

 

日を定めて幼き犯人の首引渡せとの命令が源蔵に渡されし時、彼のまず思いついた考えは適当なる身代わりを見出すことであった。(略)

幼き君と幼き臣との酷似を、母も知り少年自身も知っていた。我が家の奥にて二人は祭壇に身を捧げたのであった、少年は彼の生命を―母は彼女の心(ハート)を。しかし外には色にも出さなかった。かくとも思いよらず、源蔵は心ひそかにこれと定めた。

 

 

ここに犠牲の山羊が獲られた!贋首をもて彼を欺きうるであろうか。哀れなる源蔵は刀の柄に手をかけ、もし計略が見破られたならば、検視の役人にか己自身にか、一撃を加えんものと固唾を呑んだ。松王丸は彼の前に置かれし浅ましの首を引き寄せ、静かに矯めつ眇めつした後、落ち付いた事務的な調子で、まがい無しと言い放った。

 

― その夜淋しき家にて、寺子屋に来た母が待っている。彼女はおのれの児の運命を知るや。彼女は戸口の開くのを熱心に見守っているが、それは児の帰りを待つのではない。彼女の舅は久しき間道真の恩顧を蒙ったが、道真遠流の後、夫は事情余儀なく一家の恩人の敵に随身した。彼自身は、残忍とはいえ自己の主人に不忠たるをえなかった。

 

 

 

しかし彼の子は祖父の主君の御役に立つをえたのである。道真の家族を知る者として、若君の首実検の役目を命ぜられたのは彼であった。今その日の ― しかり一生の ― つらき役目を仕遂せて、彼は家に帰り、敷居を跨ぐや否や妻に呼びかけて

言った、「女房喜べ、倅は御役に立ったわ、やい!」。

 

 

 

「何という無残な物語!」と、読者の叫ぶのが聞こえる。「両親が相談の上で、他人の生命を救わんがために罪もなきわが児を犠牲にする!」と。しかしこの児は自ら知りかつ甘んじて犠牲となったのである。これは代贖の死の物語である ― アブラハムがイサクを献げようと思った物語と同様に著しき話であり、またそれ以上に嫌悪すべきものでもない。(略)

 

 

 

西洋の個人主義は父と子、夫と妻に対して別々の利害を認むるが故に、人が他に対して負う義務を必然的に著しく減ずる。しかるに武士道においては、家族とその成員の利害は一体である。— 一にして分かつべからざるものとなす。この利害を武士道は愛情と結びつけた ― 自然に、本能的に、不可抗的に。それ故に、もし我々が自然愛(動物でさえもつところの)によりて愛する者のために死ぬとも、それが何であるか。「汝ら己を愛する者を愛すとも、何の報いをか得べき。取税人もしかするにあらずや」。

 

 

 

頼山陽は彼の偉大なる「日本外史」において、父の反逆行為に関する平重盛胸中の苦闘をば、側即たる言葉をもって述べている。「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」。哀れむべし重盛!彼れ後、魂を傾けて死を天に祈り、純潔と正義の住み難きこの世より解放せられんことを願いしを見るのである。

 

 

多くの重盛が義務と人情との衝突によりて心を裂かれた。じつに、シェイクスピアにも、「旧約聖書」にすらも、我が国民の親に対する尊敬を洗わず概念たる「孝」に当たる適切なる訳語は含まれていない。しかるにもかかわらず右のごとき衝突の場合において、武士道は忠を選ぶに決して逡巡しなかった。婦人もまたその子を励まして、君のためにすべてを犠牲にせしめた。(略)

 

 

 

「クリトン」の読者は、ソクラテスが彼の逃走の問題について、国法が彼と論争するものとして述べている議論を記憶するであろう。その中で彼は国法もしくは国家をしてかく言わしめている、「汝は我が下に生まれ、養われ、かつ教育されたのであるのに、汝も汝の祖先も我々の子および召使でないということを汝はあえて言うか」と。

 

 

 

これらの言葉は我が国民に対し何ら異常の感を与えない。何となれば同じことが久しき前から武士道の唇に上っていたのであって、ただ国法と国家は我が国にありては人格者によりて表現されていたという差異があるに過ぎない。忠はこの政治理論より生まれたる倫理である。(略)」

 

 

〇「大九章 忠義」はあと少し続くのですが、ここで一旦感想を挟み、

また次回、続きをメモします。

 

ここで、新渡戸はアブラハムソクラテスに準えて、そのためには、我が子をも殺す私たちの国の忠義について、説明しています。

多分この論理が、あの「特攻隊」の時にも持ち出され、正当化されたのだろうなぁと思いました。

 

でも、私は現代の人間なので、どうしても素直に頷けない部分があります。

それは、アブラハムは神との約束で息子を捧げたのです。

神とは、自分の存在の根幹に関わる重要な存在です。

その神の為になら、自分の全てを捧げられるという物語です。

 

そして、ソクラテスの「法」もまた、国の根幹に関わるものです。

自分たちの基礎を何があっても守る、例え命をかけても…

そう考える生き物が人間なのだろうなぁとも思います。

 

それで、多分私たちの国では、「殿様」をその命を賭けても守る対象にした。

何かを祭り上げずにはいられないのが、人間だとすれば、神=愛を人間にとっての一番大切なものとして祭りあげ、守り続けるという行為は、ある意味とても、

合理的な態度ではないかと思います。

 

