読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

武士道

〇 途中になっていた新渡戸稲造著「武士道」のメモを続けます。

 

「第十五章  武士道の感化

 

武士道の徳は我が国民生活の一般的水準より遥かに高きものであるが、吾人はその山脈中さらに頭角を抜いて顕著なる数峯だけを考察したにすぎない。太陽の昇る時まず最高峯の頂をば紅に染め、それから漸次にその光を下の谷に投ずるがごとく、まず武士階級を照らしたる倫理体系は時をふるにしたがい大衆の間からも追随者を惹き付けた。

 

 

平民主義はその指導者として天成の王者を興し、貴族主義は王者的精神を民衆の間に注入する。徳は罪悪に劣らず伝染的である。「仲間の間にただ一人の賢者があればよい、しからばすべてが賢くなる。それほど伝染は速やかである」とエマスンは言う。いかなる社会的階級も道徳的感かの伝播力を拒否しえない。(略)

 

 

ヨーロッパの騎士道の最盛期においても、騎士は数的には人口の一小部分を占めたるにすぎない。しかしながらエマスンの言える如く、「英文学においてサー・フィリップ・シドニーよりサー・ウォルター・スコットに至るまで戯曲の半分と小説の全部とはこの人物(ゼントルマン)を描写した」のである。

 

 

もしシドニーおよびスコットの代りに近松および馬琴の名をもってすれば、日本文学史の主なる特色は一言にして尽されている。

民衆娯楽および民衆教育の無数の道 — 芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、小説 — はその主題を武士の物語から取った。農夫は茅屋に炉火を囲んで義経とその忠臣弁慶、もしくは勇ましき曽我兄弟の物語を繰り返して倦まず、色黒き腕白は茫然口を開いて耳を傾け、最後の薪が燃え尽きて余燼が消えても、今聴きし物語によりて心はなお燃え続けた。

 

 

番頭、小僧は一日の仕事を終えて店の雨戸を閉めれば、膝を交えて信長、秀吉の物語に夜を更し、遂に睡魔がその疲れたる眼を襲い、彼らを帳場の辛労より戦場の功名に移すに至る。

 

 

よちよち歩き始めたばかりの幼児でさえ、桃太郎鬼ヶ島征伐の冒険を回らぬ舌で語ることを覚えた。女の児でさえ武士の武勇と徳を慕う心深く、武士の物語を聞くを好むこと、デズデモナのごとくであった。

武士は全民族の善き理想となった。「花は桜木、人は武士」と、俚謡に謳われる。

 

 

武士階級は商業に従事することを禁ぜられたから、直接には商業を助けなかった。しかしながらいかなる人間活動の路も、いかなる思想の道も、ある程度において武士道より刺激を受けざるはなかった。知的ならびに道徳的日本は直接間接に武士道の所産であった。

 

 

 

マロック氏はその勝れて暗示に富む著書「貴族主義と進化」において雄弁に述べて曰く、「社会進化、それが生物進化と異なる限り、偉人の意志よりいでたる無意識的結果なりと定義して可かろう」と。

 

 

また曰く、歴史上の進歩は「社会一般の間における生存競争によるものではなく、むしろ社会の少数者間において大衆をば最善の道において指導し、支配し、使役せんとする競争によって生ずる」と。(略)

 

 

武士道はその最初発生したる社会階級より多様の道を通りて流下し、大衆の間に酵母(ぱんだね)として作用し、全人民に対する道徳的標準を供給した。武士道は最初は選良(エリート)の光栄として始まったが、時をふるにしたがい国民全般の渇仰および霊感となった。

 

 

 

しかして平民は武士の道徳的高さにまでは達しえなかったけれども、「大和魂」は遂に島帝国の民族精神(フォルクスガイスト)を表現するに至った。もし宗教なるものは、マシュー・アーノルドの定義したるごとく「情緒によって感動されたる道徳」に過ぎずとせば、武士道に勝りて宗教の列に加わるべき資格ある倫理体系は稀である。

 

 

本居宣長

 

敷島の大和心を人問はば

  朝日に匂う山桜花

 

と詠じた時、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。

しかり、桜は古来我が国民の愛花であり、我が国民性の表章であった。(略)

我が桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、その色は華麗ならず、その香りは淡くして人を飽かしめない。およそ色彩形態の美は外観に限られる。それは存在の固定せる性質である。

 

 

 

これに反し香気は浮動し、生命の気息(いき)のごとく天にのぼる。この故にすべての宗教上の儀式において、香と没薬は重要なる役割をもつのである。香には霊的なる或る物がある。太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照らし、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息(いき)そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない。(略)

 

 

しからばかく美しくして散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型(タイプ)であるのか。日本の魂はかくも脆く消えやすきものであるのか。」