読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

天皇の戦争責任(第一部  戦争責任)

「戦争を裁くルール

 

(略)

加藤 (略)

罪の概念についてはヤスパースが次のように分類しています。まず刑法的な罪というものがある。これは法を破った罪で、裁判所が裁く。次が政治的な罪で、これは政治的共同体のリーダーに課せられる。ただし、近代国家の場合は、国民がリーダーを選んでいるわけだから、そのかぎりで国民も政治的責任を負う。(略)

 

 

三番目が道徳的な罪で、これは個人の良心が裁く。たとえば、親しくしていた人間から、「なんだ、君はそんな人間だったのか。僕はもういやだ。つきあいたくない」と言われ、離反される。道徳的な罪は、そういうように友人との交流、そして個人の良心が裁き手になる。

 

 

その他にもうひとつ、形而上の罪と呼ばれるものがある。これは人間相互間の連帯から生じる罪です。たとえば、見知らぬ人がガス室へ連れて行かれるところに、たまたま居合わせたとする。それに抵抗すれば自分の命も危ないかもしれない。そういうような場合でも、それを黙って見送ったら、彼は自分に罪があると感じるだろう。でも、その見知らぬ人をガス室に連れて行くのは自分ではないのだから、それは刑法的な罪でも政治的な罪でも道徳的な罪でもない。それ以外に罪があることをその事例は語っているというのです。

 

 

 

その罪は友人によって裁かれるのではない。

彼は、自分が自分をかえりみて、罪を感じる。その場合、その罪の審判者は神だ、とヤスパースは言っているけれど、それはアウシュヴィッツや広島の生存者について言われる生き残った者のうしろめたさに通じる罪の概念です。(略)

 

 

すると、こうなる。国内的には、天皇は法的には罪がありません。天皇は不可侵だという大日本帝国憲法を臣民は認めていますから。あと政治的な責任、これはあるけれども、それを言うなら同じように、こういう政治体制を選んで支持して来た国民も大なり小なり同罪だと言わざるをえない。

 

 

ですからこの次元で国民が天皇を糾弾するなら、外からの目に、それは五十歩百歩と映るでしょう。だから、これも前に言った国民の責任と天皇の責任の分担、分別の問題になる。これもそのような問題として考えることにします。すると最後になにが残るか。

 

 

人間宣言」によってこの天皇が「人間」になったことによって戦後、新しく生まれることになった責任が残る。たしかにここまでの天皇なら、天皇個人としても責任を問えることは少ない。でも、「この人は、こういうことをやって、いったいどう思っているんだろう」、「天皇をやめるならまだしも、こんなことをやって、そのあともずっと天皇を続けている。

 

 

この人はどう思っているんだろうな」、そういう問いを、戦後の国民は、人間宣言をしていまや人間になった天皇に感じることになる。つまり、国内的な道徳的な責任が残る。というか新しく生み出される。(略)」

 

 

〇ここを読み、

人間宣言」によってこの天皇が「人間」になったことによって戦後、新しく生まれることになった責任が残る。」

という文章にひっかかりました。

 

山本七平著「昭和天皇の研究」から引用します。

「天皇の戦争責任を論ずる人の言説に耳を傾けていると、時々、妙な気持ちになる。その人は「機関説否定・天皇絶対」を今でも裏返しに信じているような気がしてくるからである。」

 

つまり、加藤氏は、戦前、天皇は「現人神」だったという前提に立って天皇の責任を論じています。

でも、「昭和天皇の研究」の中で何度も書かれているように、天皇自身は、「天皇機関説」論者だった。「現人神」に祭り上げたのは、周りの人間と、それに乗せられた国民だった。

 

「竹田 橋爪さんの「日本国家には責任があるが、天皇にはない」という考えをもう少し端的に話してくれますか。

 

橋爪 いま加藤さんが提示されたかたちにそって完結に言ってみますと、戦前の憲法のもとで、何回も言っているように、天皇に法的責任はない。

政治的な責任については、天皇は本来政治的な存在でなく、政治的に行動すべき立場になかったのだから、政治的責任は生じようがない。

 

