読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

昭和天皇の研究 その実像を探る

「十三章 「人間(アラヒト)」・「象徴」としての天皇

        =古来、日本史において果たしてきた天皇家の位置と役割

 

「文化的問題」としての天皇

ここまでの記述や、また前記の一木・美濃部学説からの引用(187ページ参照)を読めば、誰でも少々首をかしげるに相違ない。「では一体、天皇とは何なのか」と。

戦争が終わって一年目、昭和二十一年八月号の「中央公論」に共産党代議士で、当時は党を代表する文化人ともいうべき故高倉テル氏が「天皇制ならびに皇室の問題」という一文を寄稿している。(略)

 

 

すなわち天皇家は大財閥・大山林地主であるゆえにその地位を保持し得ているといった議論は、今では意味を持たず、「ほう、こんなふうに論じられていたこともあったのか」という感慨が残るだけである。

ただ末尾の結論の 部分は興味深いので次に引用しよう。

 

 

「結局、皇室への宗教的な崇拝は、日本人民の生活の極端な低さから来ている。そして、今では、天皇制による絶対主義的圧迫が人民の生活の極端な低さを生み、その低さが、また、逆に、皇室への原始的な崇拝を生むという、堂々めぐりをやっていた。

 

だから、日本が真の民主主義社会になって、全人民の生活が引き上げられるならば、皇室への宗教的な崇拝は、当然、消え失せなければならない。ただ、そういう宗教的崇拝が、これまで、政治的な支配のために利用されたから、ややこしくなり、面倒になっていたが、本来、これは政治的な問題でなく、文化的な、または、教育の問題だ」

 

 

この記述の背後にあるものは、昭和二十一年二月にはじまった「天皇御巡幸」である。当時の新聞記事や写真を見、また小中学生としてその場に居合わせた人の思い出を聞くと、その「熱烈歓迎」ぶりに少々驚く。

 

 

この御巡幸は、もちろんマッカーサーの許可の下に行われた、というより積極的賛成の下に、と言った方がよいかもしれぬ。政府は、警備に自信がないとむしろ反対であった。(略)

 

 

この現象は対日理事会だけでなく、共産党にとっても意外であり、そこで「天皇制による絶対主義的圧迫が、人民の生活の極端な低さを生み、その低さが、また、逆に、皇室への原始的な崇拝を生む」という結果を生じていると解釈したのであろう。

 

 

昭和二十一年の「生活の極端な低さ」は、おそらく今では想像出来まい。国民一人当たりの年間所得は、わずか一七ドル、それがやがて二万ドルになろういう現在では、想像出来なくて不思議ではない。

 

 

では、彼の言うように「全人民の生活が引き上げられるならば」、皇室への崇拝おは消えてしまうのであろうか。彼の他の記述と同様、この予測は当たってはいない。それは一七ドルが二万ドルになったら、といった問題ではない。(略)

 

 

興味深いのは、昭和二十一年の時点では、共産党もまた天皇制は「政治的な問題ではなく、文化的な」問題だと規定している点である。今までのところを読まれて「では天皇とは?」何か少々分からなくなるというのは「政治的」な面を採り上げているからで、この点だけを見れば「上奏されれば裁可する」というだけの存在に見えてしまう。

 

 

もっとも「政治」もまた「政治文化」だが、ここを一応割り切って、一体、「文化的問題としての天皇」とは、具体的にはどのように把握すればよいのか探ってみよう。

この点で興味深いのは、この論文で高倉テル氏が批判している津田左右吉博士である。」

 

 

〇 私が天皇制をどう考えればよいのかについて、始めて意識したのは、

夫と結婚した頃でした。夫も私もいわゆる「ノンポリ」で、特にどんな思想信条も政治的ポリシーも持っていませんでした。

 

でも、夫は天皇や皇室報道を目にするたびに、こんな天皇制など、

なくしてしまうべきだ、と強い調子で言いました。日本神道ほどあほらしいものは、ないとも言いました。

 

天皇という日本神道の「トップ」を掲げている国を、近代国家になりながら、うさん臭いやり方を続けている、と感じていたようです。

正直、私はよく分かりませんでした。

天皇制をなくすとなると、あのフランス革命のように、天皇や皇太子や皇太子妃や浩宮礼宮などを、殺すということになるのか。

「あの人たちを殺す」ということに、私は賛成出来ない。

特に悪人のようにも見えない人々を、何故殺さなければならないのか。

では、天皇制に積極的に賛成しているのか…。自分でもよくわからず、

その事については、考えないことにして、やってきました。

 

ただ、その頃に、夫から聞いたとても印象深いエピソードがあります。

 

天皇御巡幸の時、夫は、中学生(私の記憶の中では小学生だったのですが、後にそのことが話題になると、夫が御巡幸で待機していたのは中学生の時だったとわかりました)で、地方の田舎町の駅で、天皇を出迎えるために、国旗を持って、大勢の人々と一緒に待機していたそうです。

 

そこへ、天皇が現れた。人々は熱狂し、その熱狂の中で、中学生の夫は、涙が出てとまらなかった、と言うのです。自分でも、何の涙かわからない。感動のような涙だった、と。

 

そうなのか… 天皇って、そういう存在なんだ… と印象に残りました。

それが高倉テル氏のいう「原始的な崇拝」なのかもしれませんが、

少なくとも、人間が、そんな「原始的崇拝」を持つ生き物なのだ、ということは、事実なのだと思います。