読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る(十四章 天皇の”功罪”)

「「戦争責任」=「敗戦責任」としての考察

 

しかし、本書はあくまでも、天皇の自己規定の「研究」であるから、「長崎市長がこう言った」「誰がああ言った」は除外し、天皇ご自身がどう考えておられたかの探求に進みたい。

だがその前にこの「戦争責任」という言葉の定義をはっきりさせたい。すべての天皇は、勝敗にかかわらず、戦争が起こったら戦争責任があるというなら、明治天皇にも大正天皇にも戦争責任があるであろうが、しかし、この言葉を口にしている人には、おそらくそういった意識はないであろう。

 

 

ちょうど「敗戦」を「終戦」と言い換えたように「敗戦責任」を戦争責任と言い換えているのであろう。そこで以下に記す「戦争責任」は「敗戦責任」の意味である。(略)

 

 

天皇が、閣議およびしれに準ずる正規の機関の上奏に対して拒否権が行使出来るなら、すべての責任は天皇にあると言ってよい。言い換えれば、天皇がもし、「憲法の命ずるところにより、閣議の決定に対し、拒否権を行使す」と言えるなら、確かに、すべての責任は天皇にあるであろう。このことはすでに記したが、「憲法上の責任は問うことは出来ない」点は、はっきりしておくべきであろう。(略)

 

 

すでに述べたように、また広く知られているように、天皇マッカーサーを訪れた時「全責任は私にある」という意味のことを言われた。これは藤田侍従長の記録とマッカーサーの「回想」の記述、および彼のリークがほぼ一致しているので間違いはあるまい。

 

 

ただそれらを総合して文脈の中でこの言葉を捉えるなら、「戦争責任はすべて私にあるから、戦犯の追及をやめ、処刑するなら私一人にして他は免訴してほしい。そして国民には責任はないから飢えさせないでほしい」の意味であろう。(略)

 

 

むしろ本島氏のいう「戦争は国民が「天皇の御ために」と実践し、天皇もそれを知っていたはず」、そこで、その責任を感じてほしいという主張は、津田博士のいわれる「自然のなりゆき」に基づくものであろう。

そして「天皇の御ために」が軍部がつくりあげたフィクションと論証されれば、前述のようにそれは逆に怒りとなる。

 

 

天皇の御ために」ならまだがまんできても、軍部のフィクションではがまんならない。これは一種の「感情論」だが、この感情を踏みにじってよいとは言えない。現に私自身、同僚や部下の遺族に対してそれは出来ない。そしてこの問題を陛下はいかにお考えですか、といった質問がなかったわけではない。その答えに、天皇ご自身の戦争責任の見解が含まれているであろう。

 

 

 

「民族統合の象徴」としての責任感

 

天皇訪米の後で記者会見があった(昭和五十年十月三十一日)。(略)

「そのことについては、毎年八月十五日に、私は胸がいたむのを覚える、という言葉を述べています。いまこれらの、非常に苦しい人たちが、日本の発展に寄与したことを、うれしく私は感じております」

 

 

準備されたお答えであろうから、いささか紋切り型だが、昭和六十三年八月十五日、戦没者慰霊祭に臨まれるため、ヘリコプターの手すりにすがるように降りられた病後の天皇と重ね合わせると、天皇の真意が明らかであろう。(略)

 

 

 

天皇が何と答えられるか、固唾を呑んでテレビを見ていた人も多かったであろう。お答えは、意外というよりむしろ不思議なものであった。

 

 

「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題については、お答えが出来かねます」

 

この言葉をどう解すべきなのか。当時の記録を探しても、不思議にこの「お言葉」への批判・批評といったものは見当たらない。(略)

 

 

歴史的に言えば津田博士の言われるとおりであろう。政治的に言えば、明治憲法の下でも福沢諭吉の言う通り「帝室の政治社外に在るを見て、虚器を擁するなり」であろう。(略)

しかし民族が一種の「民族感情を共有する共同体」であることは否定出来ない。したがって以上の「戦争は「天皇の御ため」と実践し、天皇もそれを知っていたはず」という感情に対して、どのような責任感をお持ちなのか、という質問であろう。

 

 

 

では「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので……」は、どう解すべきなのか。(略)天皇は意味不明瞭で相手をごまかすことはされたことがない。それを考えると、これは問答で、相手は「……どのように考えておられるかお伺いします」と聞いているのだから「お答えしたいが、それを答え得るそういう言葉のアヤについては……」の意味であろう。(略)

 

 

 

天皇政治責任がなく、また一切の責任もないなら、極端な言い方をすれば「胸が痛むのを覚える」はずがない。さらに八月十五日の戦没者慰霊祭に、痛々しいお姿で出席される必要はもとよりない。しかし、「民族統合の象徴」なら、国民の感情と共鳴する感情を持って慰霊祭に臨まれるのが責任であろう。(略)

 

 

ただこれは、津田博士の言葉を借りれば、戦前・戦後を通じての民族の「象徴」の責任であって、憲法上の責任ではない。

そのことを充分に自覚されていても「文学方面はあまり研究していないので、そういう(ことを的確に表現する)言葉のアヤについては、よく分かりませんから、お答えが出来かねます」と読めば、天皇の言われたことの意味はよく分かる。(略)

 

 

 

ここでもう一度、福沢諭吉の言葉を思い起こそう。

「いやしくも日本国に居て政治を談じ政治に関する者は、その主義において帝室の尊厳とその神聖とを濫用すべからずとのこと」

 

 

—— 長崎市長の発言を政争に利用するなどとは、もってのほかという以外にない。尾崎行雄は「まだそんなことをやってるのか」と、地下であきれているであろう。

それがまだ憲法が定着していないことの証拠なら、その行為は、天皇の終生の努力を無駄にし、多大の犠牲を払ったその「功」を、失わせることになるであろう。」

 

 

〇「まだそんなことをやっているのか」という言葉が、心に刺さります。

「自然のなりゆき」に感情を任せているとき、これからも、何度でも同じことを繰りかえしそうです。