 

たまたま政治的に行動せざるをえない局面のなかでは、昭和天皇はベストの選択をしている。そういうふうにまず考える。かりに彼に政治的な責任があるとすれば、それは国家機関を構成する他の人々(本来政治的に行動すべき人々)にくらべてもっとも少ない。それは私に言わせれば、責任がない、というのと同じだと思う。

 

 

それから、道義的な責任ということに関しては、個人が個人に問うことだから、私にはなんとも言えない。天皇の道義的責任をどうしても追及するんだという個人がいた場合、私がそれをやめろと口をはさむつもりはない。けれど私は、天皇に道義的な責任があるという世論形成を、団体としての日本国民がやることには反対です。これは当事者とsちえの責任でやっていることにはなりませんから。

 

 

形而上学的責任については、私にはよく判らないが、昭和天皇は生涯を通じて、そうした実存的な問いと向き合っていた人物だという気がする。彼の寡黙は、私にはそう映る。

 

 

加藤 僕が言うのも道義的責任への世論形成ということではありません。国民の天皇に対するこの道義的な疑問を自分からは解かずに昭和天皇は死去した。残された戦後の国民には、この問題にどのような決着をつけるか、という課題が残された。(略)

 

 

橋爪 さっき軍隊の話をしましたが、それは古代や中世の歴史的な軍隊の話で、これはたいへんに具合が悪いものである。そこで、たぶんフランス革命がきっかけになっていると思いますが、市民社会というものができ、市民が税金を払うと同時に兵役の義務を負い、国民軍というものをつくって、国民国家を守るために軍隊を運用するというスタイルができてきます。

 

 

それまで軍隊は、絶対君主であり主権者である国王のもので、国王の傭兵であった時期が長かったわけですが、国民の利益を守るための軍隊になった。軍隊が市民を守る義務は、この時点で生じてきたと思う。(略)

 

 

橋爪 (略)

これは戦争のやりかたに関するルールであって、これに違反した場合、戦争犯罪というふうに考えられて処罰される。具体的には、軍は独自の法律と検察、裁判所をもち、軍法にそむく犯罪行為は、師団ごとの軍事法廷で処理される、という法体系をとったわけです。ですから憲兵もいる。これはもっぱら軍人を取り締まる警察官のようなものですね。(略)これが二十世紀の初頭の段階だと思う。

 

 

 

日清戦争日露戦争のときには、条約改正が済んでいなかったし、戦時国際法を守りつつ戦争をする能力があるということを証明する必要が大日本帝国にはあった。それで日本は、この戦時法規の遵守に関して非常に神経質になり、捕虜の虐待もなく、理想的に近い形で運営されたという実績がある。

 

 

これをみると、大日本帝国というのは、もともと戦時法規や国際法を守る能力のなかった国ではなくて、それが国益にかなうと思ったときにはそれを守ったわけです。

ところがその後、国際法規に関する教育がおざなりになり、日華事変以後はめちゃめちゃになった。一九四一年一月に定められた「戦陣訓」のなかの「生きて虜囚の辱めを受けず(=捕虜にならない)」という規定が強調されたりした結果、玉砕や捕虜虐待が続発した。こういう事実関係があったのです。

 

 

 

竹田 そうすると、日本国の戦争責任というのは、一言でいえばなんですか。

 

橋爪 一九四五年まで、にほんが理解していた戦争責任とは、戦時国際法を守るという責任だった。東京裁判のカテゴリーで言えば、戦時国際法に違反する戦争行為を命令すればB級、その命令を受けて実行すればC級、こういうことだと思う。(略)

 

 

竹田 確認したいのだけれど、日本が第二次大戦において、そういう国際法規を守らなかった、その点で戦争責任があるということ?

 

 

橋爪 明確な国際法上の責任としては、そこまでだと思う。日本が戦争を起こした事自体は、当時の国際法にてらして合法であったか非合法であったかは灰色だけど、日本は合法であると思って戦争をしている。その戦争をすべきでなかった、というふうに考えるならば、それは法的責任というよりも、政治責任ではないだろうか。

 

 

 

竹田 橋爪さんの結論としては?

