読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「アジアで唯一の憲法保持国として

 

憲法絶対」という態度を、天皇は一貫して変えていない。戦前・戦後の役割について「私は精神的にはなんらの変化もないと思う。常に憲法を厳格に守るように行動してきた」という昭和四十七年九月のお言葉は、まさにそのとおりと言ってよい。(略)

 

 

天皇の戦争責任」という問題は、実はこの「功」と裏腹の関係にある。ただこの問題を論ずるに当たって、「事実誤認に基づく責任論」は意味を持たない。

歴史は皮肉である。というより天皇にとっては苦渋に満ちたものであろう。「二・二六事件の処理」と終戦の「御聖断」を「罪」として批判する者はいない。全員が「功」とする。

 

 

しかし、これを天皇憲法違反と考えておられる。そしてあくまでも「憲法どおり」を「罪」とする者もいないであろう。天皇がぐらついたら憲法は消える。しかし「閣議決定」を上奏されれば裁可し、そこで戦争になる。では、この場合の憲法遵守は「罪」なのか。それをどう考えるかは、人々の判断にまかせる。

 

 

 

どう考えるかは各人の自由だが、誤った前提に立てば、おかしな結論になる。

たとえば長崎市長本島等氏の「昭和̪史によれば、天皇重臣の上奏を退けたため終戦が遅れた。天皇の責任は自明の理。決断が早ければ、沖縄、広島、長崎の悲劇はなかった」という発言である。

 

 

この「重臣の上奏」の意味が明確でないが、これは閣議もしくはそれに準ずる最高戦争指導会議の意味なら、これは事実ではない。天皇が「閣議の決定」の上奏に拒否権を行使した例は皆無だからである。これは多くの人に聞いたが、みなその例は皆無であるという。

 

 

ただ前述のように、「内奏」は別である。また天皇が個人的に各大臣に意見を述べられることは、もちろんある。(略)

ただ、この「内奏」とそれへの天皇の「応答」は、正確にはわからない。というのは、これについて、天皇が何も言われないのは、マッカーサー元帥との場合と同じである。(略)

 

 

マッカーサーが「会談内容は秘密」と約束し、天皇は「男子の一言」で沈黙を通されているのに、マッカーサーのほうは自分の都合のよいように巧みにリークしている。同じことを戦後に行っている”重臣”の例も決して少なくない。「敗戦=戦後」という激変に際して、巧みに責任を逃れて、自分だけは「いい子」になっていようとする、そういう者が出ることは致し方がないが、そういう言説は、果たしてどこまで信用できるかわからない。

 

 

「私は早々に平和を上奏したが……」といったある”重臣”の言葉を読むと「では一体お前は、憲法上の責任者の地位にあったとき、なぜあんなことをした」と言いたい場合もある。(略)

 

 

ただ私は最高戦争指導会議のメンバーにすべて戦争責任があると思っていない。たとえば米内光政(海軍大臣)もまたその一員であったが、彼の戦争責任を問う者はいないであろう。しかし、以上のように指摘しても、本島氏はその意見を変えないであろうと私は思う。なぜであろうか。」