読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る  (終章 「平成」への遺訓)

憲法改正に反対した美濃部博士

 

「正論」はなかなか社会に受け入れられない。一木喜徳郎男爵、美濃部達吉博士、津田左右吉博士のような、戦時中に右翼や軍部から「大逆賊」と攻撃され、あるいは辞職に追い込まれ、あるいは起訴されて法廷に立たされた人たちの言葉、いまこれを読むと「これが正論というものだろうな」と思うのだが、その人たちの意見は、戦後にもまた受け入れられていない。

 

 

大きく右に左にと情動的に揺れ動く社会は、一種、扇動的な言論を歓迎しても、「中庸」を得た穏当な意見には耳を貸さないものなのであろう。「昭和」を初めからその終わりまで生きてきた私は、そういう時代は過ぎ去ってほしいし、過ぎ去ったと思いたい。

そこで新しい時代にあたって、過ぎ去った昭和に正論を述べ続けた人の意見を将来に送って、本書を終わりたいと思う。

 

 

 

美濃部博士は、「憲法改正問題」について終戦の年の十月二十日に朝日新聞に寄稿されている。その中で、氏は、

 

「私は決して憲法の改正を全然不必要と為すものではない。むしろ反対に、憲法の実施依頼、すでに半世紀を経過し、国内および国際の政治情勢も当時とは甚だしく変化しているのであるから、憲法の各条項に通じて全面的にこれを再検討することの必要を痛感するものである。」

 

 

と述べておられる。これは美濃部博士の基本的な考え方であろう。しかし、つづけて、

「(憲法は)国家百年の政治の基礎がそれによって定まるのであるから、その改正には慎重の上にも慎重を期すべく、今日の如き急迫した非常事態の下においてそれを実行することは、決して適当の時期でないことを信じ、かつこれを主張するものである」

 

と述べておられる。

では、激動の戦後という新しい状況に対応するためにどうするべきなのか。美濃部博士は次のように主張する。

 

 

「いわゆる「憲法の民主主義化」を実現するためには、形式的な憲法の条文の改正は必ずしも絶対の必要ではなく、現在の憲法の条文の下においても、議員法、貴族院令、衆議院議員選挙法、官制、地方自治制、その他の法令の改正およびその運用により、これを実現することが充分可能であることを信ずるもので、たとえ、結局においてその改正が望ましいとしても、それは他日平静な情勢の回復を待って慎重に考慮せられるべきところで、今日の逼迫せる非常事態の下において、急速にこれを実行せんとすることは、徒に混乱を生ずるのみで、適切な結果を得る所以ではなく、したがって少なくとも現在の問題としては、憲法の改正はこれを避けることを切望してやまないものである」(略)

 

 

美濃部博士は「憲法」には実に慎重であった。それは民主主義には非常に危険な一面があることを、ファシズムの台頭を見て実感しておられたからであろう。(略)

美濃部博士は「民主主義と我が議会制度」(「世界」創刊号所収)の中で「主権が国民に属すると言っても、事実においては何人かが国民の名において主権を掌握することが避くべからざる所であり、時としては国民主権の名の下に」ヒトラームッソリーニが出て来ており、このような独裁専制が出現することは、決してまれではない、と記しておられる。

 

 

ファシズムは民主主義と裏腹の関係にある。彼らは議会を利用して独裁権を獲得した。

 

 

 

「昭和」から「平成」へのメッセージ

 

(略)

そこでいろいろ説明したところが、今度は相手があきれたように私を見て言った。

「あなたは、ソビエトの選挙をアメリカの選挙のように思っていたのですか。あれは国民の何パーセントが政府の命令に従って投票所へ行くかの調査なのです。そして九九パーセントの投票ということは、これだけ完全に統治しているぞ、という国民への権力誇示なのです」と。

 

 

いわば「鉄の統制」を国民に見せつけて、これを威嚇しているわけで、選挙があり、議会があるからといって、それだけで「だから民主主義だ」と言うわけにいかない。いわゆる「民主主義」は、「鉄の統制」に逆用できる。しかしそういう国でさえ、それをちょっとゆるめれば、民族問題が噴出する。人間は単なる「政治的対象」ではない。

 

 

 

以下の美濃部博士の主張を、津田左右吉博士の言葉(275ページ参照)を念頭に置きつつ読まれると、この二人の「あくまでも知的誠実」を固守した人が、同一のことを二つの面から主張しているように私には思われる。

 

 

美濃部博士はつづける。

 

 

「……… すべて国家には国民の国家的団結心を構成する中心(国民統合の象徴)がなければならず、しかして我が国においては、有史以来、常に万世一系天皇が国民団結の中心に御在しまし、それに依って始めて国家の統一が保たれているからである。

 

 

それは久しい間の武家政治の時代にあってもかつて動揺しなかったもので、明治維新の如き国政の根本的な大改革が流血の惨を見ず平和の裡に断行せられたのも、この国家中心の御在しますがためであり、近く無条件降伏、陸海軍の解消というような古来未曽有雨の屈辱的な変動が、さしたる混乱もなく遂行せられたのも、一に衆心の嚮うべき所を指示したもう聖旨が有ったればこそであることは、さらに疑いをいれないところである。

 

 

もし万一にもこの中心が失われたとすれば、そこにはただ動乱があるのみで、その動乱を制圧して再び国家の統一を得るためには、前に挙げたナポレオンの帝政や、ヒトラーの指導者政治や、またはレーニンスターリン蒋介石などの例に依っても知られ得る如く、民主政治の名の下に、その実は専制的な独裁政治を現出することが、必至の趨勢と見るべきであろう」

                (「民主主義と我が議会制度」)

 

 

表現はやや古風であろうが、津田左右吉美濃部達吉といった戦争中の受難者が、戦後の日本とその将来に向かって何を言おうとしているのか、それが理解出来ない人は、いないであろう。

それは激動の昭和からの「平成への遺訓」と見てよい、と私は思う。」

 

 

〇 ここで、「昭和天皇の研究」は終わっています。

  自分を基準に「世の中の大人」を見た時、昔の親世代の人間より、

私たち世代は、とても子供っぽいと感じながら生きてきました。

短絡的に目先の利益だけを見て行動する人間が、圧倒的に大多数になった時、

この国の将来が心配になります。

 

でも、一方では、このコロナ禍の中、多くのおとうさんが、小さな子供たちと一緒に公園で過ごす姿を見ました。男の人たちがしっかりと命と向き合う文化がこの国に根付いた時、きっと政治も変わっていくだろうな、と希望も感じます。