 

橋爪 すべきでなかった戦争。

 

 

竹田 では、法的責任はないが政治責任はある、ということですね。(略)やっぱり戦争を起こした当事者が責任をとるべきでしょう?

 

 

橋爪 それはそうですけれど、端的に答えれば、それは日本が国家を運営する能力がなかったということなんです。戦争は、自国にも相手国にもコストの大きい、大変な出来事です。戦争を起こすからには明確な戦争目的と、どのように戦争を終結させるかという目算がなければならない。

 

 

 

そのどちらもはっきりしないまま、日本は戦争を引き起こした。ですから、日本が国家を統治する能力を強化する、これが責任に応える道であるわけです。

 

 

竹田 その責任は誰に対する責任ですか?

 

 

橋爪 国際社会に対する責任でしょう。

 

 

加藤 たとえば満州事変での中国などに対する責任は考える必要はないということですか?

 

 

橋爪 いや、それを含むでしょう。(略)

そこで、日本が植民地本国とのあいだで戦争を始めれば、植民地に侵攻し占領することは、合法的な戦争行為の一部となる。占領したら日本は、植民地本国の施政権を代行する。日本が避難されているのは、その際、日本軍が施政権をきちんと運用せず、現地住民を保護せず、虐待したからでしょう。

 

 

これに対して、満州事変、日華事変は、独立国である中国(中華民国)の一部を切り離して日本の勢力圏下におくことを目的とした陸軍の陰謀にもとづくもの(日本が中国に仕掛けた戦争)で、対米英開戦以降の南方作戦とは段違いに、侵略の名にふさわしいものだと言えると思います。(略)」

 

 

〇 「日本が国家を運営する能力がなかった」という文章に衝撃を受けながらも、やっぱりそうか…と納得もしました。あの原発事故の時にも、国家として対処する能力があぶなかしいと、まざまざと見せつけられました。

情報を隠蔽する。真っ当に対処しようとしている政権の足を引っ張る政治家がいる。

 

そして、今もこのコロナ禍で、国は先ず大企業を守ろうとしていますが、国はもともと多くの国民(人間)によって成り立っていることを忘れているようです。

今も「国家を運営する能力がない」ように見えます。

 

 

「加藤 (略)

つまり、ここにあるのは、日本のかつての行為を日本国民である自分がどう考えるかという問題です。そしてこれは、学術論文や法解釈の問題ではなくて、日本国民と近隣諸国の国民の関係を基礎として考えるべき問題なんです。それは、いま僕が彼らと対等で協調的な関係をつくりたいと意欲するから問題になってくる。

 

 

僕が日本という国の人間と、被侵略国の人間とのつきあいということを日本という国にとって非常に大事だと思う判断に立ち、以前相手に悪いことをしておいて、そのあとの謝罪、責任の明確化というあたりでやるべきことをやっていないということを、自分の審美眼からいって、嫌だと感じる。また、規範の意識としてもこれはよくないと思う。

 

 

そしてこれをどうにかしたいと考える。そんなふうに、現在の生きる経験のなかから、戦争にまつわる責任の問題は、その意味を汲みだしてくる。少なくとも、一般の、なんでもない人間が、この問題に関心をもつ順序は、こういうことだ。

 

 

 

隣人にはなんの関心もない、世界がどうなったっていい、と思っていたら、戦争責任なんて考える理由は出てこない。そのことをじっくり考えるべきだと思う。僕は戦争時の日本のアジアにおける行為は、侵略行為だと思っている。けれど、幸か不幸かそのときのレヴェルにてらしあわせて法的な網をかけてみると、これは犯罪行為を構成しない。

 

 

だから、問題は、そのことを理由に、「これには責任がない」と言うか、逆に、これが責任を構成するような論理を東京裁判の論理とは別に新しくつくり、「これは侵略行為であり、悪なんだ」と言うか、ということなんです。そのどっちかということが問われている。」