読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「津田博士が指摘する「自然のなりゆき」

 

ここで津田左右吉博士の言葉に耳を傾けよう。前にも引用した「世界」の論文(264ページ参照)は、昭和二十一年の四月号掲載で、野坂参三が凱旋将軍のように延安から帰国し、五月十二日のデモでは、赤旗が坂下門から皇居に押し入った年である。

 

 

戦時中は、「(天皇を否定した)国史上全く類例なき思想的大逆行為」と告発された博士は、右のような情況の中で、次のように記している。

「ところが、最近に至って、いわゆる天皇制に関する論議が起こったので、それは皇室のこの(上代以来の)永久性に対する疑惑が国民の一部に生じたことを示すもののように見える。

  

これは、軍部、およびそれに付随した官僚が、国民の皇室に対する敬愛の情と憲法上の規定とを利用し、また国史の曲解によってそれを裏付け、そうすることによって、政治は天皇の親政であるべきことを主張し、もしくは現にそうであることを宣伝するのみならず、天皇専制君主としての権威を持たれねばならぬとし、あるいは現に持っていられる如く言いなし、それによって、軍部の恣なしわざを、天皇の命に拠ったもののように見せかけようとしたところに、主なる由来がある。

 

 

アメリカおよびイギリスに対する戦争を起こそうとしてから後は、軍部のこの態度はますます甚だしくなり、戦争およびそれに関するあらゆることは、みな天皇の志から出たものであり、国民がその生命をも財産をも捨てるのは、すべて天皇のおんためである、ということを、言葉を換え、方法を変えて断えまなく宣伝した。

 

 

そうしてこの宣伝には、天皇を神としてそれを神秘化するとともに、そこに国体の本質があるように考える頑冥固陋にして現代人の知性に適合しない思想が伴っていた。

しかるに戦争の結果は、現に国民が遭遇したようなありさまとなったので、軍部の宣伝が宣伝であって事実ではなく、その宣伝はかれらの私意を蔽うためであったことを、明らかに見破ることの出来ない人々の間に、この敗戦も、それに伴うさまざまの恥辱も、国家が窮境に陥ったことも、社会の混乱も、また国民が多くその生命を失ったことも、一般の生活の困苦も、すべてが天皇の故である、という考えが、そこから生まれて来たのである。

 

 

昔からの歴史的事実として、天皇の親政ということがほとんど無かったこと、皇室の永久性の観念の発達が、この事実と深い関係のあったことを考えると、軍部の上にいったような宣伝が、戦争の責任を天皇に嫁することになるのは、自然のなりゆきともいわれよう………」

 

 

いわゆる「天皇の戦争責任」とは、津田博士の言われる「戦争の責任を天皇に嫁すること」であろうが、それは氏の言われるように「自然のなりゆき」といわれよう。

いわばこれもまた、戦争中の発想の裏返しで、戦争中よく用いられた「すべてを天皇に帰一したてまつる」という言葉は、そのまま「すべての戦争責任は天皇に帰一したてまつる」となる。これは確かに「自然のなりゆき」である。

 

 

ただすべてを「自然のなりゆき」のまま認めるのなら、一切の探求は必要であるまい。しかし、この「自然のなりゆき」も、また無視できない。」

 

 

〇 「すべては自然のなりゆき、そんな中で、誰かを責めてもしょうがない、大切なのは、これからどうするか、互いに責め合うのではなく、力を合わせよう。」これは、2011年3月11日の原発事故の後に、様々な形で耳にしました。

 

 

一見、モノの分かった知恵者の言葉のように聞こえます。

でも、「すべてを「自然のなりゆき」で済ませるのなら、山本氏が言うように、一切の探求は不要になります。

そして、ここには、この社会を「よりよい社会に変えよう」とする意思はなく、

ただ、それぞれの個人が、自分の「心を変えて」理不尽な社会を受け入れるだけのように感じてしまいます。