でも、殿様はただのヒトです。私には、命をかけても守りたい何か…がなければ、虚しくて生きていられない生き物である人間が、とりあえず、しょうがないので、殿様=人をその対象にしているように見えてしょうがありません。

 

神などという「幻」を信じるよりも、リアルな「人間」を信じる方が現実的だ…と思いながら、実際には、その人間に、単なるサルが進化しただけの人間に、「すばらしい」「この上なく尊い」イメージを被せることの方が、

ずっと「夢想的」に見えます。

 

 

 

もっと早くにそのことに気づいて、命をかけるべきは、もっと違うことに…となぜならなかったのだろう、と思います。

 

メモを続けます。

 

「政治的服従 ― 忠 ― をもってただ過渡的職能を賦与せられたるに過ぎずとなすスペンサー氏の説を、私は全然知らぬわけではない。そうかも知れない。その日の徳はその日に足る。吾人は安んじてこれを繰り返そう。ことに吾人はその日というのが長き期間で会って、我が国歌にいわゆる「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」なることを信ずるにおいてをや。

 

 

 

この関連において、イギリス人のごとき民主的国民の間におてすら、ブートミー氏が近頃言えるごとく、「一人の人ならびにその後裔に対する人格的忠誠の感情は、彼らの祖先たるゲルマン人がその首領に対して抱きたることろであり、これが多かれ少なかれ伝わって彼らの君主の血統に対する深厚なる忠誠となり、それは王室に対する彼らの異常な愛着の中に現れている」ことを、吾人は想起するであろう。

 

 

スペンサー氏は予言して曰く、政治的服従は良心の命令に対する忠誠によって代わられるであろう、と。彼の推理が実現せられると仮定しても ― 忠義ならびにそれに伴う尊敬の本能は永久に消滅するであろうか。

 

 

吾人は吾人の服従を一の主より他の主へ、しかもいずれにも不信実たることなくして移す。地上の権を司る統治者の臣民たることから、吾人の心の至聖所に坐したもう王の臣隷となる。

 

 

 

数年前、邪路に陥れるスペンサー学徒によって提起された極めて馬鹿らしき論争が、日本の読書界に恐慌を捲き起こした。彼らは皇室に対する不可分の忠誠を擁護する熱心の余り、キリスト者はその主に忠実を誓う者であるから大逆の傾向あるものとして非難した。彼らはソフィストの機智なくして詭弁的議論を構え、スコラ学徒の洗楝を欠けるスコラ的迂説を陳べた。

 

 

吾人がある意味においては、「これを親しみかれを疎んずることなくして二主に仕え」うること、「カイザルの物はカイザルに、神の物は神に納むる」ことを、彼らは知らなかったのである。

 

 

ソクラテスは彼の鬼神(ドモン)に対する忠誠の、一点の譲歩をも不退転に拒否しつつ、同様の忠実と平静とをもって地上の主たる国家の命令に服従したではないか。

 

 

彼は、生きては彼の良心に従い、死して彼の国家に仕えた。国家がその人民に対し良心の指令権を要求するまでに強大となる日こそ悲しむべきである!

武士道は、我々の良心を主君の奴隷となすべきことを要求しなかった。トマス・モーブレーの次の詩は善く我々を代言する。

 

 

畏るべき君よ、我が身はみもとにささぐ、

我が命は君の命のままなり、わが恥はしからず。

生命をすつるは我が義務なり、されど死すとも

墓に生くる我が芳しき名を、

暗き不名誉の用に供するをえず。

 

 

主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪想のために自己の良心を犠牲にする者に対しては、武士道は低き評価を与えた。かかる者は「佞臣(ねいしん)」すなわち腹黒き阿諛をもって気に入ることを求むる奸徒として、或いは「寵臣」すなわち卑屈なる追従によりて愛を盗む嬖臣として賤しめられた。

 

 

 

これら二種の臣下はイアゴーの語るところと正確に一致している。 ― 一は「我が身を繋ぐ頸の綱を押し戴き、主が厩の驢馬同然、むざむざ一生を仇に過ごす、正直な、はいつくばいの愚者」であり、他は「陽に忠義らしき身振り業体を作り立て、心の底では我が身のためばかりを図る者」である。

 

 

 

臣が君と意見を異にする場合、彼の取るべき忠義の途はリア王に仕えしケントのごとく、あらゆる手段をつくして君の非を正すにあった。容れられざる時は、主君をして欲するがままに我を処置せしめよ。かかる場合において、自己の血を濺いで言の誠実を表わし、これによって主君に仕うべき手段也と考えられ、しかしてその理想は名誉に置かれた。したがって武士の教育ならびに訓練の全体はこれに基づいて行われたのである。」

 

 

〇主君(菅原道真)の血筋を残すために、自分の息子を殺し、身代わりとしたのは、主君の「御役に立っ」という名誉のためになされたものだという説明です。

 

この時代にはみながそのような価値観で生きていたので、そう信じていたというのは、わかります。

問題は、その後、明治になり新しい考え方や価値観に触れて、このような忠義や名誉をどう考えたのか、です。

特に歴史を勉強したわけでもないので、なんとなくの印象でしかないのですが、一方には福沢諭吉やこの新渡戸稲造のように、説得力のある道理の通った言説を述べる人もいた、でも、もう一方には、何を言っても話が噛み合わない、道理のわからない人というのが居て、議論というのが成り立たないという体質が今日まで続いている、ということになっているような気がします。