読んだ本のメモ

印象に残った言葉をメモします。

日本人とは何か。

「かな文字文化完成への苦戦

だが、一つの文字文化 ―― それはその文化の基本を形成するものだが ―― を、何の模範も前例もなく、文字通り創出しようとするものは、常に苦闘を強いられた。日本人が「かな」の完成へと苦闘する三千年以上も昔に、セム族のアッカド人も同じような苦闘をしていた。

 

 

彼らはシュメール人楔形文字を採用したが、これも漢字と同じく表意文字だった。だがシュメール語とアッカド語は、中国語と日本語が同じでないようにやはり同じでない。

さらにシュメール人は、彼らの表意文字をそのまま音節文字にも流用していた。たとえばan=天空は、天空とは関係なく音節anとしても使用されたし、mu=名前もまた単に音節muにも使用されていた。(略)

 

 

 

さてこうなると、一個の文字が何を表しているのかわからなくなって、まことに「戦慄すべき楔形文字」となった。だが彼らはあらゆる工夫をしてこの混乱から脱出していった。それは日本人が「かな」へと脱却していったのと方向が違ったとはいえ、最終的にはラッ・シャムラの楔形文字アルファベットへと進んでいったわけである。

 

 

 

こうして見ていくと、日本人がやってきたことは、多くの創造的な民族がやってきたことで、その点において日本人もまた例外ではなかった。その意味で「かな」の創造は一種、普遍的な現象であったといえるが、日本人の出発は ―― 他の多くもそうだが ―― 彼らの出発よりはるかにおそかった。しかし、「かな」への脱却はきわめて早かったといえる。(略)

 

 

 

 

◎日本文学の独自性・普遍性

そして「戦慄すべき楔形文字」を連想させる万葉仮名が「いろは歌」のような形で「かな」として成立すると、日本人は、百花繚乱ともいいたい古典文学の世界を生み出した。「古事記」、「万葉集」「源氏物語」「古今和歌集」「平家物語」といった著名な作品だけでなく、ドナルド・キーン博士が「日本人の日記」の中で取り上げた膨大な日記文学にいたるまで、そこには、自国語を漢文の拘束から解放し、自由自在に自国の文字で語っていける喜びと豊饒さが現れている。

 

 

 

私は韓国に、このような自国語の古典文学がないことを知った時、一種の衝撃を感じた。もっとも「三代記」という「万葉集」のような歌集があったらしいが、それは失われ、はるか後代の十二、三世紀の「三国遺事」の中にその一部が漢字で集録されていることを知った時、一体なぜそのようになったのか、小林秀雄が「本居宣長」の中で記しているように「文化の中枢が漢文で圧死させられた」のか、との何ともいえぬ不思議な感じに打たれた。

 

 

 

万葉集という歌集は、とにかくわれわれが、無条件に楽しめる文化遺産である」(岩波版日本古典文学大系「解説」の冒頭)といえる遺産をもつわれわれは幸福である。万葉集は今も生き続けている。

 

暇無く人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも

 

こういった歌を読むと、なんとなく私は最近流行の「サラダ記念日」的な歌を連想し、こういう伝統は消えそうで消えず、民族の心の底に見えぬ流れとなって流れつづけ、時々、噴水のように噴き出してくるような感じをうける。(略)

 

 

自らの文字を造ると、いきなりその文字で自らの言葉の自らの文学を創作した民族は珍しい。自らの文学を創作するにあたって、ローマ人は長い間ギリシア語を用い、ヨーロッパ人は長い間ラテン語を用いても、自国語は用いなかった。この点では自国の文学をあくまで漢文で記そうとした韓国人の方が普通なのかもしれない。(略)

 

 

 

いわば日本人は「かな」による自国語の世界に生きつつ、同時に漢字という当時の東アジアの「世界文字」につながって生きていた。そしてこのように独自性と普遍性を併せ持つことで日本の文化は形成されていった。(略)

そして明治のはじめに日本人が英語に接したとき、これを漢文のように受け取り、そのため英語を「読めるが、話せない」人々が輩出した。これは「漢文は読めるが中国語は話せない」という伝統の現代版である。だが他国の文化を摂取するのはそれで充分な一時期があり、日本人がそれをまことに能率的に活用したこともまた否定できない。

 

 

 

この点ではインド人や中国人の学び方と全く違う。伝統とは実に根強いものである。(略)

日本文化とは何か。それは一言でいえば「かな文化」であり、この創出がなければ日本は存在しなかった。さらに、近代化・工業化にも多大の困難を伴ったであろう。そしてその文字を創出していく期間、いわば、「戦慄すべき万葉がな」の期間は、同時に律令制が出現へと向かって行く期間だったのである。日本人はまことに能率的に、文字と文学と中央集権的統一国家とを併行して形成していった。」